noteに掲載している私の短歌について考えていました。
ハローぶんぶんカブトムシ。
【文系×美容師】髪切虫じゅんぺーです。
最近、短歌に特化したSNSアプリ「57577」を知って、やっぱり短歌は縦書きだよね~と改めて思っています。

この私の短歌が掲載されているURLです。
君に会いたくて会いたくて会いたくて 血の味がするほどに走る / 髪切虫じゅんぺー
https://tankaspot.web.app/tankaposts/129f5b45-b5e6-40f1-a707-369f4848cfd0
短歌って気軽なんですよね。
俳句ほど読解する力も必要ないし、川柳ほどエッジが効いているわけでもないし、詩ほど読んでいて共感性羞恥に襲われることもない、なによりもそこそこの数の短歌を読んでいる内に、なんとなく書けそうかも。って思わせてくれるのが短歌なんですよね。
それで、タイトルにもある「noteに書いてある私の短歌について考えていました」の話になるのですが、私が考えている事は短歌って31文字しか書いていないのに、とんでもなく情報が濃密に込められている場合があると思っているんですよ。
作者自身はそう思っていなくても、受け取り手の心はその31文字に心を打たれて、明日から何かが変わっていくっていう。そのような経験をする瞬間があると思っています。
それが連歌や歌集ともなれば、ものすごい情報量なので俳句のように、読み手の読解力にゆだねる部分が増えるとも思うんですよ。
なので短歌一首の力というものを試してみたかったのです。
その結果、noteに掲載している短歌は基本的に、一首読んでもらうのに課金をしてもらうようにしていました。
でも今、迷っています。
縦書きで短歌を詠めるアプリ「57577」が、とても魅力的で楽しいのです。
毎日のお題や、メディアとのコラボでの挑戦があったり、noteでのブログやエッセイと交えて詠む偶発的な短歌も楽しいのですが、そのふたつを両立出来るのかが不安ですし、なによりも短歌を読んでいただく方たちに失礼なのじゃないのかと自問自答を繰り返しています。
ただ、この問いにすっきりする答えは自分の中から出てくるとは思えないので、しばらくは不安を抱えながら、ふたつの方向性で短歌を楽しんでいけたらなと思っています。
ふらふらと気持ちが揺れながら日々を過ごしていますが、そんな私の長々とした心の葛藤を聞いていただき、本当にありがとうございます。
繰り返しになりまずが短歌一首。
君に会いたくて会いたくて会いたくて 血の味がするほどに走る
