水彩画と御城印で巡る 日本の名城 35 北陸を制した三つの城 ② ― 増山城、富山城、高岡城
山城から城下町へ ― 増山城、富山城、高岡城をあるいてみた
北陸地方の中央に位置する越中国は、
戦国時代、多くの勢力が争った重要な地域であった。
東には上杉氏、西には織田氏、そして後には前田氏が進出し、
この地を巡って激しい攻防が繰り広げられる。
また、日本海に面する越中は交通や物流の面でも重要であり、
山岳地帯と平野部が複雑に入り組む地形は、数多くの山城を生み出した。
戦国初期の越中では、山の地形を利用した防御重視の城が築かれる。
しかし時代が進むにつれ、城は平地へ移り、
城下町を伴う政治・経済の拠点へと変化していく。
その流れは、**増山城、**富山城、**高岡城という三つの城によく表れている。
本稿では、越中の三城を巡りながら、
戦国の山城から近世城下町へと変化していく北陸の歴史を辿ってみたい。
増山城 ― 交通の要衝に位置した越中最大級の山城

増山城は、和田川に囲まれた険しい丘陵地に築かれた大規模山城である。
戦国期に神保氏・上杉氏・一向一揆衆・織田勢など多くの勢力が争奪した、
北陸の重要拠点であった。
上杉謙信は「増山は元来険難の地」と書状に記し、堅固さを評価し、
越中を代表する戦国山城として知られている。
この城が特に重要となったのは、
戦国後期、**織田信長の家臣であった **佐々成政の時代である。
成政は越中支配を任され、この増山城を重要拠点として整備した。
しかし **本能寺の変後、豊臣秀吉と対立した結果、
越中支配を失い、前田家家臣が城代を務めた。
増山城最大の特徴は、山城としての遺構が良好に残っている点である。
深い堀切、複雑な曲輪、土橋などが現在でも確認でき、
戦国山城の防御構造をよく理解することができる。
特に尾根を断ち切る巨大な堀切は圧巻であり、
敵の侵入を防ぐために地形が巧みに利用されている。
実際に城跡を歩くと、曲輪が何段にも連なり、
山全体を要塞化していることがよく分かる。
ここには、戦国時代の緊張感が色濃く残されている。
越中戦国時代を象徴する巨大山城――
ここは **増山城である。
2022年7月23日
続日本100名城 No.135 増山城公式スタンプ取得

富山城 ― 川と濠に守られた平地の要衝築かれた城

富山城は、当初 **神保氏の居城として築城されたが、
**上杉謙信の攻略、**一向一揆の占拠、**佐々成政の入城など、
越中支配の中心地として争奪戦が続いた。
増山城は山中の防御拠点であったが、富山城は平地に築城されている。
これは、戦国末期になり、城の役割が変化したことを示している。
平地の城は、防御面では山城に劣る部分もある。
しかし一方で、交通や物流を掌握しやすく、
城下町が発展する利点があった。
富山城は神通川沿いに築かれ、水運を利用できる立地を持っていた。
そのため軍事拠点であるだけでなく、
経済や政治の中心としても重要であった。
戦国末期、佐々成政は、この富山城を拠点として越中支配を進めたが、
秀吉との対立の中で最終的に降伏し、越中は前田家の支配下へ入る。
現在の富山城は近代的に整備されているが、
周辺には堀や石垣の一部が残されている。
自然石を積んだ「野面積み」が特徴である。
山城から平城へと移る時代の変化を示す城ーー
ここは **富山城である。
2022年7月23日
続日本100名城 No.134 富山城公式スタンプ取得

高岡城 ― 水濠や土塁がほぼ当時のまま残る貴重な近世初頭の平城

高岡城は、加賀前田家二代当主・前田利長によって築かれた隠居城である。
関ヶ原の戦い後、前田家は徳川政権下で
巨大外様大名として存続することになる。
その中で利長は、高岡の地に新たな城と城下町を整備した。
高岡城の特徴は、水堀を巧みに利用した構造にある。
広大な堀が城を囲み、防御性を高めると同時に、
美しい景観も露呈している。
増山城のような山城と比べると、防御方法が大きく変化し、
自然地形よりも、人工的な堀や縄張りによって防御を構築している。
高岡城は軍事拠点というより、城下町と一体化した統治の城であった。
商業や交通を整備し、近世都市としての高岡の基盤が築かれていく。
現在、高岡城跡は高岡古城公園として整備され、
水堀や土塁が往時を偲ばせている。
近世北陸の安定と城下町形成を象徴する城――
ここは **高岡城である。
2022年7月23日
日本100名城 No.33 高岡城公式スタンプ取得

北陸越中の三つの城を巡って
増山城、富山城、高岡城。
この三つの城を辿ることで、越中の歴史の流れが見えてくる。
**増山城は、戦国の緊張感に満ちた巨大山城。
**富山城は、平地へ移る支配の拠点。
**高岡城は、城下町を伴う近世の統治の城である。
つまり、
山城から平城へ、城下町都市へ発展
という変化が、この三つの城には刻まれている。
越中は、上杉氏、織田氏、前田氏といった大勢力が争った地域であり、
その歴史は城の構造にも色濃く反映されている。
そして戦国の戦いの時代が終わると、
城は「戦うための城」から、「治めるための城」へと変わっていく。
三つの城を巡ることで、
越中が戦国の最前線から、
安定した北陸の城下町へと変化していった過程を感じることができる。
