ライブの余韻と、帰り道に感じた言葉の温度
ドリカムのライブは、いつものように胸に深く響きました。
でも、この夜はなんだか少しだけ特別でした。
夫婦それぞれが別の余韻を抱えながら、同じ帰り道を走っていく。
そんな不思議な温かさがありました。
会場を出ても耳の奥にリズムが残り、夜風が火照った肌に心地いい。
4人で会場を後にし、夫の友人夫婦とファミレスで遅い夕食をとり、
その後、私たちは家路につくため車を走らせました。
窓の外を流れていくビルの光を眺めながら、胸の奥に静かな温かさが広がっていくのを感じていたのです。
ライブの迫力や歌声の余韻に浸って、心がふわっと軽くなる。
一方、夫は友人と過ごす時間を楽しんでいました。
同じ場所にいても、心が向かう方向はまったく違う。
それでも帰り道に漂う「楽しかった」という空気は、言葉にしなくても分かる。
長く一緒にいる夫婦らしい、静かな満足感でした。
ライブの前後、夫とその友人はずっと喋っていました。
学生時代からの仲で、会えばすぐに昔の空気に戻る。
年を取っただの、体が痛いだのと言いながら、六十歳のおじさん二人が少年みたいに笑っている。
その姿を見ると、微笑ましくて、こちらまで嬉しくなります。
友人の奥さんと私は少し離れたところから
「ほんと仲良いよね」
と笑い合うのが、いつものお決まりです。
けれど、夫が私に向けて
「体が痛い」「面倒くさい」
と言うたびに、つい「またか…」
と思ってしまいます。
生活の中で聞く弱音は、どうしても重く響く。
長く一緒にいるからこそ、言葉の裏にある疲れや投げやりさまで受け取ってしまうのだと思うのです。
私の返事が届かないように感じることも……
でも、同じ言葉を友人に向けて話すとき、夫の声は不思議と軽い。
弱音というより、ちょっとした笑い話みたいに転がっていきます。
その軽さが、聞いている私にも伝わってきて、思わずつられて笑ってしまいます。
ずっと一緒にいるからこそ言えなくなる言葉があり、
逆に、他人だからこそ軽く言える言葉もある。
その違いを、夫の横顔を見ながらふと考えていました。
夫婦という関係は、近すぎるがゆえに、言葉が重く変質してしまうことがある。
でも、だからこそ他人との会話で見せる軽さが、私たちの関係を少し楽にしてくれるのかもしれない。
ライブの余韻に浸る私と、友人との時間の余韻に浸る夫。
それぞれの心が満たされて、二人で車に乗って帰る。
その帰り道が、単なる移動ではなく「ドライブ」に変わるのは、二人の充足感が静かに重なり合っているからかもしれません。
都会の光が遠ざかっていくのに、不思議と寂しさは感じなかった。
むしろ、「今日っていい日だったな」と思える温かさが胸に残っていました。
心の中でそっと
「友達、ありがとう」とつぶやく。
フロントガラスの向こう、どこまでも続く夜の道。
その先に続く明日が、少しだけ楽しみになっていました。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします😊いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます