【独り言#022】暮らした街を訪ねたい1
4/9に住処の移り変わりの概略について以下の記事を書きました。今日は、生まれ育った盛岡について書きたいと思います。書きながら、行ってみたい場所をピックアップしていこうかと思います。こんな旅もありですよね。
ローカルな話題になりますことお許しください。
行ってみたい場所
行ってみたい場所を以下に書きたいと思います。個人的な思い入れの場所で、有名な観光地ではありませんので、あらかじめご了承ください。
1.一関市
実は生まれたのは、盛岡市ではなく岩手県の南にある一関市です(戸籍抄本で知りました)。母の実家が平泉にあり、たぶん里帰りして出産したのだと思います。当時を知る人は、皆旅立ってしまい誰もおりませんので、詳しいことはわかりません。
表題の「暮らした街」とは異なりますが、生誕の地に1回も行ったことがないので行ってみたいと思います。
少し調べてみました。江戸時代には、一関には、大槻玄沢という名医がいらしたのですね。以下のWEBサイトによると、「杉田玄白は、不完全な解体新書の改訂を弟子の大槻玄沢に託した」とのことでした。岩手にこのような方がいらしたとは驚きです。ぜひ一関市博物館に行ってみたいです。
2.盛岡八幡宮
盛岡市で最初に暮らしたのは盛岡八幡宮近くの八幡町と両親から聞きました。多分、1〜2歳のころでしょうか、全く記憶はありません。父親がお酒好きだったので、毎晩のように八幡町界隈を飲み歩いていたと母親から当時のエピソードを聞きました。
その界隈を歩きながら、在りし日の父親を偲び、盛岡八幡宮にお参りしたいですね。
3.高松の池
このあたりはかすかな記憶があります。高松の池のほとりに住んでいて、両親が買ってくれた沢山のおもちゃに囲まれて暮らしていたのを覚えています。多分4〜5歳の頃だったと思います。
高松の池は、春は桜が綺麗で、冬は凍った池でスケートができました(今は無理ですね)。
4.太田橋
下の地図の丸で囲んだ辺りに住んでいました。幼稚園から小学校3年まで暮らしていました。この頃になると色々なことを覚えています
遠くにあった幼稚園や小学校まで、路線バス(ボンネットバス)で通っていたこと。台風で太田橋が崩落したこと。父親手作りの子供部屋。広い庭での家庭菜園など。写真が全くないので、イラストで記憶から再現するしかないですね。
この頃から父親は、会社を退職して、牛乳屋さんを始めました。沢山の牛乳を冷やす大きな冷蔵庫があったのを覚えています。
しかし、道路の拡張のため(地図丸印参照)、引っ越すこととなり、広い庭とのお別れのときがやってきたのでした。

5.仙北町
この街には、小学校4年から大学進学で上京するまで暮らしました。長い間暮らしたので、書ききれないほど、沢山のことがありました。仙北町時代の強い思いを3つ挙げるとすれば、以下の3つになるでしょうか。
・様々な音楽との出会い:キース・ジャレット、ストラングラーズなど
・薬剤師として働くことを決意:製薬会社に勤めて薬の研究者になりたい
・盛岡を離れる寂しさ:家族、友人たちと離れて孤独になるのではないか

当時の写真が手元には、1枚もないので計画を立てて、一関と盛岡に行きたいと思っています。もちろん、今回示した以外の観光地も巡った上で記事が書けたらと思います。
もう先延ばしできる年齢ではないので、先に日程を決めてしまおうかと思います。noteと出会ってこのようなことが書けるようになったのが、自分の中でものすごい進歩かと思います。もしnoteと出会ってなければ、いつまで経っても盛岡に行くことはないような気がします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
