万葉考古的ライフ and JOURNEY
地理的要素からその地域の暮らしや産業など人の営みを読み解く「地誌」と、人が暮らしの中で探求してきた経験知や精神としての「民俗」。これらの視点から未来へと繋ぎたい「暮らしの環境」についての探求と思索を個人的な在野研究としています。
この探求の基本はマップを鳥瞰する視野(二次元×標高=三次元)と、地道に歩き回る虫的フィールドワーク(実体験)。加えて古代から現代、そして未来へとまたがる「長期視野の環境変化」という、いわゆる「魚の目」の視点も重要です。
だから地理条件や植生の変化、いにしえの民俗から現代民俗への変遷と興味を向ける対象は広がります。
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大和は国のまほろば
古事記や日本書紀には「大和は国のまほろば」という言葉が登場します。
これは倭建命が望郷の想いを込めて詠んだとされる、以下の古代の歌の一節です。
倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭し麗し
【歌の解釈】
大和は国のなかでももっともよいところだ。重なりあった青い垣根の山、その中にこもっている大和は、美しい
レファレンス協同データベース|国立国会図書館
この「まほろば」とは「住みやすい最高の理想郷」を意味する古語で、私が探究する「暮らしの環境」もいわば、「今と未来のまほろば」についての思索に他なりません。
暮らしの手がかりとしての「万葉集」
そして古代人の暮らしや観察眼、心情が瑞々しく残る『万葉集』もまた、古代の地誌や民俗を調べる上で参考になりそうだと注目しています。奈良には「万葉文化論」「万葉考古学」を研究されてきた先生がおられますが、この視点がこれまた非常に興味深いのです。
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『万葉集』の歌に詠まれた「コト(歴史)」
歌に登場する「モノ(道、地名、建築、山、生活用品、食べ物など)」
当時の人の心情が吐露された「アヤ(文学表現)」
こうした歌に詠まれた事物や感情、今に残る考古学的資料としての遺跡や遺物、古文書(木簡)、そして今も昔も変わらず存在するもの、失われたもの、新たに登場したものを通して、現代と古代の暮らしを対比的に眺めてみる。
そうすると、今も昔も変わらない、人が普遍的に希求する「暮らしの本質とその環境」が見えてくるのではないでしょうか。
「万葉考古学」との出会い
私が「万葉考古学」という言葉(概念、あるいは学問領域)を知ったのは2025年のこと。奈良県立万葉文化館で開催された、石川直樹さんの写真展『NEW PAST 飛鳥・藤原から東アジアへの旅』がきっかけでした。

石川直樹さんと言えば、大きなジャバラのフィルムカメラを携えてヒマラヤへ赴き、2024年には8,000m級の高峰全14座への登頂(日本人では二人目)を果たし、より一層話題になりました。
その前に23歳で七大陸最高峰を当時の最年少記録で制覇しているので、根っからの冒険家とも言えそうです。(ご本人は写真家を名乗っています)
人が暮らせない辺境ばかりに身を置いているのかと思いきや、文化人類学や民俗学への造詣も深く、各地の環境に応じた民族の暮らしや民俗風習の探究にも精力的に取り組まれています。
写真展『NEW PAST 飛鳥・藤原から東アジアへの旅』の会期終了が近づくころ、三者鼎談(石川さんの他、写真展のキュレーターを務めた万葉文化館の研究員、奈良県世界遺産室調整員の三者)のトークイベントが催されました。
その時お聞きした話では、「最後の山」であるシシャパンマ遠征の合間の日本帰国中、石川さんは奈良へやってきて「飛鳥・藤原」の写真を撮っていたそうです。
(これらの著書には直筆サインをいただきました)
その旅はつまりエンタメではなく
