ぐるぐる行政
立ち尽くす自治体の無限ループの現実
ぐるぐる行政
現代の地方自治体が直面している課題は、決してテクニカルなことではなくその多くが「同じところをぐるぐる回っているだけ」という、思考停止と行政運営の慣性によって生み出された無限ループに起因する。
「ザ・ぐるぐる行政」
今までの行政のやり方や思考回路は、もはや通用しない時代に突入していることはザ・公共施設マネジメントやザ・PPP/PFIがこれまでの世の中を見れば明らかなのにもかかわらず、多くの自治体ではその現実から目を背け、既存の延長線上で物事を処理しようとし続けている。
この慣性の結果、まちの衰退スピードは異常に早く、「言われたとおりにやったのに」あるいは「やらされている」といった責任の所在を曖昧にする・人のせいにする・現実を直視しない令和版失敗の本質が繰り返されている。
まさに「ぐるぐる行政」・・・
公共施設・インフラ問題の深刻さ
特に公共施設やインフラを巡る問題は深刻である。公の施設が愛されていない現実、そして将来的な改修改築費が到底賄えない途方もない額に達している状況はスペランカー以上の「無理ゲー」状態でシビアである。
この絶望的な状況を前にしていても、多くの自治体は「計画づくり」という名の無限ループに陥っている・そこに自ら留まって「ぐるぐる行政」で表面的に安住している。総合管理計画を作成し、個別施設計画を作り、財務諸表の作成と表面的な分析を繰り返す。しかし、これらの計画は机上で作成され、シビアな三次元の世界で役立つことはない。
計画を作っても誰も手を動かさず、結局、数値だけを作っても何の意味も持たない時間と金の無駄となっている。これこそが「ぐるぐる行政」の象徴である。
こうしたことを散々指摘してきたのに、残念ながらその闇は相当に深い。
ある自治体でのアドバイザー業務に携わる中で、本人たちは非常に頑張っていることは間違いないが、先日もまさにこの「ぐるぐる行政」に陥っている現実を目の当たりにした。
サウンディングへの躊躇と行政の慣性
サウンディングの意義
アドバイザーとして施設所管課等が「自分たちの抱える課題」と「どうやったら解決できそうか」を自分たちで考えプレゼンし、徹底的にディスカッションしながら、形になりそうなものから順に具現化していく「まちみらい流」で順調に本年度からスタートを切ったある自治体。
公共施設等の利活用プロジェクトを支援する中で、職員の方々が詳細な基礎調査を行い、現状分析や課題認識を自分たちなりに深く掘り下げていることは把握している、その調査のボリューム・質・密度は相当なものであることは資料を見れば明らかである。
しかし、プロジェクトを具体的な事業化へと進めるための市場との対話――すなわちサウンディング(官民対話)を実施する段階で「もっと自分たちで諸条件や実態を把握しないと民間と対話できないのではないか」と、この自治体がなぜか躊躇してしまっていた。
サウンディングとは、公募前の早い段階で、新たな財政負担をかけることなく市場の状況を確実に把握し、民間のノウハウや意見をプロジェクトに組み込む可能性を探るための極めて重要なプロセスである。
民間事業者側から見ても、早い段階から参入し、自分たちの得意な方向にプロジェクトを持っていくチャンスがある。
行政運営の思考回路・行動原理
それにもかかわらず、自治体がサウンディングに踏み切れない背景には、旧来型の行政運営の慣性、「ぐるぐる行政」の闇がある。行政運営とは、法律に従って組織や物を動かし、言われたことを言われたとおりにきちんとやることである。これは、まさに庁内での整合性を図り、前例に沿って物事を進めることを是とする思考回路である。
(一方で自治体経営とはその文字どおり、「総称としてのまち」を「営んでいくこと」であり、行政運営と自治体経営には決定的な違いがある。)
どれだけ行政が自分たち「だけ」で詳細な調査をしても、肝心の市場性や事業採算性、そして民間事業者の関心度といった「現実的な要素」が欠落したまま庁内の議論だけが続いてしまう。
本当にできるのか、このような状態でやっても質問に応えられないかもしれない、誰か反対したらどうしよう・・・不安だけが募り、また同じような調査を繰り返す。
これは、行政内部の論理だけで物事を進めようとする姿勢の表れであり、本来、多様な主体や時間軸を考慮しながら「まち全体を営む」自治体経営とはかけ離れた行為である。こうして、庁内での議論が同じところを回り続ける「ぐるぐる行政」に陥る。
外界との拒絶
