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安心の本質と、余白

ふと思った。
安心とは、生きていていいよ、という許可を自分に出すことになるのでは?

不安な状態の時は、「私は危険だ」「失敗してはいけない」モードになるのに対して、安心した状態の時は「私はここにいていい」「今の自分でも存在してもいい」という状態になるのではないか。

そうなると、安心とは「何かができるから生きていていい」ではなく、「ただ存在しているだけで、生きていていい」と自分に許可を出せる状態のことではないだろうか。

ここ数ヶ月の思考により、人の根っこにある願いは、安心なのではないか、と思っている。
お金を求める、認められたい、愛されたい、成功したいなど、その奥には「生きていていいよ」を感じたいという願いがあるのではないか。

反対に「お前はダメだ、バカだ」と怒鳴られると、その言葉以上に心が揺れる。
これは脳が「存在を脅かされた」という防衛反応だそうだ。
そして胃が痛くなったり、身体が固まったりする。

だからこそ、最近たどり着いた思考、
・自分を一番大切にする
・時間は命である
・安心が本質なのでは
これらの点が全部一本の線でつながってきたと思うのではないか。

安心とは、「私はこのままで生きていていい」と自分自身に許可を出し続けられること」なのではないだろうか。


去年を思い返すと、余白がなさすぎて心も脳もずっと危険モードだったように思う。起業して、支配されて、家族ぐちゃぐちゃになって、借金もして、そうなると脳は生き延びることを最優先にするそうだ。

当然、広い視野で考えたり、自分を労ったり、将来を楽しみにしたり、生きていていい、と感じたりする余裕がなくなる。
脳みそが真っ暗闇になったような、あの感覚。

反対に今は、安心とは何だろう?本質とは何だろう?など、立ち止まって考えることができる。
これは、余白が戻ってきたからだろう。

余白は、ただ暇な時間がある、というものではないと思っている。
余白は、自分の存在を脅かされていない時間
これがあるから、思考を深めることができる。
分解して、組み立て直して、シンプルにすることができると思う。

余白とは、自分に「生きていていいんだよ」と言ってあげられるための心の空間なのではないか。

この空間がなくなると、世界全体が敵に見えたり、自分を責めつづけたりするのではないか。世界が真っ黒になるのではないか。

反対に、この空間が戻ると、同じ世界でも見え方が変わる。
変わるどころか、全然違うものに見える。見えている。


去年の自分にひとこと言えるとしたら、何を言うだろうか。

「まずは何も考えない時間を作れ」

余白ゼロの脳では、新しい考えを受け入れる余力がない。
であれば、まずは余力を作らなければいけない。

そして、「答えはそのあと探せばいい」

苦しい時は、今すぐに答えを出さなきゃ、と思ってしまうが、実際は休むことで初めて見えてくる答えがある。
答えを出さないと、前に進めないと思っていた。

安心が根っこにあること、時間=命だということ、分解して組み立て直す思考、自分を一番大切にしていいんだという許可。

これらは余白が戻ってきたから、点として現れて、その一つ一つが結びついて線になったように思う。

将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。

スティーブ・ジョブズ

そう考えると、
「生き方を変えようとしなくていい。まず、心に余白を取り戻そう。
余白ができると、世界は自然と違って見え始めるから」

というようなことも、いいのではないか。

いや、それよりももっとシンプルに。
「だまされたと思って、余白を作ることだけに集中してみてくれ。
今は答えを探さなくていい。問題を解決しようとしなくていい。
まずは、脳と心が休める時間を取り戻そう。
答えは、余白ができてから、見えてくる」

余白ができると、安心できる。
そうすると、良い判断ができる。
まずは、余白が先だ。

反対に苦しい時は、
問題を全部解決できれば、安心できる。
安心できると、余白ができる、と思ってしまう。
逆なんだ。
これでは、本来と逆なんだ。
だから、苦しいままだったんだ。

まずは、余白が先。
余白ができないと、判断が変わるし、見える景色も変わる。
全然違う。
黒が白になるほど、まったく違う。

あれこれ書いてきたけど、これだ。
余白は、人生を立て直すための土台だ。


そして余白という土台の上に、安心という根が張るんだろう。
私の根は、まだまだ短い、まだまだこれからだ。


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