人生とは、自分という一つのシステムを理解して、その時々の環境に合わせて最適化しながら、一度きりの実験を楽しむ旅ではないか
最近、今までいろいろ思考してきた点と点が、
線でつながった気がしてきた。
人間も、企業も、社会も、本質は
分解し、構造を理解し、より良い形に組み立て直す、
これの繰り返しではないだろうか。
島田紳助は笑いを分解し、構造を分析して
教科書を作った。
企業は顧客心理を分解し、仮説を立て、
実践、検証、改善を繰り返す。
人間は自分の感情や思考を分解し、
本質を理解することで人生を再構築できる。
観察
⇒分解
⇒仮説
⇒実践
⇒検証
⇒再設計
この循環が、成長や改善の本質なのでは?
企業でいうとPDCA。
けれどこれは企業だけのものでなく、
人間も一緒なのでは?
原理は同じなのではないか?
とすると、
人間を理解すると世界の構造が見え、
世界の構造を理解すると人間も理解できる、
ということになるのでは?
そして人生の質を決めるのは、
努力の量ではない。
何をどの構造で捉え、どこに努力を投資するか、
努力より前に構造を見る、
ことではないだろうか。
自分とは、本来は魂で、自分という身体を借りていて、
その身体には性格があり、身体的な特徴もある。
それを分解し、組み立て直し、一番自分の特性を
発揮できるところに努力を積み重ねる。
環境が変われば、また組み立て直す。
そして、その過程すら面白がって、味わう。
構造を理解し、環境に合わせて最適化する。
それが、ご先祖様に生かしてもらっている
今の自分の身体への、最大限の感謝につながる
のではないか。
成長というのは、何かを増やすことではなく、
本来の自分を覆っているものを少しづつ
外していくことなのではないか。
思い込みを外す。
執着を手放す。
変わる、ではなく、還る。
そして自分を主人公として生きる、
ではなく
自分という主人公を観察する、
という視点を持つこと。
例えば
「今日は不安が強いな」ではなく、
「今日はこの身体、不安モードに入っているな」と見れること。
ゲームで例えると、
キャラクターを育てよう、
ではなく、
プレイヤーとしてキャラクターを操作し、その特性を理解しながらゲーム自体を楽しもう、という視点。
そうすると、失敗=ダメな自分、ではなく、
この環境では、この戦略は機能しなかったな、というデータになる。
責任論ではなく、構造を見る、ということになるのではないか。
自己啓発って、変わること、を目指しがちな気がする。
本当に大切なのは、変わることではなく、本来の自分に還ること、なのかもしれない。
そして自分を一歩引いて眺めて、
この身体や性格には、どんな特性があるのだろう?
今の環境では、どう組み立てれば一番力を発揮できるだろう?
と考えてみる。
そしてこの視点は、人間も企業も社会も、本質は同じなのではないだろうか?
環境が変われば構造を理解し、最適な形へ組み替える。
成功も失敗も、良い悪いではなく、構造を知るための、次に生かすためのデータになる。
人生とは、自分という存在を否定したり、無理に変えたりすることではなく、自分という一つのシステムを理解して、その時々の環境に合わせて最適化しながら、一度きりの実験を楽しむ旅、ということになるのではないか。
ここ数日、思考してChatGPTと会話して、自分の中で一本の線になった感覚があったのだけど、言語化して読み返すとあっちこっちいっているような気がする(笑)
結局、こういう過程も味わうのが、人生なのだと思う。
今のところこの身体はまだ動いてくれているので、この人生、力尽きるまで精一杯味わっていこうと思う。
よろしく、自分。
