「過程が大事」と言う人ほど、結果を問われることを恐れている
社長が「結果より過程が大事だ」と言い始めたら、会社が崩れ始めている
過程を否定したいわけではない。
仕事では、結果と同時に過程を検証しなければならない。
どの情報をもとに判断したのか。
どのような前提を置いたのか。
複数の選択肢を比較したのか。
決めたことは実行されたのか。
状況が変わったとき、どこで修正したのか。
結果だけを見て、過去の判断を後から断罪すれば、現場は萎縮する。
失敗を隠すようになり、不確実な仕事を引き受ける人もいなくなる
だから、過程は大事である。
問題は、過程を評価することではない。
結果を確認する前に、過程を免責の理由として使うことである。
とくに危険なのは、この言葉を社長が使い始めたときだ。
結果の話をしているのに、努力の説明が始まる
経営会議に、計画未達の数字が並ぶ。
売上が届いていない。
利益も悪化している。
人と資金を投じた事業も、想定した成果を出していない。
この場面で確認すべきことは明確である。
何が未達だったのか。
当初の前提は正しかったのか。
決めた施策は実行されたのか。
異変には、いつ気づいていたのか。
なぜ、その時点で修正しなかったのか。
続けるのか。
変えるのか。
やめるのか。
ところが、結果を問われることを恐れる人は、検証が始まる前に別の話を始める。
「現場は頑張っている」
「簡単な挑戦ではなかった」
「数字には表れない成果もある」
「短期的な結果だけで判断するべきではない」
「ここまで取り組んだ過程にも意味がある」
一見すると、現場を守る優しい言葉に聞こえる。
しかし、結果の話をしているときに努力の説明が始まるのは、議論のすり替えである。
「頑張った」
「苦労した」
「一生懸命やった」
これは過程の説明ではない。
本人の感想である。
過程を語るのであれば、目的、前提、判断、実行、修正まで確認しなければならない。
それをせず、努力だけを語るのは、結果責任を薄めようとしているだけである。
他人に優しくすることで、自分も問わせない
人は、自分に不利な評価基準を嫌う。
売上を作れていない責任者は、売上以外の活動量を見てほしくなる。
プロジェクトを完遂できていない責任者は、途中でどれだけ苦労したかを評価してほしくなる。
活動量や試行錯誤を見ること自体は、間違っていない。
問題は、それによって結果の検証が消えることである。
自分だけが「過程を見てほしい」と言えば、自己弁護に見える。
だから、他人に対しても過程を重視する。
他人の結果を厳しく問わない代わりに、自分の結果も厳しく問わせない。
そこに生まれるのは、挑戦を尊重する文化ではない。
お互いの責任に触れない文化である。
優しさに見えるが、実際には相互免責である。
社長が守りたい最大の既得権益
経営者も例外ではない。
経営計画を達成できなかった。
新規事業が伸びなかった。
自分が指名した幹部が機能しなかった。
組織を拡大したが、生産性が下がった。
資金を投じた施策が、利益につながらなかった。
本来、経営者はその結果を引き受けなければならない。
しかし、結果を認めれば、過去の判断を見直す必要が出てくる。
事業から撤退しなければならないかもしれない。
予算を削らなければならないかもしれない。
自分が任命した責任者を交代させなければならないかもしれない。
反対意見を退けた判断まで、検証しなければならないかもしれない。
場合によっては、経営者自身の判断能力が問われる。
そのタイミングで、「過程が大事」という言葉が出てくる。
「まだ途中だ」
「長期的には価値がある」
「短期の数字だけで判断してはいけない」
「失敗を恐れない文化が必要だ」
これらの言葉自体が、常に間違っているわけではない。
長期投資が必要な事業はある。
短期の売上だけでは測れない取り組みもある。
ただし、長期という言葉によって、検証期限を消してはいけない。
何をもって成果とするのか。
いつまで続けるのか。
どの状態になれば判断を修正するのか。
追加投資を続ける条件は何か。
誰が結果責任を負うのか。
「数字だけでは測れない」と言うのであれば、
数字以外の何を、いつ、どのように測るのかを事前に決める必要がある。
それが決まっていないまま「過程が大事」と言うのであれば、それは経営思想ではない。
撤退と修正を避けるための口実である。
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会社における既得権益は、報酬や株式だけではない。
役職、決裁権、予算配分権、人事権がある。
自分を支持する人間を周囲に置き、過去の判断を正しかったことにできる立場もある。
しかし、社長が守りたい最大の既得権益は、役職でも報酬でもない。
「自分の判断は間違っていなかった」
という、社内での正当性である。
自分が始めた事業には価値があった。
自分が選んだ責任者は間違っていなかった。
反対意見を退けた判断も正しかった。
この物語を守るために、評価基準を後から変える。
期限を延ばす。
追加投資をする。
失敗ではなく、成長途中だと言い換える。
結果として守られるのは、会社の未来ではない。
経営者自身の正当性である。
「過程が大事」と言う会社ほど、本当の過程を見ていない
本当に過程が大事なのであれば、判断と実行を分解しなければならない。
判断時点で必要な情報を持っていたのか。
不足していた情報を取りに行ったのか。
比較した選択肢はあったのか。
決めたことは実際に実行されたのか。
途中で状況が変わったとき、誰が把握し、いつ修正したのか。
ここまで確認して、初めて過程を評価できる。
ところが、「過程が大事」と繰り返す会社ほど、この分解をしない。
本当の過程を見れば、都合の悪い事実が出てくるからである。
誰が判断を遅らせたのか。
誰が悪い情報を止めたのか。
どの前提が間違っていたのか。
