日本唯一レールで卵を割れる駅
駅はその街の玄関であり、ファサードである。
簡素な駅も好きだが、溢れんばかりの愛が詰まった駅に出会うとハッとする。立ち入る前から、その街の活気や心意気を感じるからだ。
中でもJR上諏訪駅構内は駅であることを忘れてしまう異次元空間だった。
駅であることを忘れさせる異次元空間
十月下旬、甲信越地方の夜は関西に比べると気温も低く感じた。
夜になって見知らぬ駅に降り立ち、心細かったのかもしれない。

しかし振り返れば、驚きの光景が……。
初めて見るその空間に、その日のあらゆることは全て吹き飛んでいった。
JR上諏訪駅の構内にはどういう訳か、やけに温かみのある色が満ちていていて、湯気さえも漂っていた。

街中や駅前にある足湯は度々見かけるが、駅構内にある足湯は初めて見た。立派な石碑には「一駅一名物 駅露天風呂 上諏訪温泉」と彫られており、かなり本格的な設備で行き交う人目が気にならないように配慮もされているのには目を瞠った。

吸い寄せられるように入ってみると実にゆったりとした空間がそこに広がっている。
足湯用のベンチと上がって足を拭いたりするベンチが分かれており、それぞれ充分に広い。下駄箱や手洗い場まで併設されているし、一目で分かるほど掃除が行き届いた清潔感を感じられる。

作った時は綺麗だったのに、その後の管理がずさんで廃れてゆくことが多い気がするこの世の中で、この場を愛情を持って維持し続けているのは、間違いなく人だ。
そんな人の心意気ほど、人を感動させるものは他にあるだろうか。

こんなものがあれば、もちろん入るに決まっている。
いつも持ち歩いている手ぬぐいを用意して、急いそと裸足になる。

♨️極楽♨️
見知らぬ土地の夜の駅では、待つ時間が長く感じられることが多い。
列車の本数が少なければ当然人気も少なく、肌寒い季節になるほど心許ないからだ。温もりほど安堵するものはない。
しかもこの日の私は、このあと一時間近く歩いた挙句ネットカフェで夜を明かす予定だった。風呂どころかシャワーで我慢するしかなかったのだから、この湯が如何に心休まるものであったかは想像に難くないであろう。
ボイルドエッグにうってつけの日
だが、ここがただの「駅構内に足湯のある駅」だと思ったのは大間違いだった。もっと想像の斜め上をゆく。まさに現実は小説よりも奇なり。
JR上諏訪駅は世にも珍しい『自分で温泉たまごを作れる駅』である。
温泉が在るところに、温泉たまご有り
この駅の趣向が「見物」ではなく、あくまで「体験」に軸足が置かれていることが尚のこと素晴らしい。出来あいの温泉たまごが販売されているわけではなく、卵は駅のコンビニで管理されている。
温泉たまごを作り置きしない仕組みはフードロスの軽減も考慮されているのかもしれない。

しかも設備が在るだけでなく、かなり親切な配慮が行き届いている。
気温などにより日毎に異なるのであろう「卵の湯浴」最適時間が掲示されており、きれいにラミネートされた『おいし〜い温泉たまごの作り方』もわかりやすい。

温泉と温泉たまご。
ここまでは、日本の温泉地ならではの風物だ。
しかしながら、『名湯 駅 露天風呂』たる所以はこの先にある。
まさかJR上諏訪駅に表れる心意気がここまでとは!

