あの夏、光を失った
ずっと温めていた記事を、なんでかなんとなく投稿したくなった。
もう温め過ぎてタイミングが分からなくなっていた。
だけど、漠然と7月に投稿したいという思いだけあった。
まだかな。まだ心の準備ができないな。
来年かな。
そんな風に思っていたのに、昨日急に「明日投稿する!」という気分になった。
長くなるけど、読んでもらえたら嬉しいです。
以前、持病で手術したことを書いた。
その手術から半年後、思いもよらない出来事が私を襲った。
29歳の夏。
新しい職場でフルタイムの仕事を始めていた。
大きな会社でフロアには100人以上。
慣れない満員電車での通勤。
仕事そのものより、その環境に疲れ切っていた。
私には刺激が強すぎた。
それでも自分から「もっと働きたい」と夫を説得して始めた仕事だった。
だからこそ、家事も手を抜けないと思っていた。
身体的な疲労もあった。
それでも仕事は楽しく毎日充実していた。
だけど、すぐに身体が悲鳴をあげた。
持病の喘息と副鼻腔炎の症状が出始めた。
重い咳が止まらない。
症状が酷いときに服用するようステロイドの錠剤を処方されていた。
それを飲んで、誤魔化しながら仕事を続けていた。
ある金曜日。
会社のお祭りがあり、定時後に同僚と回っていた。
帰り際、不意に左目の奥がズキッと痛んだ。
まるで何かで突き刺されたような嫌な痛み。
「一日中PCを見ていたから、ドライアイかな」
そう思い、深く気に留めなかった。
その後も左目の奥がずっと疲れているような鈍い痛みが続いた。
目を温めると少しだけマシになった。
月曜日。
会社に行ったけど、左目の痛みは引かない。
勝手に涙が出てきて、充血もしていた。
体調が悪そうな私を見て、同僚が「早退して病院に行った方が良い」と促してくれた。
その足で眼科に向かった。
一通り検査を終えると先生は言った。
「眼科的には異常は無いけど、左目の辺りが熱く感じるから、副鼻腔炎の症状では?耳鼻科に行った方がいい」
そのまま掛かっていた総合病院の耳鼻科に行ったけれど、診察受付時間はもう終わっていた。診てもらえなかった。
このときに時間外窓口(緊急窓口)に行けばよかった。
後になって強く後悔した。
「絶対に何かおかしい」
確信があったので、そのまま、前にお世話になっていた耳鼻科クリニックへ。
表面的には異常なし。
「何かあるとしてもCTを撮ってみないと分からない」
そう言われ、翌日総合病院に行くよう促された。
何度も言うけど、このときに時間外窓口に行けばよかった。
その夜。
もう寝ていられないほどの痛み。
じっとしていることさえできないくらいだった。
でも、救急車を呼んでもらう勇気はなくて。
「やっぱり呼んでもらえばよかった」
今でもそう後悔している。
翌朝。
一番に病院に駆け付けた。
そのときには、もう左目がまるでお岩さんのように腫れていた。
不思議と痛みはあまり感じなかった。
限界を超えていたのかもしれない。
耳鼻科で診察を受けると、すぐに言われた。
「緊急手術が必要だからすぐ準備する」
車いすに乗せられたまま院内の眼科へ。
眼圧が測れないくらい高い数値になっていた。
「このままじゃ失明する!早く点滴を!」
先生が看護師さんに必死の形相で叫んでいた。現場は軽くパニックになっていた。
私の血管は細くて点滴や採血が難しい。
焦った看護師さんの針はなかなか入らなかった。
見ていて可哀想なくらいだった。
夫はこのときのことを今でも忘れられないと言う。
でも私は周りが焦れば焦るほど、なんだか凪のような気持ちでいたことをよく覚えている。
すぐに手術室に運ばれた。
前回の手術では心電図や歯科検診など、いろいろな検査があった。でも今回は何もしない。
「緊急手術ってこんなに工程飛ばすんだ」
妙に冷静に感心した。
痛みと腫れの原因は、膿がたまって眼を圧迫していたことだった。
内視鏡手術で膿を取り出した。
手術後目覚めたとき。
左目がまだ重たくて違和感があった。
先生が言った。
「先程の手術は成功しましたが、目の奥に恐らく血液かまた膿が溜まってきています。再手術をします」
深夜。
すぐ2回目の手術に入った。
朦朧とする意識の中、手術室に入るとクーラーが少し肌寒くて気持ちよかった。
BGMは、そのとき放送されていた朝ドラ『なつぞら』の主題歌。スピッツの「優しいあの子」が流れていた。
頭の上の方から若い男性の声が聞こえた。
