会えない人に、会えた一年間──ひとりで100人に会いに行ったら、ひとりじゃなかった話|創作大賞2026
第1章 朝4時の脳内会議
雨の音で、目が覚めました。
朝の4時台。まだ外は暗くて、窓の向こうから、しとしとと雨の降る音だけが聞こえています。今日は特別な日でした。「私をつくる100人対話」。ちょうど1年前にはじめたこのプロジェクトの、100人目に会う日なのです。最後のお相手は、ある師匠でした。そう思った瞬間から脳内会議がはじまってしまって、もう眠れません。
この1年間に会った人たちの顔が、次から次へと浮かんできます。あの人、この人。あの時の対話、あの帰り道。頭の中が、騒がしくて仕方ないのです。
◇◇◇
終わってしまう。ついに、終わってしまう。
そう思うと、ホッとするような、寂しいような、不思議な気持ちが胸の中にありました。終わりたくないけど、終わるんだなあ——と。
私はこの1年で、いったい何をしてきたんだろう。100人の人とひとりで会いに行って、向かい合って、話を聞いて。ただそれだけ、と言えばそれだけです。でも、その「ただそれだけ」が、私の人生の角度を、変えてしまったのです。
雨の音を聞きながら、私は思い出していました。そもそも人見知りの私が、どうして100人もの人に会いに行けたんだろう、と。
◇◇◇
第2章 大きな船を降りて
少しだけ、私のことをお話しさせてください。
私は、30年あまり、金融機関に勤めていました。その船を降りるきっかけになったのは、親の介護でした。
両親の在宅介護を、姉妹と、19年。母は若年性の認知症、父は神経の難病でした。ふたりとも、しだいに言葉を失い、その人らしさが、少しずつ遠ざかっていきました。ベッドに横たわる親のそばで、ある日、私は背中に雷が落ちたような感覚に襲われたのです。人が、自分らしくいられる時間は、思っているより、ずっと短い——。こうしては、いられない、と。
とはいえ、決断までには、何年もかかりました。怖かったのです。本当に、怖かった。30年いた大きな船を降りて、自分の足で漕ぐ、小さなアヒルボートに乗り換えるようなもの。心もとなくて、頼りなくて。実際、辞めてからも、しばらくは心がざわざわと落ち着きませんでした。
困ったのは、自己紹介です。学びの場などで自分を名乗るとき、「金融機関に勤めていました」とは言えても、「今は、何をしている人なのか」を、私はゴニョゴニョとしか言えませんでした。胸を張って「これが私です」と名乗れる何かが、まだ手元になかったのです。会社の肩書きを外したあとに残ったのは、何者でもない自分。その心細さが、ずっと胸にありました。
だから私は、学び続けました。ストレングスファインダーを学び、コーチングを学び、AIを学び、企業研修を学び。けれど、どれだけ学んでも、ひとつの感覚が、私を離しませんでした。自分はまだ、誰かの代わりがきく範囲にしかいない、という感覚です。「あなただから、お願いしたい」。そう言ってもらえる域に、行きたい。でも、そこまでの道はあまりに遠く、どうやってたどり着けばいいのか、まるで見当がつきませんでした。
これまでの私の学びは、いつも「誰かに教えを請う」かたちでした。それはそれで素晴らしかった。でも、それだけでは届かない気がした。だからこのとき、私は決めたのです。海図のないエリアに、自分のアヒルボートを、漕ぎ出してみよう、と。この先に、荒波が待っているかもしれない。海賊がいるかもしれない。それでも、行ってみよう。もう、それしかない、と。
その航海の名前が、「私をつくる100人対話」でした。
第3章 人見知りの私が、なぜ
正直に打ち明けます。私、人見知りなんです。
ストレングスファインダー(正式にはクリフトンストレングス)という、自分の強みがわかるツールがあります。私の上位の資質には「親密性」があって、「慎重さ」も高め。知らない人に自分から積極的に会いたい、というタイプではまったくありませんでした。初めての人と話すときは緊張するし、できれば気心の知れた人とだけ、深くつながっていたい。そんな私です。
そんな私が、なぜ、電車に乗ってまで100人に会いに行けたのか。種明かしをすると、いくつかの「仕掛け」がありました。
◇◇◇
ひとつめの仕掛けは、一冊の本でした。
大塚あみさんの『#100日チャレンジ』。AIを使って、毎日アプリを作り続けた女性の記録です。これを読んで、私は勝手に親近感を抱いてしまいました。内向的で、内的な対話が好きで、情報を集めるのが好き。そんなふうに見えるあみさんと私は、どこか似ている気がしたのです。おこがましいのは、承知のうえで。
彼女がやっていた「ツェッテルカステン」という手法を、私もやってみたくなりました。Obsidianというメモアプリを使って、毎日、気づいたことを書き残していく。あみさんと同じように、Xに投稿しながら。すると、パソコンの中に、まるで「第二の脳」が形作られてきたのです。