職員自身が「自分たちでよく調べてきた」事実・自負を持っているにもかかわらず、その調査結果を市場に照らし合わせる決定的な一歩を避けたり躊躇してしまう。これにより、プロジェクトは庁内で「ああでもない、こうでもない」と同じ論点、同じ懸念、同じリスクを延々と議論し続けることとなってしまう。
「ぐるぐる行政」では何も具体的な成果を生み出さない、時間だけを浪費する状況を生んでいる・許容しているだけだ。その間にまちは圧倒的なスピードで衰退するし、職員自身も「無駄な時間」により消耗してしまう。
この膠着状態に対し、案件協議の場では職員の一部から「サウンディングをすることで出口のきっかけが見えるのではないか?」という至極当然な意見が出された。この職員は既に別のプロジェクトでサウンディングを実施しており、側から見ていてもこの数ヶ月で圧倒的に進化している。
これは、市場のリアルな声を聴くことで机上の論理ではない三次元の世界で通用する解を見つけ出そうとする建設的な発想であり、貴重な経験知である。サウンディングは行政が想定していなかった民間事業者の持つノウハウや資金、そして「何をしたいのか」というビジョンをブラッシュアップさせ、硬直化した行政のプロセスに風穴を開ける役割を果たす。
「ぐるぐる行政」から脱却するきっかけにもなりうる。
宮崎市の事例
例えば、宮崎市では旧橘ホテルの跡地活用をサウンディングした結果、民間資本による再生という可能性が見いだされ、青島ビーチパークに成功事例につながっている。市場と対話するからこそ、そのプロジェクトが「ハマるか」というリアルな市場性を探ることができる。
そして、こうした「行政としての明確なビジョン」と「市場との積極的な対話」がもたらす効果は、上記記事で宮崎市の清山市長が語っていることが物語っている。
「忙しいからできない」はプロの言い訳ではない
実態からくる素直な懸念
サウンディングの必要性、つまり「出口のきっかけ」が見えることの価値が認識された一方で、当該会議では別のメンバーから「そうした作業に当てられる時間がどれぐらいあるのか」という懸念、「(必要性は理解したけど)忙しくてできない」素朴・素直な意見であり、同時に言い訳である。
10年前と現在を比較してみれば、現在の行政職員が抱えている状況が深刻で、コンプライアンス・形式的な働き方改革等で苦しいことは間違いないが、「忙しい」を口にして思考停止してしまうことも「ぐるぐる行政」の典型的なロジックだ。
この「忙しい」という言葉は、行政職員にとってルーティンワークや事後対応に追われている現実を反映していることは間違いないし、気持ちは十分にわかる。
しかし、プロフェッショナルとしての視点に立てば、「手を止めていることが一番もったいない」。行政職員の最も重要な役割は、定型的なルーティン業務(伝票・草刈り・清掃・ビルメンテナンス業務・議事録作成・苦情対応など)ではなく、まちのことを考え、プロジェクトを創出することにある。にもかかわらず、行政職員は、伝票処理や個別業務の発注・検収といった膨大なルーティン事務作業に時間を奪われている。

包括施設管理業務すら導入していない自治体を見ればわかるように、庁舎関連の保守管理だけでも、施設所管課や会計課がハンコを押す伝票処理に多大な時間とコストがかかっている。
時間の再構成・再配分
ここで必要なのは、短期的な忙しさから逃れるための短絡的なエクスキューズや思考停止ではなく、「時間を再構成・再配分」する経営的な視点である。包括施設管理業務のような効率化の取り組みを行うことで、年間で発生していた膨大な枚数の発注・伝票等の業務を、一本化された契約によってわずか12枚/年(対象となる全施設の伝票が1枚/月)に集約することが可能となり、事務コストが圧倒的に削減される。このルーティン業務から解放された職員のマンパワー(リソース)こそが、本来まちの未来を考えるための将来的な時間・リソースとなる。
物理的に忙しいことは間違いないが(←プロなんだから暇ではいけないw)、包括施設管理業務の導入やサウンディングのように、近い将来のために労力を投じることは、短期的には確実に「これまでになかった」時間を必要とする。
「忙しさ」を増やすように見えるかもしれないが、その後の恒常的なルーティンワークからの解放、手続きや試行錯誤、そしてコケたことの言い訳を作る、やらなかったことによって発生する事故等のリスク・時間を回避することで、将来的な時間は圧倒的に浮いてくる。