シシャパンマはヒマラヤ山脈にある標高8,027m(世界第14位)の山で、中国(チベット)領内に位置する唯一の8,000m峰。山名の「シシャパンマ」はチベット語で、「生き物も死に絶える荒涼とした土地」を意味します。
一方で奈良は倭建命に言わせれば、「住みやすい最高の理想郷」を意味する「まほろば」。
両地の横断的な移動に深い意味は無かったのかもしれませんが、私にはその対比的な光景が非常に面白く感じられました。古代の奈良は低湿地帯であったことも相まって、その標高差も環境の違いも興味深いところです。
写真展『NEW PAST 飛鳥・藤原から東アジアへの旅』の土台となったのは、万葉集の中でも韓国へと渡る道中の遣新羅使によって詠まれた望郷の歌。あるいは飛鳥・藤原〜大阪を越え、瀬戸内を巡りながら道中目に映るものを書き記した歌です。
考古学資料から推察された遣新羅使のルートを辿り、飛鳥・藤原の地から韓国へ至るまでの津々浦々を巡りながら撮った石川さんの写真の数々が、万葉集の歌と共にキュレーションされました。
(この構成は本当に新奇性を感じました)
倭建命にしろ、遣新羅使にしろ、当時、「旅」といえばそれは使命に他ならず、ともすれば故郷へは二度と帰れないかもしれない命懸けのものでした。
そういった視点でも石川さんのヒマラヤのシシャパンマ(行けば登れるような場所じゃないので道半ばで撤退ということもある)と奈良の「まほろば」の横断には、勝手ながら倭建命や遣新羅使の姿が投影されて見えたのです。
未来へと遺される「まほろば」の地
「大和は国のまほろば」と謳われた倭建命の故郷は、現代における奈良県桜井市・巻向周辺とされます。
その界隈とも言える『飛鳥・藤原の宮都』(奈良県明日香村、橿原市、桜井市にある19の遺跡群)は本日、無事に世界遺産登録(世界遺産一覧表への記載)が決定しました。
記載の勧告は昨日のことのよう。あれから随分と月日が流れました。
韓国・釜山で開かれた世界遺産委員会へは、三者鼎談で登壇された奈良県世界遺産室調整員の方も現地入りしています。この世界遺産登録のためにも駆けずり回っていただろうから、ようやく一段落ですよね。
本当にお疲れ様です。ゆっくり休……めるのかな?
とっても気さくな方で、年始のトークイベントの際には「万葉集や地図も含めた考古資料を含む『NEW PAST 飛鳥・藤原から東アジアへの旅』の図録も期待してます!」なんて気軽に立ち話をしちゃいましたが、こうして登録されてこそ盛り込める内容もあるかもしれず、勝手ながら期待してしまいます。
万葉考古的ライフカルチャーを探究する
「明日香村」といえば二言目には「石舞台」という言葉が飛び出す場所。県内でも観光誘致の声が大きいエリアということもあり、県民ながら実は近づき難さを感じていたのです。
そのハードルを取っ払ってくれたのが、かの写真展でした。
でも、本当はそんな風に二の足を踏んでいる場合ではなかったのです。
なぜならこの世界遺産登録を受け、これまで以上にこの界隈の「環境(自然、まち、暮らし)」は様変わりすることが容易に想像できるから。
「変化」とは基点となる初期状態があって初めて評価できるものです。
本当なら世界遺産登録前の明日香村について、もちろん橿原市、桜井市についても、もっと見聞して体験しておきたかったことは悔やみきれません。
奈良県内の世界遺産登録は4件目。
昨今何かと話題に事欠かない奈良周辺に対する気運の高まりを鑑みると、これまで以上に様々な利害関係の絡む思惑が、奈良へと差し向けられそうな予感がしています。
その中でも呑まれずに、粛々と「暮らしの本質とその環境」を探究したい。どれだけ環境が変わろうとも、人が普遍的に希求するものは今も昔も変わらないはずだから。
(以下は『綺世界探訪』と『生駒谷のポロ』の共同運営マガジンです)
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