続けられたコツは、あみさんの本にありました。「目の前の1週間だけを見る」。先を考えすぎると、足がすくむ。でも、すぐ目の前のことだけを見ていれば、一歩は踏み出せる。こうして私は100日チャレンジを完走し、それが小さな自信になりました。
次は、何をしようかな。そんな気持ちが、自然と湧いてきたのです。
◇◇◇
ふたつめの仕掛けは、ちょっと意外かもしれません。「ピクミンブルーム」という、位置情報ゲームです。
ご存じでしょうか。スマホを持って歩き、出かけた先で花を植えると、その土地のピクミンというキャラクターたちがもらえる。そんなゲームです。私はもともとゲームをほとんどしないのですが、これだけは別でした。いろんな土地に行くほど、新しいピクミンに出会える。これが楽しくて。喜んでいるのは、私の、ものを集めたくなる性質です。
集めたピクミンを眺めながら、私はよく思い出します。「この子は、あのお店であの方にお会いしたときの子だな」って。人に会いに行くという、あの何とも言えない緊張感を、ピクミンがそっとほどいてくれていたのです。
「今日は、どんなピクミンに会えるかな」。その好奇心が、私を外へ連れ出してくれました。人見知りの私の背中を、可愛いピクミンたちが、ちょんと押してくれたのです。
第4章 コーチという役割を、脱ぐ
実はこのプロジェクトをはじめた頃、私はコーチとしての自分に、ひそかに焦っていました。
私は、国際コーチング連盟(ICF)の資格を取るための学びの最中にいました。そこで出会ったのが、MCCと呼ばれる最高位のベテランコーチたちです。その人たちのコーチングは、もう、アートでした。あの落ち着き。人を見る目。言葉の選び方。短い時間で、人生レベルの気づきを促す。同じことを、自分ができる気がまるでしませんでした。50代からコーチングをはじめた私の実績は、まだ100時間ちょっと。あの域は、あまりに遠く、焦りで、ぼうぜんと立ちすくむのです。
そんなとき、ふと思い出したのが、大好きな映画「酔拳」でした。師匠は弟子のジャッキー・チェンに、来る日も来る日も、落ちた布を拾う修行を課します。一見ただの雑用。でもそれが、素早く動き集中を保つための、地味だけれど効く基礎トレーニングだった。それを思い出したとき、私の中で何かがつながりました。コーチングにも、きっと「地味だけど効く特訓」がある。私にとってのそれは——たくさんの人に、ただ会うことなんじゃないか。そう、着想したのです。
◇◇◇
でも、ここで私は、ひとつ大事なことに気づきました。「会う」のはいいけれど、「コーチとして会う」のは、何かが違う気がしたのです。
コーチとクライアントという関係になると、そこには自然と「この時間で何を得たいか」「今日のゴールは何か」という意識が生まれます。お互いが、役割をまとうために、少しだけ身構えるのです。その瞬間に失われてしまう、自由と、素の自分。
そして何より、「コーチングの相手役募集」という看板を掲げた瞬間、会えなくなる人がいます。コーチングの必要を感じていない人。私のまったく知らない人。普段の私が自然に歩いていたら、絶対に出会わないような人たち。そういう圏外にいる人たちにこそ、私は会いたかったのです。
◇◇◇
だから私は、コーチという役割を、いったん脱ぐことにしました。肩書きを外して、ただ「あなたのことが知りたい一人の人間」として会いに行く。そう決めたのです。
そのときに支えになった言葉が、「修行」でした。「練習台になってください」だと申し訳なさが先に立つけれど、「これは私の修行なんです」と言うと、なぜか応援してもらえる。ハードルが、すっと下がるのです。西野亮廣さんの本『夢と金』にある「応援シロ」——人は、完璧な人よりも、何かに挑んでいる人を応援したくなる——という考え方も、背中を押してくれました。だったら私も、今の「かけだし」の時期を利用して、申し込みのハードルを、これ以上ないくらい下げてみよう、と。
どこまで下げたか。お相手の家の近くまで、私が出向く。お茶代は、私が持つ。アンケートも取らない。そして、聞かれたことには、学んできた知識を惜しげなくお返しする。完全な、手弁当です。何も持たず、何も求めず、ただ会う。「こんな私で良ければ、使ってください」。そんな丸腰のスタンスで、いこうと決めたのです。
◇◇◇
そしてもうひとつ。「リアルで会う」ことにこだわりました。これは、クラスのMCCコーチのおひとりが、背中を押してくれました。その方は昔、選挙の応援で見知らぬ人の家を訪ね歩いた経験があり、「30人くらいに会ううちに、握手して言葉を交わすだけで、どんな人か分かるようになってきた」と仰るのです。
その話を聞いたとき、私は心から思いました。私も、その域に行きたい。会った瞬間に、その人が立ち上がってくるような、そんな感覚を味わいたい。AIと話すのとは違う、生身の人間と向き合うからこそ得られる何かが、きっとそこにある。
こうして、「コーチではなく、一人の人として」「修行として、ハードルを下げて」「リアルで、会いに行く」。私の100人対話の、三つの軸が決まりました。あとは、はじめるだけ。