今、10時間かけることが自分だけでなく庁内全体の数百時間の時間を削減する、しかもそれが恒常的に続くものだとしたら、今の10時間は「忙しい」ことと差し違えるだけの価値がないだろうか。
≠短絡的な外部委託
机上の試算や可能性調査、アドバイザリー業務に何千万円もの税金を費やしながら、結局何も形にならなかった事例は枚挙にいとまがない(例:鹿児島県の総合体育館整備を巡る混乱ではコンサル委託費が合計59,000千円に上った)。これらは、目先の時間や労力を惜しんで本来は「自分たちが主体的に行う」べきビジョンの作成・民間との対話という本質的なプロセスを飛ばし、短絡的なコンサルへの外部委託だけで「やらされているからやっている」だけで進めようとした結果である。そうした意味では自業自得以外の何物でもない。
そして、そうした「あなたの心の弱さ」によってコンサル・ベンダー・監査法人等に侵食される隙を与え、もっと大きくて多様な人々が生活するまちを「喰われる自治体」へ堕としてしまうのである。
忙しい≒やらない理由≠できない理由
「忙しいからできない」態度は、単に「やらない理由」を探しているエクスキューズに過ぎず、「手を動かして結果を出すことが全て」であるプロとしての本分に反する。
同時に、「忙しいから」と言ってしまった時点で試合放棄によって終わってしまうし、まちの衰退を自ら許容してしまう、残酷な現実を先送りにしている行為に他ならない。
「あなたがやらないこと」によってまちを衰退させてはいけないし、「やらない」ことと「できない」ことは同義ではない。少なくとも自分の経験上、やろうと思ったことがテクニカルな理由でコケたことは1度もない。
コケるのは、自分たちの高い事務処理能力を自ら封印し、誰かが「言い訳する・知らん顔する・裏切る・諦める」からに他ならない。
何もしないことの代償と事後対応の悪循環
何もしないからいつまでも「忙しい」
目先のルーティン業務に時間を費やし、将来への投資を怠る・可能性にかけることを放棄することの代償は大きい。何もしないから、いつまでも状況は変わらず、事後対応でつまらないルーティン業務がずっと残り続ける。
それだけでなく「本来やらなければいけないこと≒まちの未来を創ること」もルーティン業務に忙殺されてやる時間がなくなり、公共施設・インフラの老朽化だけでなく市民サービスも低下させ、そうしたことに失望した「動ける人」から順にまちを去り、更に打てる手がなくなる、一緒に組める人が消えていく。
ぐるぐる行政は、こうして日常業務を終わりなき繰り返し、更には自分たちで自分たちを「更なる生産性のない多忙」に陥れる。
自分たちが蓄積した課題でしかない
今のあなたのまちの実態・現実は、過去から今日までに様々な社会経済情勢や政治的なことも含めて関係者が「自分たちで選択してきたことの蓄積」でしかない。
つまり、行政が過去から今日までに積み上げてきた課題、すなわち公共施設の老朽化やインフラの劣化は、将来世代の問題ではなく「今日の人たちがケリをつけるべき」現実・課題である。
維持管理や更新への必要な投資を「忙しい・金がない」等の短絡的な言い訳で怠る、あるいは「みんなが言っているから」と表面的な合意形成を優先して身の丈を超えたハコモノを整備することで、施設はどんどん愛されなくなり、富岡市の庁舎のように僅か数年で腐食し、直すお金もなく残置されてしまう事態が発生してしまう。
規模や深刻度は違うだろうが、これも「あるある案件」でしかない。
「朽ちるインフラ」の顕在化
さらに深刻なのは、インフラの老朽化である。高槻市のブロック塀崩落事故や八潮市の道路陥没事故に見られるように、公共施設やインフラの老朽化は100%確実に予見でき、避けることができる問題であるにもかかわらず、見て見ぬフリをして事後対応に追われることになる。これは人災であり、その責任は公務員が取らなければならない。
実際にふじみ野市のプール事故では、当時の担当課長と係長が刑事罰(執行猶予付き)を受けることとなった。
日々の点検や管理が不十分なため、小さな不具合が放置され、結局は大規模な事故として顕在化し、結果として多額の事後対応とつまらない事務作業、更には自分の人生にも取り返しのつかない禍根を残してしまう。
高槻市のブロック塀崩落による事故(事件)以降、全国の自治体が慌ててブロック塀の緊急点検・撤去を行なったのは、まさにこれであるし、表面的にブロック塀「だけ」にフォーカスを絞ったのは本質的なことではない。
これに比べたら、今、少しの労力をかけて市民の生命財産に対するリスクヘッジをすること、そして自分たちの時間という貴重なリソースを他に回すことができるようにすること、心も含めて余裕を確保することがプロとして求められる決断であるはずだ。