「俺この歌好きなんですよね~よっしゃ!頑張れそう!」
「頑張れそうならよかった…」
そう思いながら意識を手放した。
このことで、この手術は『なつぞら』が放送されていた2019年の夏だったってことを私はずっと覚えている。
続けて2回の全身麻酔をしたので、ぐっすり眠っていたと思う。
目覚めると、もう外は明るかった。
目を開けた瞬間、右目に軽い痛みが走った。
目覚めるなり「右目が痛い」と訴える私に夫はかなり焦ったと思う。(手術したのは左側)
まるでまつげがたくさん入っているかのような細かい痛み。
すぐに眼科で診てもらった。
右目の角膜が破れていた。
恐らく、全身麻酔で眠っている間に目が少し開いてしまい、極度に乾燥した状態でいきなり目を開けたために破れたのではということだった。
治療の目薬をさしたらすぐに良くなったけど、まさに踏んだり蹴ったりだった。
耳鼻科と眼科の先生、そして看護師さんから一連の症状の説明を受けた。
左目は失明していた。
2回目の手術では眉の下を切開した。溜まっていた血液を取り除いたという。
眼圧はある一定時間を超えて高くなりすぎると失明してしまうらしい。
失明に至る眼圧もその長さも個人で違うけど、私の場合は測定不能なほど高くなり、時間も長かったのだろう。
ショックよりも「やっぱりか」という気持ちが大きかった。
だって、ずっと左目だけで見ようと思っても真っ暗だったから。
原因は半年前の手術の傷口に菌が入り、感染症を起こしたためだという。
「こんな事例は知らないし、初めてだ」と先生は言った。
だけど私は分かっていた。
心と体の悲鳴に気づかないふりをして、無理を重ねていたこと。
ごまかすようにステロイドを飲み続けていたこと。
ステロイドは、免疫を弱くする。
だからこそ、私は感染症を招いてしまったんだと思う。
自分で自分を追い詰めてしまった。
すべては、自分のせいだと思った。
眼科の先生も看護師さんも私につられて涙ぐんでいた。
奇跡が起こるかもしれないと、強いステロイドを短期間で投与する治療を試した。
でも、左目が見えるようになることはなかった。
視力だけでなく、光も感じることができなくなっていた。
2週間で退院した。
退院後、症例が集まる大学病院で診てもらうよう勧められた。
きっと眼科の先生は自分の口から、「もう視力は回復しない」と言うのが辛かったのだと思う。
大学病院でも結果は同じだった。
「左目はもう回復しないので、残った右目を大切にしていきましょう。失明だけで済んでよかったですよ。膿が頭に回っていたら命が危なかったかもしれません。早く対処できて本当によかったですね。」
そう言われた。
そんなに大変な事態だったのかと驚いたのと同時に、欲しい言葉ではなかったので複雑な気持ちだった。
もっと早く総合病院で診てもらえていたら。
あのとき救急車を呼んでいたら。
もしかしたら失明せずに済んだのかもしれない。
もっと言えば、無理をせず働いていれば。
最初の副鼻腔炎の手術を受けなければ。
どれかひとつでも違っていたら、結果は変わっていたかもしれない。
たくさんの後悔が残った。
今後の教訓として、のたうち回って眠れないほどの痛みがあるときは普通じゃない。
迷わず救急車を呼ぼうと思った。
6年経った今では、片目の生活にも慣れた。
距離感が掴みにくくなって車の運転はできなくなったけど、それ以外は以前とほとんど変わらない。
冬季うつとの関連を指摘されたときは、少し落ち込んだ。
左目が光を感じないことで、日照不足になりやすくなるためだ。
でも今は、少しずつ受け入れられるようになってきた。
それでも、誰にでも打ち明けられる話ではない。
今回の記事も、実はかなり前に書いたものだった。
でも投稿するのが、ずっと怖かった。
可哀想だと思われたくない。
でももしかしたら一番「かわいそうだ」と思っていたのは、自分自身だったのかもしれない。
書けば、少しだけでもその気持ちを手放せるかもしれないと思った。
まだ分からないけれど、こうして知ってもらうことで、何かが変わる気がしている。
いつか堂々と、片目の生活について語れる日が来たらいいな。
そして誰かの不安を、ほんの少しでも和らげられたら。
長くなりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
こまち
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