戦略が悪かったのか。
戦略は正しかったが、実行されなかったのか。
修正できる場面があったのに、誰が止めたのか。
これらを確認せず、思いや姿勢や努力だけを語るのであれば、それは過程評価ではない。
事実を感情で覆い隠しているだけである。
挑戦を守ることと、検証を止めることは違う。
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判断が合理的でも、結果は検証しなければならない
適切な判断をしても、結果が出ないことはある。
市場環境が変わることもある。
顧客や取引先の事情に左右されることもある。
事前には把握できなかった問題が起きることもある。
だから、結果だけを見て人を責めてはいけない。
しかし、結果が出なかった事実まで消してはいけない。
「判断は合理的だった。しかし、結果は出なかった」
この二つは同時に成立する。
だからこそ、判断の質と結果を分けて検証しなければならない。
結果は、人を責めるためだけにあるのではない。
過程の質を検証し、次の判断を変えるためにある。
結果を見なければ、仮説が正しかったのか分からない。
同じ判断を次も続けてよいのかも分からない。
検証されなかった経験は、経験のままで終わる。
判断基準には変わらない。
社長が結果から逃げると、最後に止める人がいなくなる
社員が結果から逃げても、上司が修正できる。
事業責任者が結果から逃げても、経営陣が止められる。
しかし、社長が結果から逃げた場合、最後に止める人がいない。
会社の修正機能が消えていく
悪い数字を報告する人は減り、社長の判断に反対する人もいなくなる。
会議では結果より事情が語られ、過去の投資を否定したくないために追加投資が続く。
責任者を交代させるべき場面でも、「もう少し成長を待とう」と先送りする。
撤退を提案した人は、挑戦を否定する人として扱われる。
厳しい事実を伝える人より、社長が聞きたい説明をする人が評価される。
最後には、結果を出せる人から会社を離れていく。
会社が壊れるのは、一度の判断ミスが原因ではない。
失敗を失敗として認識し、修正する機能が消えることが原因である。
社長が結果を引き受けなければ、社員も学ぶ。
結果が出なくても、過程を説明すればよい。
目標を達成できなくても、努力を見せればよい。
責任を問われたら、「挑戦を否定するのか」と返せばよい。
こうして、成果を出している人と出していない人の違いまで曖昧になる。
社員の過程だけを管理し、社長の判断を検証しないのであれば、それは過程評価ではない。
下に対する管理であり、上に対する免責である。
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過去を守るほど、未来に使える資源が減っていく
社長の自己正当化は、感情の問題だけでは終わらない。
会社の資源配分を歪める。
過去の投資判断を認めたくないために、赤字事業へ追加の資金が入る。
自分が選んだ責任者の失敗を認めたくないために、人材が同じ場所へ固定される。
撤退を決められないために、経営会議では何度も同じ議論が繰り返される。
現場も、伸びない事業を維持するための仕事に追われる。
その資金、人材、時間は、本来であれば次の事業や改善に使えたはずである。
過去の判断を守るために使われた資源は、未来の選択肢を作るためには使えない。
社長が自分の正当性を守ろうとするほど、会社は次の打ち手を失っていく。
経営者が守っているのは、自分の評価かもしれない。
しかし、会社が失っているのは未来である。
健全な社長は、過程を免罪符にしない
健全な経営者は、結果が悪かったからといって、すぐに誰かを責めない。
しかし、結果から逃げることもしない。
まず未達だった事実を認める。
そのうえで、判断、実行、外部要因を分ける。
続けるなら条件を決める。
修正するなら、変える内容と責任者を決める。
撤退するなら、期限を決める。
合理的な挑戦だったのであれば、人を人格的に責めない。
ただし、人を守ることと、仕事の基準を下げることは分ける。
責任追及を目的にせず、結果検証からも逃げない。
それが、本当に過程を大事にする経営である。
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そんな会社に未来はない
経営者が間違うこと自体は、問題ではない。
どれだけ優秀な経営者でも、市場を読み違え、人を見誤り、投資のタイミングを外す。
問題は、間違いを認めず、過去の判断に会社の資源を投じ続けることである。
守られているのが会社の未来ではなく、
過去に判断した人間の立場になったとき、その会社はすでに次の打ち手を失い始めている。
そんな会社に未来はない。
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この記事で残したいことは、ひとつです。
過程を大事にする人は、結果から逃げない。
結果を確認する。
判断と実行を分解する。
間違いを認める。
次の判断を変える。
過程とは、結果責任を薄めるための言葉ではない。
次の結果を変えるために、検証するものである。
社長が「過程が大事だ」と言ったときは、その言葉だけを聞いてはいけない。
結果の基準は、事前に決まっていたか。
期限は決まっていたか。
判断、実行、外部要因を分けているか。
継続、修正、撤退の条件があるか。
そして、経営者自身の判断も検証対象になっているか。
決まっていないのであれば、守ろうとしているのは社員の挑戦ではない。
経営者自身の既得権益である。
「まだ途中だ」
「長期で見てほしい」
という言葉によって、撤退や責任者交代が先送りされた経験はありますか。
書ける範囲で、コメントで教えてください。
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