第5章 ひとりで、山を登る
リアルで会った、記念すべき一人目は、前の職場の後輩でした。
気心の知れた相手だったので、軽い気持ちで会いに行ったのですが、いざ向かい合うと、彼女は少し身構えて言いました。「で、どうしたらいいでしょう」と。その瞬間、私もはっとしました。ああ、この人は、わざわざ時間を作って、ここに来てくれているんだ、と。いただいた時間を、ちゃんと大事にしなければ——。それは緊張というより、相手への敬意のようなものでした。
彼女の上位資質をヒントに「もしかして、こんなことありませんか」と問いかけると、それがぴたりと当たって、話がふくらんでいきました。彼女は、自分なりの次の一歩を見つけて、持ち帰ってくれました。これはコーチングではないけれど、二人で、その場の時間を一緒に作り上げられた——そんな感覚が、じんわりと残ったのです。
◇◇◇
それからしばらくは、顔見知りの方々が続きました。気心の知れた相手だからこそ、「今日は、肩書きも関係も全部取っ払って、ただの一人の人として、あなたを知りたいんです」と、冒頭にお伝えして。
転機が訪れたのは、15人目でした。まったく面識のない、初めての二十代。ある講座で同じテーブルになった女性が、ご自分のお嬢さんにこの取り組みを紹介してくださったのです。自分でつないだご縁ではない。誰かが運んでくれたご縁。これが、のちに何度も私を驚かせる、不思議な縁の、最初の一人でした。
待ち合わせは渋谷。方向音痴で人酔いする私は、駅の中で出口を見つけるだけで、ひと苦労。「うまくお役に立てるだろうか」という不安と、「出口はどこ」という焦りが、同時に押し寄せます。ようやくたどり着くと、その方は先に座って待っていてくれました。肌が白くて、やわらかな空気をまとった、温かい方。彼女のストレングスファインダーの結果を見た瞬間、学んできた知識と目の前の人が、かちりと結びつきました。本で読んできたことが、生身の人間として、立ち上がってくる。知人との対話では味わえなかった、新しい感覚でした。
帰り道、渋谷の雑踏に出た私は、少し胸を張っていました。「コーチです」という看板だけで過ごしていたら、絶対に出会えなかった人に、私は出会えている。100人対話って、すごいかもしれない。そんな高揚が、胸に満ちていました。
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そこから先は、何かが弾けたように、加速していきました。
会う人、会う人が、本当にいろいろなのです。人からどう思われるかをまったく気にしない人。「悩む時間は無駄」と言い切って、本当にまったく悩まない人。かと思えば、私が思いもよらないところで、深く悩み、苦しんでいる人。その一人ひとりが、私が机の上で学んできたストレングスファインダーの知識と、ぱちぱちと音を立てて結びついていきます。出会った人たちが、私の脳内の地図に、立体的にプロットされていく。地図が、どんどん豊かになっていくのです。
おもしろいのは、ここからでした。最初は「資質」という枠で人を理解していたのが、だんだんと、その奥にいる、その人そのものに、関心が向かうようになっていったのです。この資質を持つ人、ではなく、この人。枠に当てはめて分かった気になるのではなく、その先にいる、たったひとりのその人に、まなざしを向けられるようになっていく。その変化が、自分でも嬉しかった。
おもしろいもので、その驚きを重ねるうちに、あれほど苦手だった「初めての人に会う」ことが、楽しくなっていったのです。次はどんな人だろう。私の地図に、どんな新しい点が増えるだろう、と。そして、思いがけない副産物もありました。生身の人間に触れ続けた経験は、私が普段行っているコーチングやストレングスのセッションにも、堂々と活きるようになっていったのです。知識が、血の通ったものに変わっていく。修行は、ちゃんと実を結びはじめていました。
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この一年は、ちょうど一年前に登った、高尾山の登山によく似ていました。
新しい景色が見たい。もっと見たい。ひとつ景色が見えると、その喜びで疲れを忘れて、また次の一歩を踏み出してしまう。遠くの頂上を見上げると足がすくむけれど、目の前の1週間だけを見ていれば、不思議と登っていける。あのコツが、ここでも私を支えていました。
そうやって私は、ひとりで、黙々と山を登っていきました。
実はこの一年の終盤、ある起業家のグループの方々とお会いする機会がありました。私がひとりで100人をやり遂げようとしている、と話すと、皆さん、本当に驚いた顔をされたのです。聞けば、仲間とグループを作り、アプリで報告し合い、励まし合いながら100人対話に挑んでいる方もいました。それはそれで、とても素敵なやり方だと思いました。「私の場合は、みんなで励まし合いながらやっているんだけど、ひとりでここまで?」と、不思議そうに聞かれたのです。