小さな労力の投下によるリスクヘッジ
例えば、施設管理の分野において、流山市では当時は正直あまり意味がわかっていなかったが、全国初となる公募型のデザインビルド型の包括施設管理業務を導入し、施設所管課が個別の発注・伝票処理に費やしていた膨大な時間を削減し管理の質を向上させた。
これは、既存の慣習(例:施設・設備ごとに保守点検関連の見積を徴し、個別に予算要求・発注・契約・検収・支払等の業務を当たり前のように何十年とわたって繰り返していたこと)によって生じていた無駄な手続きや施設劣化の悪循環を断ち切るための、意識的な「労力」の投下である。
また、プロジェクトの初期段階で市場の声を聴くサウンディングに徹底的な営業を含めて「労力」を割くことは、後の手戻りや公募の不調、そして市民からの反対による炎上リスクを低減する。
仮にサウンディングで事業性が低いことが判明すれば、そこで潔く手を引くこともできるし、できる規模でやっていれば軌道修正できる余力を残すことができる。事前の小さな労力の投下は、将来の「再起不能になるほどの失敗」を防ぐための保険でもある。
経営的な視点
こうした判断をしていくためには、自分たちのまちの経営状況を正しく認識する覚悟と同時に、将来まで見据えたまち全体のバランスシートを俯瞰的に見て適正に覚悟・決断・行動していくことが必要である。
例えば、山奥の小さな集会施設の廃止議論に多大な人件費を投入しても、「固定資産台帳上の価値が備忘価格でたった1円」の施設に数百万円から数千万円の職員の人件費と時間、最悪の場合にはコンサルへの委託費まで含めて膨大なリソースを浪費することでしかなく、そこから得られる経営的メリットは皆無である。
むしろ、経営的に持つことが難しい大規模施設から優先的に見直し、民間との連携によってコスト削減や歳入確保を図る方が、遥かに大きな経営的メリット(バランスシート上で動く金額のゼロの数・単位が全く違う)を生み出す。このような将来を見据えた経営的な判断を行うために、今、時間と労力を割くことが最優先事項である。
(民間に頼む予算がないからといって)職員の高い人件費を使って草刈りや道普請をしている場合ではないし、「ぐるぐる行政」をやっている場合ではない。
行政の覚悟と「まちのため」という原点回帰
改めて覚悟・決断・行動
結局のところ、この行政の無限ループ≒「ぐるぐる行政」を断ち切るために必要とされるのは、テクニカルな手法(PPP/PFIの知識)よりも「覚悟・決断・行動」である。ぐるぐる行政を抜け出すための前提条件として求められることは、最新のDX等の流行り言葉や国の方針等ではなく、一人ひとりの当たり前のプロとしての姿勢だ。
行政の職員は、長の補助機関として首長が正しい経営判断(政治判断)を下せるよう、そのための政策を打ち出していくのが役割である。そのためには、自分たちの判断、提案、そして行動が、「そもそもまちのためにやっている」という原点に立脚している必要がある。
それができているか判断するのはそんなに難しくない。
自分の大切な人・身の回りの人・地域のプレーヤー等に「今の自分の仕事」「今日やっていたこと」「これからやること」「自分が下した判断」を堂々と言えるかどうかである。
「行政の内部でしか言えない」(≒実名での議事録公表を嫌う)ような思考回路・行動原理でやっているから「ぐるぐる行政」から脱却できないし、結局は井の中の蛙、社会と断絶しているのである。
まちの中枢的な機能を担うはずの行政が「ぐるぐる行政」で自縛(≒自爆)し、まちと断絶して良いわけがない。
自治体経営への転換
地方自治の仕組みは、戦後の焼け野原の時代に作られたものであり、既存の延長線上では現在のまちの抱える複雑で輻輳化した問題には太刀打ちできない。現在、自治体経営において求められているのは、法律に従って組織を動かす「行政運営」ではなく、民間事業者やNPO、文化、歴史、風土、そして時間軸といった多様な要素を考えながら、「まち全体を営む」自治体経営への転換である。
しかし、「行政運営」の思考回路に留まっている職員や自治体は、いまだに民間事業者が公共資産を活用して利益を上げることを「けしからん」と批判しがちである。だが、民間事業者は利益を得て初めて経済合理性と持続可能性が生まれ、その利益は質の高い公共サービスを提供するための不可欠な要素となる。
持続可能性≒経済合理性
