井の中の蛙、大海を見にゆく
生駒山麓の生駒谷十七郷と呼ばれる郷村群のうち、南部のとある里村で生まれ育った。
幼馴染は造園業や農業を営む家の子供達、遊び場は野山や田畑、そしてなんでもない道端。子供の頃の遊びといったら岩や木に登る、小川に降りて水と戯れる、稲刈りが終わった冬〜春にかけて田んぼで走ったり蓮華を摘んだりとか、そんなものだった。
けれど同級生の多くは昭和後期のベッドタウン開発の波に乗ってやってきた家庭の子供で、都会的なエンターテイメントへの関心の方が強い環境で育ったとも言える。
駄菓子屋はさておき、学年が上がるにつれて周囲の子たちが出掛けるようになったプリクラ、カラオケ、ファストフードやファミレスといったお金の消費ありきの冒険先にはあまり馴染めず、本を読んだり、森でどんぐりでも拾っている方が楽しかった。
それは大人になった今もさして変わりない。
ただ自分の町にあるものは、大人になってもずっと残っているものだと思っていた。それが「故郷」の意味だと。
でも、そうではなかった。
身近な環境に迫る淘汰の兆し
一番衝撃的だったのは中学か高校生くらいの時に、近所の小川がコンクリートで固められ、のっぺらぼうになったことだった。
ホタルやサワガニ、タニシはどこへ行ったんだろう。川の丸い石、苔やシダが自分で移動するとは思えない。今からこの町で生まれる子供たちは、どこでそれらと出会えば良いのだろう。
そんなことはわざわざ他所の土地へ押しかけて「大人が体験させてやる」ようなことではないのに。自分の子供時代を振り返れば、子供同士で好き勝手遊べてこそ意味がある。
少なくともそれまで見てきた田んぼの季節変化や、いつの間にか居なくなる色づいた落ち葉のような失われ方でないことだけはわかった。
けれど誰が何故そんなことをするのか。
周囲の大人たちにも、そうなることを止められはしなかったのだろうか。
世界を広く見渡す方法
子供の頃、自分が本当に関心を寄せる環境の変化について話せる友人は周囲には存在しなかったし、そもそも言葉で表現できなかった。なす術についても、何を入り口にすれば良いかすら分からない。
ただ、そのまま過ごしているだけでは、自分の関心事もまた、世の中の潮流に淘汰されてゆくだろうことだけは分かった。
それまで興味のなかった大学進学について考え始めたことで、「大学」と「研究領域」を探すことは自分と向き合う行為なのだと知った。
そうして直接会ったわけでもなく大学紹介冊子を眺めて、「あ、これだ」と直観した先生に弟子入りすることにした。研究室に入ることを部活に入部するくらいの感覚で考えていたのだ。
とにかく広い視野で物事を見渡す方法を学びたい、と思った。
自分の故郷で起こっている変化は、単純な原因と結果ではなく、個々人の気持ちの届かない複雑な仕組みの中で起こっているように感じていたからだ。
山に囲まれた井戸みたいな奈良から、太平洋に拓けた陸の孤島、南国土佐の地へ渡った。
かつて坂本龍馬が眺めた海、弘法大師が御厨人窟で悟りを開いた時に目にした海と空の元で七年過ごした。早期卒業したのに修士課程の後も無理やり大学に残ったり、呼ばれて仕事をしたりしたけれど、時を経て奈良へ戻った。初めからそのつもりだった。
職場で毎日一緒に昼食をとって世間話をしてきた恩師に、論文博士を目指さないかと打診されたが、それではベクトルがずれてゆくと察して、職ごと辞したのだ。
(当時70歳のおじいちゃん)先生、恩知らずでごめんなさい。
何にも分かっちゃいない若造なのに、学ぶ機会を与えてくれて有難う。
帰郷、のち
同級生の多くが「手に職」というスローガンを強く掲げていた時代、「儲からない」とされる環境工学を志したことは間違いではない。ただ、「環境」を掲げる職はあれど、それは意味が違うというものばかりだった。
まだ世の中がその価値を見出していない。
その時代に誰かに雇われるのでは、全く別のベクトルの仕事で一生を終えるのが関の山だろうと思われた。
別に先人を軽視している訳でもない。
既存の仕事を忌避したり不要だと思っている訳でもない。
単純に数学の話なのだ。
子供の頃からずっと世の中の「変化の割合」を見つめ続けている。
そのままの変化の先を望まないからこそ、「世界を広く見渡す方法」を学びに故郷を一度と飛び出したのだから。
たった1度でいいから、そのベクトルの向きを変化させることができれば、10年20年先には驚くほど大きな差になる。
子供の頃に通った私塾で習ったことだ。
帰郷のち、本業の傍ら、今度は自分が次世代にペイ・フォワードする立場としても、同じように諭した。
そういった背景もあるのだ。
だから自分の人生は「開発一辺倒の故郷の町で、その方向性を僅かでも変化させる」ことで、望む未来へと近づけるために使いたい。
これまでのおはなし
実験室的に、フィールドワーク的に、そして都市計画的な視点でも学べる環境に身を置いたことは、昨今のネイチャーポジティブに関する動向や環境調和型産業と都市環境整備の潮流を鑑みても先見の明があったと思う。
そして誰に何と言われようと、わざわざ非正規雇用を選んできた。
それはこの20年の間、私にとっての仕事とは、生き延びることと、限られた時間でもあれば体力のある内にフィールドワークに費やしておくことための費用を得るためのもの。
そしてずっと機を待ちながら、有用植物探査や薬用植物、遺伝子工学、半導体プロセス、材料科学(太陽電池)、そしてAIとロボットと様々な専門領域に関わっておくためのものだった。
人間のあらゆる活動・技術開発は、必ず「自然環境」と無関係ではいられない。
それぞれの分野が何を目指しているのか、それを牽引する研究者や技術者がどのような視座で世の中を眺めているのか。
それは関わっていれば、自ずと感じられるものだろう。
多種多様な分野を巡り、学びながら時代の変化を辛抱強く待つ生き方を選んだが、10年ほど前、世の中のあまりの意識変化のなさに流石に絶望した。
ある意味でコロナ禍が私の自暴自棄を有耶無耶にしてくれたかもしれない。時間をとって、自分の町や、奈良南部の奥大和もじっくり見て回った。
世の中では氷河期世代などと分類され、知らぬうちに負け組レッテルを貼られる人生だったかもしれない。でも氷河期は死ではなく、ただ時が来るのを待っているだけ。間氷期であることを悟りつつ、時代の変化を眺めながら20年近く待ち続けた。
未来のためにできること
大学時代の恩師は今年94歳になる。
研究室にいた頃は77歳のお誕生日にみんなでコーヒーメーカーを贈ったよなあ。(みんなで使うやつ)
まだまだお元気そうで、ある日唐突に電話がかかってきて、何やら仕事に誘われたが、私はようやく動き出すのだ。
だから先生、恩知らずでごめんなさい。
ようやく動き出す時が来たんです。
だって近所の子供がうちの前のアスファルトに座って、友達と話してる声が聞こえてくるんですよ。
「その辺の土とかほじくったらさあ、カエルとか出てくるって〜」
そうだよなあ。でも、土をほじくれる場所が無いんだよなあ。
じゃあ作ればいいじゃない。
草ボーボーの場所なんて、今どき沢山あるのだし。
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