そう言われて、はじめて気づきました。私は、ひとりで登っていたんだ、と。誰かに励まされたわけでも、報告し合ったわけでもない。ただ、次の一人のことだけを考えて、黙々と。でも、寂しくはありませんでした。だって私の周りには、会ってきた人たちと、可愛いピクミンたちがいましたから。
第6章 うまくいかない日もあった
ここまで、いいことばかり書いてきましたが、もちろん、うまくいかない日もありました。
100人もいれば、ぴたりと呼吸が合う人もいれば、どうにも噛み合わない人もいます。たとえば、お知り合いの紹介で「みんなが申し込んだから」という流れで来てくださった、ある人。ご本人には特に話したいこともなく、日々に不満があるわけでもなく。私の問いかけも空回りして、お役に立てている気が、まるでしませんでした。終わったあと、貴重なお時間をいただいたのに申し訳ない、と落ち込んだものです。
でも、いま振り返って、いちばん心に残っているのは、もう一人、別の方との時間です。
◇◇◇
以前、仕事でお世話になった、60代の女性がいました。
私が知っていた頃の彼女は、それはもうバリバリと働く、憧れの先輩でした。生き生きと仕事をこなす、かっこいい人。だから久しぶりにお会いできると決まったとき、私は胸を高鳴らせていました。
ところが、向かい合った彼女は、私の記憶の中の彼女とは、少し違っていました。それでも私は、つい、当時の面影に今の彼女を重ねてしまったのです。「あの頃お好きだった、あの趣味は、今も続けていらっしゃるんですか」。そんなふうに、昔の彼女を探すような質問を、重ねてしまいました。
でも、彼女の答えは「もう、すっかり弱っちゃってねえ」。年齢には逆らえない、という言い方をされるのです。私が「こうあってほしい」と思い描く姿と、目の前の彼女は、もう重なりませんでした。会話は、どこか一問一答のようになって、ふくらんでいきません。
その対話が噛み合わなかった原因は、はっきりと、私にありました。私は、憧れだったあの頃の彼女に、今の彼女を引きずり込もうとしていたのです。まだ、あの時のあの人でいてほしかった。生き生きしていた、あの先輩のままで。でも、それは私の勝手な思い込みでした。その思い込みを、私は最後まで取り払うことができなかった。あとになって、申し訳ない気持ちが、じわりと残りました。
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この経験は、私に大事なことを教えてくれました。
人は、変わる。
当たり前のことです。でも、久しぶりに会う相手ほど、私たちはつい、記憶の中のその人を探してしまう。以前の面影を、今のその人に重ねてしまう。それは一見、なつかしさや親しみのようでいて、実は、目の前にいる「今のその人」を、ちゃんと見ていない、ということなのですね。
大切なのは、以前の面影を追うことではなく、今、目の前にいる、その人と向き合うこと。私はこれを、「今のその人と、ダンスを踊る」と呼ぶようになりました。過去のステップではなく、今、この人が刻んでいるリズムに、合わせて踊る。それは、100人対話だけの話ではなく、人と関わるすべてに通じることだと思います。
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うまくいかなかった日々は、もうひとつ、大事なことに気づかせてくれました。
それは、対話というのは、私ひとりで作るものではない、ということです。私がどんなに頑張って、一方的にいい音を鳴らそうとしても、それだけでは、いい時間にはならない。お互いの音が響き合って、はじめて、その場に豊かな音楽が生まれる。私はそれを、「共鳴し合う音叉」のようだ、と感じるようになりました。
音叉は、ひとつを鳴らすと、近くにあるもうひとつが、ひとりでに震えはじめます。対話も、同じです。私が、ただそこに居て、あなたの話を聴きたい、というまっすぐな姿勢で震えていると、相手の中の何かが、それに呼応して、震えはじめる。そして、相手もまた、応えてくれる。その響き合いが起きたとき、対話は、二人で作り上げる、かけがえのない時間になるのです。
だから私は、苦戦した日のことも、今では感謝とともに思い返します。あの噛み合わなさがあったからこそ、私は「今のその人と踊ること」と「共に響き合うこと」の大切さを、身をもって知ることができたのですから。
第7章 何のしがらみもない人として
肩書きを脱いで、ただ一人の人として会う。そう決めて続けるうちに、私は、思いがけないことに気づきはじめました。
何のしがらみもない人として向き合うと、話しはじめてすぐに、ご自身の奥のほうを見せてくださるのです。仕事の悩み、心の中の葛藤、家庭内のこと。「こんなことまで、初対面の私に話してくださっていいんだろうか」と、こちらが戸惑うほどに。
それは、なぜなのか。あるとき、その答えのような言葉を、いただきました。