同時に、民間事業者だけでなく行政にも経済合理性が求められる。資本主義の社会における持続可能性は経済合理性が大前提となる。どんなに素晴らしい政策・プロジェクトであっても、そこに経済合理性がなければ金が尽きた瞬間に持続可能性は喪失してしまう。
今回のnoteのきっかけになった自治体でも「やらなければいけないビッグプロジェクト」がいくつかあるが、まちの経済構造が現実的に(終焉が間近に迫った制度欠陥の)ふるさと納税に依存しているが、財政課長はふるさと納税を原資に短絡的にやってしまうことへの「正しい懸念」を持っていることが救いでもある。
行政がやるべきことは、自分たちのまちの地域プレーヤーが利益を右肩上がり・複利的に伸ばしていけるようサポートする、民間がビジネスになる仕組みを構築していくことである。その一つの方法論として公共資産を民間事業者が活用して、民間の知的財産を生かしたクリエイティブなプロジェクトを創出していくことも出てくる。その副次的な効果としてまちの価値が向上したり、税収につながっていく。
そのまちの民間事業者が利益を上げるからこそ、その一部が税金として納められ、それがまちを動かすための原資であり投資につながることを忘れてはいけない。
昭和100年からの脱却
こうしたことは旧来型思考回路・行動原理の昭和100年の世界の「ぐるぐる行政」で欠落した概念であり、量産型・コモディティ化した公務員養成の職員研修やセミナーやノーリアリティのシミュレーションゲームでの意識「だけ」高い系、形式的・空中戦の有識者委員会への依存、お花畑の市民ワークショップへの責任転嫁、貴重な税金を喰われる自治体としてコンサル・ベンダー・監査法人等へ垂れ流し続ける慣習を「全て」断ち切ることが最初の一歩になる。
そして、それは個々の職員が「本当にそれでいいのか?」を意識すれば十分にできることであるはずだ。
「まちのために」覚悟・決断・行動するとは、行政が市民の「消費者としての声」を把握して尊重しつつも、まちとしての経営判断と混同しないことである。市民ワークショップ等で「お花畑なこと」を議論している暇はないし、ノーリアリティのシミュレーションゲームをやっていても実際の「非合理的」な現場では全く役に立たない。昭和100年の世界では、強烈に早いまちの変化についていけるはずもない。
経営判断には必ず、誰かに不利益を与える側面も存在するが、それを承知の上で「どこを向いて一本一本の政策を打つか」を決定する経営者としての覚悟・決断・行動が求められている。
こうした意味でサウンディングを実施することの背後にある意味とは、自分たちで考えた仮説・ビジョン・コンテンツ・与条件等を踏まえて市場と真摯に対話し「自分たちがやりたい・ありたい」未来の姿を実現するために、基本計画等で定められた制約や庁内・議会での反対意見を乗り越えていくための最初の1歩である。
サウンディングは単なる行政のアリバイ作りや情報収集ではなく、行政の本気度を示す行動そのものであり「ぐるぐる行政」から抜け出すための必然的なプロセスであることから、躊躇する理由はどこにもない。
「ぐるぐる行政」から抜け出し、経験知を蓄積する
小さなことからコツコツと
「ぐるぐる行政」、同じところをぐるぐる回っているだけの無限ループから脱却し、まちにポジティブなムーブメントを起こすには、小さなことから実践し、経験知を蓄積していくことが不可欠である。
今、この瞬間に1,000千円の小さな予算・プロジェクトすら動かせない人が、将来的に1,000百万円のプロジェクトを動かせるわけがない。小さなプロジェクトを自分たちで企画・実践してみて、コケながら学び、その経験を通じて「自分たちらしいやり方」や、まちの意思決定のキーマンが誰なのかを見極める能力を身につけていく。
有料広告・庁舎の未利用スペースへの自動証明写真機導入による歳入確保、電力調達の見直し・省エネ推進プロジェクト・PHS導入による固定電話料金の削減 など、(当時の)流山市で実践された本当に小さな工夫の積み重ねは、個々の成果額は小さくとも、庁内の理解者を増やし、組織としての自信(あれができたのだからこれもできる)を醸成する。
この小さなプロジェクトの経験知こそが、例えば包括施設管理業務でしばしば課題となるマネジメントフィーの問題で思考停止に陥らず「それ以上のリターンは自分で調達する」(≒単年度会計・現金主義の予算書上で見かけ上増える歳出に対してそれ以上の歳入を確保することで歳入欠損を発生させない)というプロ意識を持つための基盤となる。
「ぐるぐる行政」は、小さなプロジェクトを蓄積することによっても打破できる可能性がある。
