人生後半、「こんなはずじゃなかった」に出会ったら
こんにちは、キャンディです。
おーーい!
想定外だぞーー!
どうすんだ、私ーー!
そんな出来事、皆さんの人生にもありませんか。
子育て中なら、大事な記念日や旅行、イベントの直前に、子どもがまさかの発病や大ケガ。
「え、よりによって今日?」と、愕然とするようなこと。
または受験の結果が思いがけず良くなくて、親子で顔面蒼白になったとか…
夫婦なら、突然の病気。
親の介護の始まり。
仕事や暮らしの変化。
半世紀以上生きていると、大きいことも小さいことも、まあ、あるわあるわ。
「ちょっとーー!こんなはずじゃなかったんですけど!」
ってこと。
若い頃は、予定通りに進むことが一番いいことだと思っていました。
失敗しないこと。
乱れないこと。
問題が起きないこと。
できるだけ平和に、できるだけ安全に、できるだけ想定内で。
でも先日、ある音声配信を聴きながら、自分の過去を振り返っていたんです。
すると、不思議なことに気づきました。
あの時は「もう終わった」と思った出来事も、今から振り返ると、必ずしもすべてが不幸の入り口ではなかったな、って。
もちろん、その最中はしんどいです。
笑えない。
眠れない。
絶望さえ感じてる。
でも時間がたってから考えなおしてみると、
「あの大事件があったからこそ、
今の自分がいるのかも」
と思えることもあったんです。
たとえば
私は、結婚するまで、かなり厳しい両親のもとで育ちました。
当時は自由度低く窮屈で、
子どもとしてはかなりイケてない環境(笑)
でも、そのおかげなのか、結婚して義理の父母と暮らすことになった時、素直にこう思ったんです。
「え、天使?」(笑)
もちろん同居なので大変なこともありました。
でも、私にとって義理の父母は、想像していたよりずっと穏やかで、優しくて、ありがたい存在でした。
厳しい環境で育ったことが、まさか結婚後の人間関係をラクにしてくれるとは。
人生、どこで何が役に立つか分かりません。
そしてもう一つ。
私は24歳で夫と結婚した時、勝手にこんな夢を見ていました。
30歳までに子どもを3人産んで、にぎやかな家庭を作るんだ、と。
ところが現実は、32歳まで7年間の不妊治療。
手術もあり、治療もあり、心も体もかなりしんどい時間でした。
「こんな20代の予定じゃなかったんだけど…」
でも、今振り返ると、その7年間に私がストレス発散にやりまくっていた“ムダなこと”。
手芸。
お菓子作り。
ピアノ。
それが、いざ娘が生まれてから、びっくりするほど役に立ったのです。
手作りのものを作る。
一緒にお菓子を焼く。
音楽で遊ぶ。
家の中で小さな楽しみを見つける。
気づけば、あの頃の“ムダ”が、子育ての道具箱になっていました。
おかげで私にとって子育ては、かなりパラダイスでした(笑)
さらに50歳。
やっと子育てがひと段落したと思ったら、世の中はコロナ渦。
何か新しい趣味を始めたいと思っても、外にはなかなか出られない。
仕方なく、なんとなくオンラインの絵画教室をポチッと申し込みました。
ところがそこで、尊敬するアーティストとの運命的な出会いがありました。
そこから絵を描くようになり、SNSに投稿するようになり、noteを書くようになり、今の私の発信の世界が開いていったのです。
あの時、コロナじゃなかったら。
オンラインじゃなかったら。
たぶん今の私は、ここにはいません。
人生の「こんなはずじゃなかった」は、渦中にいる時はただのトラブルにしか見えません。
でも、時間がたって振り返ると、意外と伏線だったりする。
あの時の苦労。
あの時の遠回り。
あの時のムダ。
それらが後からひょっこり顔を出して、
「実は私、ここで役に立つ予定でした」
みたいな顔をしてるんです。
もちろん、これから先も人生にはきっと
「がーーん、こんな予定じゃなかった、私の人生後半は!」
と叫びたくなる日が来るのだと思います。
親のこと。
夫婦のこと。
自分の体のこと。
娘の人生のこと。
暮らしの変化。
50代以降は、若い頃とはまた違う種類の“想定外”がやってくる予感しかしません。
できれば来ないでほしい。
でも、そんな時にすぐ
「もう終わった」
「最悪だ」
「私の人生、ここで詰んだ」
と決めつける前に、少しだけ過去の自分を思い出してみたいのです。
その時は、ぜんぶ
「そんな予定じゃなかったんですけど!」
だった。
でも今振り返ると、そこから確かに育ったものがある。
だったら、これから先の“がーーん案件”にも、ほんの少しだけこう思ってみてもいいのかもしれません。
「ひょっとしてこれ、何かの入り口かも?」
もちろん、渦中でそんな達観はできません。
まずは普通に落ち込みます。
顔面蒼白になります。
でも、心のどこかに小さく置いておきたい。
この想定外が、いつか何かを好転させるきっかけになるかもしれない。
そんな余裕を、ちょっとだけかましていきたい。
人生後半の50代として。