◇◇◇
ある、スーツの似合う、中間管理職の方との対話でした。
恵まれたオーラのある方で、ひと目で「この人は、なんでも仕事ができるんだろうな」と思わせる雰囲気がありました。でも、その方は、悩んでいました。人のために尽くしすぎて、気づけば自分が消耗しきってしまう。周りから見れば、たくさん仕事を引き受けてくれる、ありがたい「いい人」。でも本人は、「自分は、自分のやりたいことが、できているんだろうか」と、立ち止まっていたのです。
ひとしきり話したあと、その方が、ぽつりと言いました。
「何のしがらみもない人に話せるって、いいですね」
この一言が、私の中に、ずっと響き続けました。会社の人でもない、家族でもない、利害も関係もない。ただ「あなたを知りたい」とだけ思っている人間。だからこそ、鎧を脱いで、本当のことを話せる。私が無意識にやっていたことの価値を、その方が、言葉にして教えてくださったのです。何のしがらみもない人として会う。それ自体が、誰かにとっての、安心して呼吸できる場所になるのだと。
◇◇◇
そうやって、人の内面に触れさせていただくたびに、私はますます、その奥深さに魅了されていきました。人の心は、なんて複雑で、なんて素晴らしいんだろう。一人として、同じ人はいない。その人だけの物語が、必ずある。
もっと、ちゃんと受け取りたい。最初はスマホの録音機能で、のちにはPLAUD(プラウド)というボイスレコーダーで、お相手の許しをいただいて、対話を録音させてもらうようになりました。聞き逃したくなかったのです。その人が、ふとこぼした、大切な一言を。そして私は、その録音を、勝手に要約することは決してしませんでした。その人が実際に口にした、その人自身の言葉を、ありのまま、文章の中に残したかったからです。借りものではない、その人だけの言葉。それを返すことが、私のひそかなこだわりでした。
そして私は、対話のあと、その方の人生や、強みの活かし方を、一遍の文章にしてお渡しするようになりました。
◇◇◇
忘れられない、文章があります。
中間管理職の、あの方にお渡ししたものです。実はあのとき、私はどう書けばいいか分からなくて、手探りでした。そこで、その方が好きだという作家になぞらえて、ある作家の「制作メモ」風に、その人という人間を表現してみたのです。
すると、こんな感想が返ってきました。
「制作メモ風な仕上がりとは…嬉しすぎるサプライズに、発想力と温かさを感じました。たった2時間で、こんなにもたくさんの気づきや、日常で意識できるヒント、将来への希望を贈っていただけるなんて。この文章、家宝にしたいと思います(笑)」
家宝にしたい——。
正直に白状すると、作家になぞらえた制作メモ風は、ちょっとやりすぎだったかもしれません。あとになって、こういう凝った表現は、受け取ると気恥ずかしく感じる方もいる、と学びました。でも、このときのこの方の、まっすぐなよろこびのコメントは、私自身を、心から感動させたのです。私が差し出した2時間が、誰かの元気につながった。誰かの希望になった。
ああ、こんな2時間を、これから出会う人たちと、何度も重ねていけたら。それは、どんなに幸せだろう。
そう思ったとき、私の中で、何かがはっきりと形を持ちました。
これは、お金のための仕事、という話ではありません。もっと深いところで、私はこう感じていたのです。人が自分では気づきにくい魅力や、その人にしか分からない内面の物語を、すくい上げて、世の中に伝えたい。私には、その強い欲求がある。そして、それが、人の役に立つかもしれない。
考えてみれば、私はもともと、人の人生に強い興味があって、一度会った人のことを、何日も何日も、考え続けてしまう。そして、熟成させて頭に浮かんできた、その人の素晴らしさを、伝えたくて仕方なくなる。自分では、ちょっと変わった性分だと思っていました。でも、その「自然とやりたくて、やってしまうこと」が、誰かへの贈り物になる。私という人間の特性が、強みが、そのまま誰かのために活きる。
これは、私にしかできない、ライフワークかもしれない。
大げさに聞こえるかもしれません。でも、それくらいのインパクトのある気づきでした。かねてから「いつか、自分にしかできない仕事を持ちたい」と願っていた私が、ついに、その入り口を見つけた。そんな感覚だったのです。
第8章 会えないと思っていた人に、会えた
100人対話を続けながら、私は、ひとつのサービスを立ち上げていました。
始めて半年が経った、12月のことです。名前は「インナーストーリーライティング」。お話を伺って、その人の内面の物語を、一遍の文章にしてお渡しする。あの「家宝にしたい」と言ってもらえた経験から、自然と生まれたものでした。世の中に「レンタルなんもしない人」がいるなら、私はさしずめ「レンタルただ知りたい人」。それを誰かのために差し出せたら、いつか仕事になる日が来るかもしれない。そんな予感とともに、私はサービスを形にしていきました。
