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夢野久作「悪魔祈祷書」の現実味

ごあいさつ

こんにちは。

今日は、昨日に続いて
夢野久作の作品から
私の印象に残っている短編を
ご紹介してゆきます。

ちなみに、昨日は
書き忘れたのですが
ご紹介した「鉄槌」が読める
リンクはこちら。

こちらの文庫本にも
収録されています。


一人称の語りが生む力

夢野久作の作品は、
一人称の語りがとても多いです。

それは、
「手紙」「書き置き」という
形式をとることもあり…

また、ある人物の
「語り」であることもあります。

この作家は「饒舌体」と言われるほど
独特の丹念な…
ある意味、くどくどしい口調が
特徴的なのですが。

そんな作者の文体(語り口)が、
「一人称」という形式の中で
存分に力をふるっている。

そんなふうに感じられます。


限定された情報

一人称というのは…
「語り手」から見た
一面的な情報のみが
読者に提示されます。

「語り手」が知らないことは、
読者にも提示されません。

そこを、どういうふうに
補完するか…

読者に「気づかせる」のか…

この人は、そういった
「読者に提示する情報」の
コントロールが
非常に巧みな作家だと思うのです。

だから、読んでいて
とても興味深く、おもしろい。


「悪魔祈祷書」の語り口

これは、
地方の古書店の中年の店主が
雨宿りの常連客に
話しかける、という
ていを取っている作品です。

その状況が、作品の最初に
店主の語りによって
読者に提示されます。

特徴的なのは、
「語り手」だけではなく、
「聞き手」の役割・状況も
ここで決めてしまっている点です。

読者はいやおうなしに、
語り手が定義した
「聞き手の役」を
演じさせられることになります。

これがまた、
「非日常的な出来事」を
語った作品への
「没入感」を醸し出す
仕掛けになっているわけなのです。

あと、読んでいて思いましたが
これ…「落語」にしても
いけそうな話ですよね。

ただし…ゾッとする
怖いお話ではありますが。


「悪魔祈祷書」の実在感

この作品を読んでいると…
昭和初期の、とある地方都市の
とある古本屋の店先に…

雨の降る日に…
たまたま立ち寄った
某大学の教授という
「聞き手」になりきって…

店主の「語り」を聞く、という
非日常の世界に放りこまれます。

その中で語られる
「悪魔祈祷書」の存在ですが…
これがもう。

微に入り細をうがつ
語り口によって、
本当にそんなものが
実際に存在するかのように
思わされてしまうのです。

あとで冷静な立場で
読み返してみると、
ツッコミどころも多数あるのですが。

そんな矛盾点すら
流れるような「語り」に内包されて
摩訶不思議な世界を作っているので…

ひょっとすると
作者はあえて
矛盾点を修正しないまま
(あるいは、意図的に入れて)
物語を書きあげたのかもしれません。


そして、語りのあと

この話には
落語の「サゲ」的な
きれいなオチがついています。

…少なくとも、
そのように見えます。

…しかし、考えてみてください。

もしも、この店主が
先に語ったことのほうが
本当だったとしたら。

この場をおさめるために、
ひとまず嘘をついて
「聞き手」の教授を
帰らせたのだとしたら。

そう考えると
こんな短い小編ですが、
夢幻の世界を内包しているようにも
思われるのです。

この「悪魔祈祷書」が読める
リンクはこちら。

こちらの文庫本にも
収録されています。

(ちなみに、リンクはすべて
 アフィリエイトではありません)

ではまた、明日。


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