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東風、地を翔ける 序章 帯方①

 このタルギタオスの両親はー彼らのいうところは私には信じがたいが、彼らはともかくそういうのであるーゼウスと、ボリュステネス川の娘とであったという。
                  ヘロドトス『歴史』

 惟昔、始祖鄒牟王之創基也。出自北夫餘。天帝之子。母河伯女郎。
                  広開土王碑

 妾已妊身、今臨產時。此念、天神之御子不可生海原。故、參出到也。
                  『古事記』


 西暦四〇四年――。
 倭人たちは帯方の地にあった。

 河畔を徒行してすでに三日目。
 煙波縹渺たる情景といえば聞こえはよいが、臨津江を覆う川霧は、夏の名残など微塵も感じさせぬ冷たさで全身に纏わりつき、肌の奥まで染み込むようだった。
 川を遡行した時点ですでに百済と高句麗との国境は越えていた。
 阿虎飛嶺山脈を源に蛇行しながら南西に流れる臨津江は、今も昔も国境を越える川である。

 倭軍の将・荒田別は、その霧の中を進む千余の兵を振り返った。
 年齢はすでに六十に近いが、その背丈は彼が率いる農民兵より頭二つ分は高い。老いたる巨木を思わせる長躯は、歳月に削られながらも武人らしい隆々たる筋骨を保っていた。
 深い皺が刻まれた瞼の奥にある眼差しは、鋭く、霧の向こうを見透かすように強い光を放っていた。

 荒田別たち二人の将軍と近習たちは、胡服に似た左衽筒袖の衣袴に挂甲の甲を装備していた。
 だが、兵士たちの大半は戦場で秋を迎えるなど思いもせず、盛夏の頃のように腰に粗末な麻の横布を巻きつけているだけで、長い船旅で痩せた肉体を露わにしていた。彼らは木製の甲すら身につけていなかった。なかには下帯ひとつで歩く者もいた。
 縄文・弥生と続いた鯨面文身の遺風、すなわち顔や身体に入れ墨をした者も東国ではまだまだ多かった。

 だか、彼らの風体で一番目を引くものは、やはり縄文時代から継承された紅殻の赤化粧であった。だが、その魂を守るための神聖な化粧ももはや戦塵にまみれ、彩りを失いつつあった。

***

 「兄上、冷えますな。兵の動きが鈍うございます」
 もう一人の将である弟の鹿我別が、霧を掻き分けるように歩み寄ってきた。面差しは荒田別とよく似ているものの、体つきは一回り小柄で、兄の威圧感とは異なる温和な気配を纏っている。
 彼ら兄弟の両頬にもまた幾何学的な逆三角形の赤化粧が施されていた。

 第一列には露払いとして盾兵と鉾兵が並び、そのすぐ背後を荒田別が進んでいた。弟の鹿我別と近衛の精鋭が左右を固めている。
 老将は、霧を裂くように前方を睨みながら、兵たちの息づかいや、伝令の足音、戦場の気配のすべてを五感で感じとっていた。

「当然じゃ。ここは勝手知ったる新羅ではない。
 誰も遥か彼方の帯方まで来るとは思っていなかった」

***

 韓国(からくに)への侵攻と聞いて、兵士たちは対馬から対岸に浮かぶ隣国の新羅へ侵攻するものと決めてかかっていた。
 「黄金の国」と噂された新羅を攻め落とし、金銀財宝を奪い、うまくすれば異国の女を抱き、恩賞として田地を賜る――誰もがそう信じていたのだ。

 しかし、倭軍は対馬にすら立ち寄らなかった。

 北へ、さらなる北へ――。

 兵士たちが疲れと不安を隠せないのは当然だった。毛野を中心とする東国の千人余の猛者たちは、大和までの陸路に加えて難波津から一月に渡る船旅に疲弊していた。

 毛野から朝鮮半島に向かうのであれば隣国の越からの日本海航路が第一の選択肢だった。
 しかるに、とある密命を受けるため荒田別らは大和で誉田別大王(応神天皇)に拝さねばならなかった。それに加えて、兵士を輸送する準構造船を確保し、その漕ぎ手である大王子飼いの淡路の海人と合流しなければならなかったため、やむなく瀬戸内海航路を選ぶことになった。

 住吉の大神に必勝を祈願してから、おおよそ五十艘の船で難波津を発った。
 その後、北九州から対馬ではなく、耽羅(たんら)経由で朝鮮半島の黄海側を廻り、百済の支配地域である漢江の河口、そこから合流する臨津江を遡上可能な地点まで北上した。

 そこは旧帯方郡――高句麗の支配地である。

 海人たちとはそこで別れ、東国兵は陸路を取り今に至る。
 貴重な海人の損失を考えると、東国勢にとって不馴れな海戦で東夷最強を誇る高句麗水軍とまみえる選択肢はなかった。

 古代の朝鮮半島では中国東北部から半島の北部に至る強大国高句麗、中西部の百済、東南の新羅の三国時代がつづいていた。
 この三国に加えて、高句麗の北方には扶余が控え、東部沿岸に扶余・高句麗と同族である濊族(本作では濊・貊を濊族として総称する)が居住し、南部にあっては韓族の伽耶諸国がゆるやかな連合をなしていた。
 また、当時の済州島は独立国・耽羅として独自の言語と文化を継承していた。
 倭国の同盟国たる百済は土着の韓族と支配階級である扶余・高句麗からの移民が結合して建てた国であった。

 
***

「新羅は黄金の国だって聞いてたんさ。
 ──ぜんぜん話がちげえじゃねえか」

 重く引きずるような裸足の足音が、霧で濡れた地面に吸い込まれていく。

「そうだんべ。本当なら、その黄金の国を攻め落として、おらぁ田んぼもらえるはずだったがね」
「なんだいね、クダラっちゅう国の先のタイホウとかいう、聞いたこともねぇとこまで来ちまってさ。稲の刈り入れん頃には、もう戻れねえさ」
「……おらぁ、もう覚悟さ決めた。帰ったって、田んぼになんも残ってねえだんべ」

 湿った足音に混ざって、あちこちでため息が漏れる。

 その中に、ひときわ小柄な兵がいた。
 名をタニグク――蟇蛙(ヒキガエル)を意味する。

 生まれつき蟹股で背中も曲がり、ぴょこぴょこと跳ねるように歩く姿から、いつの間にかそう呼ばれるようになった。太田郷の農民で、三十代半ば。もはや初老に近い。
 顔に塗られた朱の下には深い皺が刻まれ、五人の幼子と老いた両親を抱えている。妻を早くに亡くした彼にとって、この遠征は立身出世の最後の望みだった。

「荒田別の大殿様は、本当に田んぼくださるんかねぇ……」

 隣を歩く若者が、タニグクに囁いた。

「くださるさ。荒田別様は、嘘つくような人じゃねえだんべ」

 タニグクは歩調を崩さず、跳ねるように答える。

「タニグクんとこ、ちぃせえ子が五人もいるんだってさ」
「そんだ。おらが食わせにゃなんねぇだんべ。だから生きて帰るんだべ。──何としてもな」

 タニグクの赤く塗られた顔が霧に滲む。
 彼にとって、この遠征は生き残って家族ともども食いつなぐための戦いなのだ。


→次回、霧の向こうから……

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