そうして動いているうちに、です。私の身に、思いがけないことが、次々と起こりはじめました。
◇◇◇
まず、ダメ元でお願いするしかないと思っていた、手の届かないところにいる人たちと、会ってもらえるようになっていったのです。
私には、コーチングの師匠と呼べる、ベテランのコーチたちがいました。講座やスクールで、講師と生徒として、対面でお会いしたことはあります。でも、まさか一対一で、貴重なお時間を割いてもらえるなんて。そんなことは、考えてもみませんでした。
100人が見えてきた4月、私はそのひとり、ある師匠に会いに、北海道まで足を運びました。お話があまりに濃くて、衝撃的で、気づけば5時間近く。人生の大事な局面のことや、飾らない素直なご自身まで、惜しみなく見せてくださいました。学ぶことと、最高を目指すことが大好きな私にとって、憧れの師匠から直接、こんな話を聞ける時間は、まさに至福でした。
別れ際、その方は私に言いました。「あの人と、あの人にも聞くといいよ。これは、命令!(笑)」。その一言に背中を押されて、私は、同じように到底かなわないと思っていたお二人の師匠にも、じっくりと話を伺うことができたのです。強みを活かすプロである三人の先輩コーチが、人生の後半を、どう生きると選んだのか。その語りはあまりに豊かで、私はいつか、これを一冊の冊子にまとめたいと思うようになりました。これは、これから取り組みたい、新しい夢です。そして奇しくも、その三人目の方が、私の100人目のお相手になりました。
肩書きを脱いで、ただ一人の人として会い続けてきたからこそ、師匠たちもまた、肩書きを脱いだ素顔を、見せてくださったのかもしれません。
◇◇◇
思い返せば、私はずいぶん、遠くまで足を運んでいました。この一年の対話は、北海道から沖縄まで。長野でも、大阪でも、静岡でも、会いに行きました。方向音痴で人酔いまでする私が、会いたい人がいる、ただそれだけで、こんなにも遠くへ。
驚いたのは、ここからです。何かを狙って計画したわけではないのに、ただ素直に、流れに乗って会いに行き続けていたら、次々と、人生のほうが動き出したのです。
ある対話で出会った方が、私が長年プライベートで抱えていた課題を、するりと解いてくれるカウンセラーさんを紹介してくださったり。あるワークショップへの共同登壇のお誘いが届いて、思いきってトライしてみたら、それがまた新しい縁を連れてきたり。必要なものが、必要なときに、向こうのほうから、私に会いに来てくれる。そんな感覚でした。
これは、私がかねてから知っていて、いつかこうなれたらと願っていた、ひとつの考え方を思い出させてくれました。「計画的偶発性(プランド・ハップンスタンス)」。キャリアの多くは、予期せぬ偶然で決まる。だからこそ、好奇心を持って動き続ける人のところに、いい偶然がやってくる——という考え方です。きっちり計画を立てるのが得意とは言えない私でも、いえ、計画しすぎずに、ただ目の前の一人に会い続けたからこそ、見えない糸が、ひとりでに動きはじめたのかもしれません。
◇◇◇
そして、いちばん深いところで起きたことを、少しだけ、お話しさせてください。
人に会い続けるうちに、見えない縁が、いくつもいくつも、たぐり寄せられていきました。その流れの中で、私は、長いあいだ自分の心の隅っこで、ひっそりと泣いていた、小さな自分に、ようやく手を伸ばすことができたのです。
捨て猫みたいに、ずっとうずくまって泣いていた、昔の私。その子を、そっと抱きしめて、こう言ってあげることができました。「もう、泣かなくていいんだよ。あなたは、あなたのままで、大丈夫だったんだよ」と。
ずっと、自分を責め続けてきた声がありました。あれがいけなかった、ここがダメだった、だからこうなったんだ、と。長いあいだ、私の心にぽっかりと空いていた穴。その穴に、この一年の終わりに、ようやく、そっと絆創膏を貼ることができたのです。
100人対話は、外の世界へ出ていく旅だとばかり思っていました。でも本当は、自分の内側の、いちばん古い傷に会いに行き、その傷とそっと和解するための旅でもあったのかもしれません。
会えないと思っていたのは、遠くの誰かだけではありませんでした。私がいちばん向き合えずにいたのは、過去の、泣いている自分自身でした。その子に、もう泣かなくていいよ、と言えたとき。私はようやく、自分で自分に、優しい声をかけられるようになったのです。
第9章 声をかけてもらえる自分に
実は、この100人対話には、ひとつだけ、目的らしきものがありました。
始めて間もない頃、あるグループセッションで、師匠のひとりに聞かれたのです。「で、これは何を目的にやるの?」と。私は、答えに詰まりました。目的。そんなもの、考えていなかった。口から出かかったのは「修行……」という曖昧な言葉だけ。すると師匠のほうが、助け舟のように言ってくれたのです。「例えば、トランスフォーム、とか」。私はすかさず、「じゃあ、それで」と答えていました。