まず、この空間の存在そのものに脱帽した。
そして必要充分な整備がなされ、掃除も行き届いた空間の極みである。
先ほどの「温泉たまごの調理時間」や「作り方」の掲示に加え、この整った「温泉たまご用テーブル」の空間の先には、当たり前のことながらこの環境を整えた人が居る。
その方との直接の交流がなくとも、伝わってくるものがある。
この土地の人間と他所の人間、あるいはサーバーとユーザーという二元性があり、湯の中で卵が変性する間に自らも温まるという関係がある。
その湯上がりに、仕込んでおいた卵の殻を剥き、自らの内に取り入れる。
そして、食べたものはいずれ自らの一部になる。
途中でも触れたとおり、「見物」ではなく、この一連の「体験」を通して此処に在るものを感じ取ることができるわけだ。
ここに日本特有の美意識である「いき」の構造を見た。
「いき」の構造|日本特有の美意識
九鬼周造の『「いき」の構造』について書かれたno+eを見つけたので、以下に引用させていただく。
本書において「いき」とは、「媚態」を頂点とした「意気」と「諦め」の三要素の関係性で形成されていることを主眼として議論がなされ、それはさまざまな歌や文学作品、日本語、昔からの言い伝えなどを基に根拠づけられ説得力はある。一方で、三つの要素の絶妙な関係性によって成立するとされる「いき」は、一つ一つの要素についての加減が要になってくるのではないかと思う。「いき」を形成する三つの要素のうちの「媚態」が晒し出してしまうとそれは見るに堪えないし、「媚態」の美しさも「意気」の力加減によっては打ち消されてしまう。
ここに書かれているように、この駅のホームでは「加減」の妙による美しさを感じ取ることができる。
そこには商売っ気や押し付けがましさは勿論のこと、「おもてなし」とわざわざ言うようなこともない。「ただ、そう在ろうとする」ことだけが凛としてそこに在る。
空間的にバランスの取れたノードとエッジ、あるいは物理的・心理的距離感の統制と言っても良いかもしれない。
*
もしかすると時間帯や季節、曜日、利用者の数や構成などによって、ここでの体験をどう感じるかは違うこともあるだろう。
私は肌寒い季節の夜分21時を前にする頃にたった独りで此処に居たからこそ、この場の本質を感じることができたのかもしれない。
けれど駅構内に足湯があることも、卵と温泉時間を共有し、尚且つ変貌した卵をその場で食べられることも、ふらりと訪れた者にとっては奇妙に感じる。
一方で、これが上諏訪に暮らす人々にとっては他愛ない日常の風景であるから不思議だ。
私はこうしたギャップを「綺世界」と呼んでいる。
レールで卵を割ってみる?
さて、JR上諏訪駅の『レールで卵を割れる駅』なるコンセプトを思いついた人は天才だと思う。
駅構内の足湯、温泉たまご処、そして温泉たまご用テーブル。
全てはこの「レール」のために用意されたものかも知れない。
「日本唯一」とあるのは日本人的な控えめさによる謙遜なのか、世界を見渡せば他の国にもあるのか分からないけれど、この発想は凄い。
最近、資源循環(サーキュラー・エコノミー)の観点でも注目される "アップサイクル" という取り組みが広がりつつある。けれど、この古レールの活用事例は時代の先取りであり、未だ最先端をゆくだろう。

あとで調べたところ、2021年8月の豪雨により、元々このレールが使用されていた川岸駅駅前で土石流が発生したそうだ。民家もろとも巻き込まれたというから、周辺も駅構内も大変だったろうとお察しする。

川岸駅は無人駅ではあるものの、2023年10月29日に新しい駅舎が使用開始されたらしく、その跨線橋や柱などにも古レールが利用されているとのことなので、またの機会にぜひ見に行きたい。
実は今回、時間的なこともあって、温泉たまごを作り、割り、食べる、という肝心の体験を為せなかった。それは最もたる再訪理由になる。
おそらく私は諏訪の地を再び踏むだろう。

わざわざ言うまでもないだろうが、このような駅では駅スタンプ用の台紙が無くなることなど有りはしない。
このスタンプ絵柄を見やすく表示してくれている黒い物体も何かしらの鉄道パーツだろうか。

もちろん押したし、ついでにJR上諏訪駅も推すと決めた。

駅を出たらしばらく歩くことになる。最後に有り難く『霧ヶ峰のおいしい水』を汲ませていただいて、名残惜しくも改札をくぐった。

この記事にフィクションの要素はありませんので、あしからず
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