東風、地を翔ける 序章 帯方②
【前回までのあらすじ】
西暦404年、荒田別率いる東国兵は密命を受け霧深い臨津江を北上した。黄金の国・新羅を夢見た兵たちは理由も知らぬまま帯方へ踏み込み疲弊する。農民兵タニグクは家族のため生還を誓うが、彼らを待つのは……。
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突然、霧の奥から、敵の気配が漂ってきた。
荒田別は、鋭く声を放つ。
「止まれい。盾を前に」
次の瞬間、三騎の影が霧を裂いた。
高句麗の弓騎兵だ。
湿った空気を切って矢が走り、倭兵の盾に鈍い音を立てて突き刺さる。
「くっそお、また逃げやがったさ!」
「追うな! 罠じゃ!」
荒田別が逸る先陣を制した。
矢を放つや否や、敵の騎馬は霧の奥へと吸い込まれるように消えていった。
この三日間、まったく同じ攪乱が繰り返されている。
兵の顔には、疲労と焦燥が薄皮のように張りついていた。
「兄上……やはり誘っておりまするぞ」
鹿我別が低く告げた。声には、兄を信じながらも抱えきれぬ不安が滲んでいた。
「分かっておる。
だが、挑発に乗ってはならん。敵の思うつぼじゃ」
荒田別は答えながら、冷たい川霧にさらされた左肘の古傷をそっと押さえた。
若い頃なら意にも介さなかった痛みが、今は戦いの風向きを予言するかのように疼いた。
これが最後の一戦と心に決めていた。
白い霧の底で、赤い曼珠沙華の群れが揺れる。
毒花か――。
川沿いに群れ咲くその赤は、兵たちの顔に塗られた赤褐色の紅殻とは違う、鮮血が滴り落ちるかのような、生々しい輝きを放っていた。
倭国では、稲作とともに伝わったその花の球根の毒を利用し、害獣除けとして畔に植えることが多かった。
その死の気配を纏った赤が、今は戦場のただなかで不吉な灯火のように揺れていた。
「兄上、あれは……縁起が悪うございます。
やはり、この進撃は見直すべきじゃ……」
鹿我別は兄を止められぬと知りながら、それでも言わずにはおれなかった。
「何をいうか。
赤は太陽の色、血の色――そして我らの命そのものよ」
荒田別はふと、出立前に拝謁した大王の纏っていた深緋(ふかひ)の御衣を思い起こした。
あの色は、ただの赤ではない。
上質の絹を茜と紫で丁寧に何度も重ね染めしたものだ。
鮮血のような毒花の花弁の色でも、兵たちの頬を飾る紅殻の赤でもない。――戦場の夕暮れの最後の輝きを思わせる、まるで、太陽そのものが染み込んだような色。
「そういえば、大隅宮におられた大王も口うるさい母君がおらんようになってすっきりとしたお顔をしていたな」
荒田別はぽつりと言った。
「なんと、兄上は大王のお顔を拝したのか。
大胆よのう。大王の御威光を前にわしなぞずっと庭の玉石に額を擦りつけて平身しておったぞ」
「せっかくの拝顔の機会じゃ、大王は生き神様なのじゃろ。
神のご尊顔をしかと拝んで何が悪い」
荒田別は為政者としての老獪さ、武人としての豪胆さに加えて、少年のような稚気を併せ持った男であった。
「どうじゃ、その、大王は光輝いておられたか」
「いや、いたって普通であられた。
御威光というか、金の冠はピカピカであったがのう」
荒田別は澄まして答えた。
「なんじゃ、つまらんのう」
***
当帝の亡き母后であり摂政であった気長足姫(神功皇后)の時代に三韓征伐があったが、伽耶地方の鉄の利権が絡んでいるとはいえその戦果は倭寇に毛が生えた程度のものだった。
当時の倭国では鉄資源を国内で調達することができなかったため、伽耶地方からの輸入に頼っていた。その伽耶地方に領土的野心を持つ新羅は、大和にとって政権の基盤を揺るがす存在であった。
三韓征伐といっても、攻め込んだのは新羅一国。
だが、初の国家規模の進攻は朝鮮半島の複雑に相克するパワーバランスに倭国が組み込まれる契機となった。
遠交近攻という外交戦略の定石通り、対馬を挟んで対岸にある新羅とは敵対し、百済とは呪術性に満ちた神秘の宝刀、七支刀に象徴される同盟が結ばれた。
百済を脅かす高句麗は新羅の後ろ盾でもあったため、二重の意味で潜在的な脅威、いわば仮想敵国となった。
その高句麗と倭国が初めて兵刃を交えたのは西暦四〇〇年。
百済、伽耶連合の雄である安羅、倭国の連合軍が新羅に侵攻するも、新羅の救援要請を受けて参戦した高句麗軍に呆気なく撃退された。
誉田別大王の狙いは、新羅の黄金でも伽耶地方の鉄の利権でもなかった。
大王がその貪欲な食指を動かしたのはすでにユーラシア大陸の東方ですでに二千年もの間脈々と続いてきた、源遠流長たる中華文明そのもの――倭国の文化的発展のために手人、文人と呼ばれる先進的な技術を備えた人的資源を渇望したのである。
その切なる願いを満たすにあたって、行き場をなくした朝鮮半島の漢人遺民以上の人材が存在するであろうか。
母后とともに胎中天皇として三韓征伐に参戦したその神秘的な出生譚から、後世では八幡大菩薩に習合され、軍神と崇められた誉田別大王であったが、その真の業績は渡来人という「お雇い外国人」を登用した「殖産興業」であった。
彼の蒔いた種が、次代の百舌鳥耳原三陵という大王の権威を国内外に知らしめる壮大なモニュメント事業へと結実し、海彼のかなたへと覇を競った倭の五王時代が幕開けるのである。
誉田別大王は先に百済王から献上された知識人・阿直岐(アチキ)からの推挙で王仁を招聘した。
伝承によると王仁は千字文と論語を倭国に持ち込み、後に儲けの君(皇太子)となる菟道稚郎子皇子の侍講、すなわち家庭教師となる。
その王仁を百済まで礼を尽くして迎えにいったのが荒田別と鹿我別であった。
→次回、荒田別らに下された密命とは……
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