我ながら、安易です。トランスフォーム。変容。借りものの、かっこいい言葉。それが具体的に何を意味するのか、私自身、まるで分かっていませんでした。それでも、この言葉は妙に板につきました。その後も、人から「何のためにやってるの?」と聞かれるたび、私は判で押したように答えるようになったのです。「自分を、トランスフォームするため、です」と。
◇◇◇
それから一年。
気づけば、思いがけないことが起きていました。
100人対話を続けるうちに、私のもとに、ぽつり、ぽつりと、お願いごとが届くようになっていたのです。それは「コーチングをしてほしい」でも「研修をしてほしい」でもありませんでした。
「あなたに、私の思いを、言葉にしてほしい」
そういう依頼でした。対話の中で書いて渡していた、あの一遍の文章。それをモデルケースとして、そっと公開していたら、「こういうものを、私にも書いてほしい」と、声がかかるようになった。ある方は、自分の歩んできた道のりを。ある方は、まだ言葉にならない、事業への思いを。そして、ある方は、親の人生の歩みを、子どもである自分へ継承できるように、文章にしてほしい、と。
掲げているサービスの枠を超えて、「こんなこと、お願いできる?」と聞かれることが、増えてきました。気づけば私は、人の内面を——その人が自分では気づいていない魅力や、うまく言葉にできずにいる思いを——すくい上げて、文章にする人として、声をかけてもらえるようになっていたのです。小さな変化だけれど、確実に。
◇◇◇
そのとき、私は、はっとしました。
これは、あの「トランスフォーム」だったのかもしれない、と。
かつての私は、焦っていました。AIが、すごい速さで進化していく。文章を書くのも、整理するのも、要約するのも、あっという間に、人間よりうまくやってのける。そんな時代に、私は何で生きていけばいいんだろう。答えは、ひとつしか思い浮かびませんでした。AIには代わりのできない、人間にしかできないこと。そして、自分だけの強みを、磨いていくしかない、と。でも、その「自分だけの強み」が何なのか、どう活かせばいいのか、長いあいだ、霧の中にいるようでした。
その霧が、100人と会ううちに、少しずつ晴れていったのです。
会社員だった頃、私は、自分の性質を、半ばうらめしく感じていました。何かを考えはじめると、止まらない。一つのことを、とことん掘り下げずにいられない。一人の人のことが、何日も頭から離れない。スピードと効率が求められる場所では、それは「遅い」「考えすぎ」と、足を引っ張る感覚。自分の持ち味が、まるで役に立たない。そう思って、ずっと嘆いていました。
ところが、です。生身で人に会い、その人の内面に深く潜っていく、このプロセスの中では、その性質が、そっくりそのまま、武器に変わったのです。一人の人のことで、何日も頭をいっぱいにできる。掘って、掘って、その人自身も気づいていない宝を、見つけ出すまで考え抜いて、熟成させる。かつて私を苦しめた性質は、ここでは、いちばんの強みになりました。
だから私は、お相手にも、こう正直にお伝えするようになりました。「あなたのことを、何日も考え込んでしまうので、すぐには納品できません」と。速さでは、AIには到底かないません。でも、遅いことが、ここでは価値になる。一人の人に、時間をかけて、とことん没入する。それは、AIが進化すればするほど、かえって価値が際立つ。まだ人間にしか開けない場所でした。
特別な高みに登ったわけではありません。ただ、自分の強みを活かして、自分ならではのことが、できるようになった。そして、ごく一部の方が、「あなたにお願いしたい」と、言ってくださるようになった。それだけです。でも、その「それだけ」が、私にとっては、長年たどり着けなかった場所でした。
◇◇◇
狙っていたわけではありません。
むしろ私がやっていたのは、効率だけを考えたら、とても勧められないようなことでした。手弁当で、お茶代まで持って、方向音痴なのに電車を乗り継いで、ひとりの人に会いに行く。一回きりの対話に、何日も心を奪われて、その人のことを考え続ける。損得で測れば、とても勧められないようなことを、ただ、やりたいからやっていただけ。
でも、その、夢中で続けたことの積み重ねの、ずっと先に。気づけば、自分にしかできないことの入り口が、そっと開いていたのです。大事なものは、まっすぐ取りに行って手に入るものではないのかもしれません。遠回りして、身銭を切って、夢中で歩いた、その足跡の後ろから、そっとついてくる。そういうものなのかもしれない、と、今は思います。
「何者でもない自分」は、いつのまにか、少しずつ、「これが私です」と名乗れる自分に、なりはじめていました。
第10章 ひとりじゃ、なかった
雨は、いつのまにか上がっていました。
100人目の対話を終えて、私は渋谷の街を、たくさんの人混みに紛れながら、ゆらゆらと歩いていました。終わった。とうとう、終わった。終わりたくないけれど、終わったんだ。まるで、夜明けの朝焼けの中を歩いているような、新しい幕が上がる予感に満ちた、不思議な心地でした。
