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自家造血幹細胞移植にいたるまで


はじめに

ソン・ユミです。結婚した途端に韓国人夫が白血病(CLL:慢性リンパ性白血病)と診断され、初めての海外生活、結婚生活、病院通院。大きな病気と、韓国文化、韓国語に奮闘する日々の記録を書いています。2024年秋の治療開始から、自家造血幹細胞移植そして、寛解までの5年間のお話です。

前回の記事で、自己紹介とこれまでのことを詳しく書いていますので、お時間のある方はこちらも合わせてご覧ください。

さて、今回は治療日記の最初の1ページ。何から始めようかかなり悩んだのですが、Rちゃんの2年あまりの治療の集大成とも言える、「自家造血幹細胞移植」の話を、一番最初に記録しておこうと思います。毎回長くなりすぎないように、少しずつ書いていきます。読みづらい部分もあるかもしれませんが、読み飛ばしながらでも、お付き合いいただけたら嬉しいです。

今回の登場人物

 
|ソン・ユミ・・・韓国語が話せないまま嫁いできた。茶道を20年やってきた完全に文化系で、性格は韓国では通用しない「おっとり系」のアラフォー。
Rちゃん|私の韓国人夫・・・45歳。20代の頃は身体を鍛えるのが日常で、柔道にクロスフィットもやっていた。183センチ。カカオフレンズのキャラクターの中の"Ryan"が大好き。RはRyanからとったニックネーム。
先生|Rちゃんの主治医で病院の血液腫瘍内科の教授。白血病の発症時から2年来のお付き合い。

自家造血幹細胞移植とは

そもそも、「自家造血幹細胞移植」とはどういう移植なのか、確認しておきます。韓国語だと「チャガチョヒョルモセポイシク」(自家造血母細胞移植)と言います。
自家というのは自分、造血幹細胞というのは血液を作り出す「幹(母)」になる細胞のことです。すごく簡単に言うと、前もって自分の造血幹細胞を取り出して冷凍保存しておき、それを後日再び自分の身体に移植する、というものです。移植前に大量の抗がん剤を投与し、血液がん細胞を死滅させます。「同種造血幹細胞移植」という、もう一種類の移植方法がありますが、こちらは自家つまり自分のものではなく、他の人の、種類(血液型など)が
同じ幹細胞を移植するものです。

自家造血幹細胞移植の流れ


①幹細胞の採取・保存
②大量化学療法
③移植(幹細胞の輸注)
④生着(2〜3週間)
の順に行われ、入院期間は約1〜2ヶ月が目安です。
(※がん情報サービスより引用:韓国でも同じ流れなので、日本語で書かれた日本の文献を引用しました。)

大量化学療法により、通常の抗がん剤の数倍の量を投与することで、血液がん細胞を根こそぎ死滅させるのですが、この時、元々の免疫も全てゼロにすることになります。健常者ならなんともない感染でも、移植を受けようとする患者には命に関わることになるため、クリーンルームでの徹底した滅菌管理が必要になります。

Rちゃんは、移植の約1ヶ月前に一度一般病棟に入院。二日間かけて、血液成分分離装置につながれて造血幹細胞を採取しました。そして次は、いよいよ滅菌室に入院という段階まで来ていたのですが…

「ソンセンニム、イシグン…ピリョヘヨ?」ー先生、移植って(本当に)必要なんですか?

移植前の説明面談で、それまでの過程を根本からひっくり返すような質問を、私が先生にぶつけました。先生は、私の子どもみたいな韓国語で「いまさら?」という唐突な質問にとても面食らったようで、一瞬、目がパチクリしていました。

この面談は、Rちゃんが造血幹細胞を採取後、一旦退院してからあらためて先生から移植についての説明を受ける面談。これを経て、書類にサインして移植室に入る準備をするというスケジュールになっていました。

ですが、ずっと私たち夫婦は何か釈然としないまま。
というのも、先生は移植に対して「完治を目指せる」ということで前向きな姿勢だったのですが、私たちはそうではありませんでした。

一番の理由は、「大量化学療法」でした。いつもの10倍の量の薬を投与したときのダメージが恐怖でした。ダメージとは、まさに副作用のことなのですが、これまでもRちゃんは先生が提示した治療方針にしたがって、不平も言わず、頑張ってきました。ですが、外には出さなくても、やはり抗がん剤投与後数日間続く全身の倦怠感や、気分の悪さ、手足の痺れ…結構こたえていたのです。

副作用は人によって程度が異なります。Rちゃんの場合はどうなるのか、そんなに大量に抗がん剤を身体に入れて大丈夫なのか、10倍の量で起こる副作用ってどんな風になるのか、元に戻るの…?

私はここまでありがたいことに丈夫な方で、どちらかというと、薬は極力避けたいタイプ。治療とはいえ、Rちゃんの身体の中に化学的な薬が大量に入ることが本能的に納得いかないような気持ちでした。

それに、通院での抗がん剤治療で、全身に広がっていたがんはかなり小さく、豆粒ぐらいの大きさまで回復していました。Rちゃんの右首にあった大きなコブみたいな腫瘍も完全にしぼんでいました。

Rちゃんと私は、このまま「ウィズキャンサー」という生活もありなんじゃないか、仕事もすぐに再開して、通院で経過観察をし、必要な時に抗がん剤を打って治療していく道もあるんじゃないか、むしろその方がダメージが少ないんじゃないか、という話を何度もしました。

その疑問が、移植直前の土壇場で、先生(正確には、その時面談室にいた移植コーディネーター、専門看護師、担当医3人ぐらい)をざわつかせるような質問をすることになりました。

結局、移植はする方向でおさまったのですが、少し長くなってきたのでこの続きは次回の記事で書こうと思います。

ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
また次回、お会いできたら嬉しいです。
コメントやスキも励みになりますのでお待ちしています。




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