まちとしての総力戦
「まちとしての総力戦」とは、行政、民間、そして地域プレーヤーがお互いのリソースとノウハウを掛け算し、どちらかだけでは創れない世界を創っていくことである。行政職員は、デスクに座って計画を練り続け「ぐるぐる行政」に引き篭もるのではなく、自らまちに出て自分の金をまちで散財し、地域のプレーヤーが何に悩み、何をやりたいのかを現場で知る必要がある。
こうしたことによって生まれる有機的なネットワークが構築されることで、行政と民間がお互いに信頼し合える関係が生まれ、「何がまちにとって必要なのか」がはじめて見えてくるし、どこがトリガーになるのかがわかってくる。その瞬間には「ぐるぐる行政」などという小さな檻はなんの意味も持たなくなるし、クリエイティブなプロジェクトの創出される可能性は飛躍的に向上しているはずだ。
手を動かさず、同じところを回り続ける「ぐるぐる行政」の職員・自治体に未来はない。今こそ、その無限ループを自らの覚悟・決断・行動で断ち切り、まちの将来のために「出来ることをやることをやる」ことが求められている。そして、そのヒントはすぐ近くにいっぱい転がっている。
お知らせ
2026年度見積受付中
現在、2026年度のまちみらいとしてのアドバイザー業務・個別案件等の見積を受付中です。
受託できる数には物理的な制約がありますので
・既契約のところ
・早くお問い合わせをいただいたところ
・モリモリパックで検討いただけるところ
・やる気のあるところ
から順に対応させていただきます。
ぜひお気軽にお問い合わせを。
2025年度PPP入門講座
約10年間にわたって毎年定期的に実施してきたPPP入門講座。
本年度も2025年6月27日まで全6回、会場・オンライン合わせて過去最高の533名(終了時)にご参加いただき大変ご好評をいただきました。
全6回(各回_60分×3コマ)にわたって、弊社の基本理念である「現場重視・実践至上主義」に基づいた生々しいリアルな姿を事例を通じて学んでいくものですが、教科書的な「PFI法に基づくPFIとは」「VFMの算定方法」「事業手法比較表」等の話は一切ありません。
最近、類似の「PPP入門編」のセミナー・勉強会があちこちで開かれているようですが、それらとは一線を画す超オリジナリティ溢れたものになっています。
今回は更に内容をブラッシュアップして、能登地震・八潮市の道路陥没事故・Next PPP/PFIや事業パートナー方式なども交えながらPPP/PFIを解説しています。
来年度の開催時まではアーカイブ配信をご覧いただけますので、今からでもぜひお申し込みください。
※詳細はリンク「まちみらい公式HP」をご覧ください。
noteプレミアムへの移行
2025年1月からまちみらい公式noteは「noteプレミアム」に移行しました。(単純に今まで知らなかっただけ。。。)
noteにコメントも受け付けています。双方向型になっていけるようコメントにはレスを入れていきます。記事の「いいね!」も積極的にお願いします。
また、最下段にあるように「投げ銭」は絶賛募集中ですw
実践!PPP/PFIを成功させる本
2023年11月17日に2冊目の単著「実践!PPP/PFIを成功させる本」が出版されました。「実践に特化した内容・コラム形式・読み切れるボリューム」の書籍となっています。ぜひご購入ください。
PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本
2021年に発売した初の単著。2025年5月現在7刷となっており、多くの方に読んでいただいています。「実践!PPP/PFIを成功させる本」と合わせて読んでいただくとより理解が深まります。
まちみらい案内
まちみらいでは現場重視・実践至上主義を掲げ自治体の公共施設マネジメント、PPP/PFI、自治体経営、まちづくりのサポートや民間事業者のプロジェクト構築支援などを行っています。
現在、2025年度後期以降の業務の見積依頼受付中です。
投げ銭募集中
まちみらい公式note、世の中の流れに乗ってサブスク型や単発の有料化も選択肢となりますが、せっかく多くの方にご覧いただき、様々な反応もいただいてますので、無料をできる限り継続していきたいと思います。
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そんななかで「投げ銭」については大歓迎ですので、「いいね」と感じていただいたら積極的に「投げ銭」をお願いします。