人見知りで、慎重で、知らない人に会うのが苦手だった私が。ひとりで、100人に会いきった。振り返ると、自分でも、よくやったなあと思います。
◇◇◇
もし、これを読んでくださっているあなたが、少しでも「やってみたいかも」と思ってくださったなら。難しいことは、ひとつもありません。私がやっていたのは、ただ「会いに行く」こと。それだけです。
上手くやろうとしなくていい。「修行なんです」と言って、とことんハードルを下げて、相手に何も求めず、こちらから丸腰で出向く。100人と数えると足がすくむから、いつも、目の前の次の一人のことだけを考える。あとは、ピクミンみたいな小さな相棒を連れて、自分の「好き」を引っさげて、会いに行く。本当に、それだけでした。
でも、その「それだけ」のことを、ひとつ、またひとつと続けた先で、私は、思いがけない景色を見ることになります。
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100人を終えて、しばらく経った頃。私は、この一年で会った人たちのことを、ふと、ひとりずつ思い返していました。
そのとき、あることに気づいたのです。
ばらばらの100人だと思っていた一人ひとりが、私の頭の中で、すうっと、線でつながりはじめたのです。この人は、あの人が紹介してくれた。あの人は、お母さまが「うちの子に」と引き合わせてくれた。この方は、ご夫婦で。あの方は、私の投稿を、そっと見ていてくれた。一人が、また一人を連れてきてくれて、その人が、また次の人を——。
気づけば、目の前に、大きな星座のようなものが、広がっていました。100の点が、無数の見えない糸で、全部つながっている。まるで、プラネタリウムを見上げているような気持ちでした。そして、はっとしたのです。この星空を描いたのは、私じゃない。私は、ただ、ひとつずつ、星を訪ねて歩いただけ。この美しい糸を編んでいたのは、私の力では、とても及ばない、もっと大きな何かでした。
私は、ひとりで漕いでいた、と思っていました。海図のないエリアに、たったひとり、心細く漕ぎ出した、と。でも、違ったのです。私は、たくさんの人の手から手へと、そっと運ばれていた。この一年、ずっと。ひとりだと思っていた航海は、実は、見えない縁の海流に、やさしく押されていたのでした。
そう気づいたとき、胸にこみ上げてきたのは、達成感ではありませんでした。ただ、ただ、ありがとう、という気持ちです。おかげさま、という言葉が、何度も、胸の奥からこみ上げてきました。とくに、自分の信用を背負って、私を誰かに引き合わせてくれた方々。あの人たちがいなければ、この星空は、こんなに広く灯らなかった。
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だから、もし、あなたが誰かに会いに行くとしたら。
その一歩は、あなたが思っているより、ずっと遠くまで、あなたを連れて行くかもしれません。一人に会うと、その人が、また次の誰かへと、つないでくれる。あなたも気づかないうちに、大きな縁の海流の中に、入っていく。そして、いつか振り返ったとき、自分だけでは決してたどり着けなかった場所に、立っている自分を見つけるのです。
私は、自分を変えたくて、この一年を歩きました。でも、変わろうと力んで、変わったわけではありません。ただ、会いたい人に、会いに行く。それを、損得も考えず、ひとつ、またひとつと、続けただけ。あとのことは、大きな流れに、そっと手を開いて、委ねていました。すると、私の手のひらには、思いもよらないものが、向こうから、そっと載せられていったのです。
会えないと思っていた人に、会えました。なれないと思っていた自分に、なれました。そして、もう二度と会えないと思っていた、大切なご縁にまで、再び巡り会うことができました。どれも、狙って手に入れたものではありません。夢中で歩いた足跡の、ずっと後ろから、ご縁のほうが、追いかけてきてくれたのです。
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さあ、あなたも。
ずっと気になっていた、あの人。もう一度ちゃんと向き合いたい、あの人。肩書きも立場も脇に置いて、ただ一人の人として、会いに行ってみませんか。
その一歩が、どこへ続いているのかは、まだ誰にも分かりません。でも、丸腰で、夢中で、会い続けたその先に——あなたにも、きっと、あなただけの星空が、広がりはじめます。
そして、いつか気づくのです。その航海は、ひとりじゃ、なかったということに。
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(了)
この物語の中で触れた「インナーストーリーライティング」。実際にどんな文章になるのか、モデルケースをひとつ、置いておきます。
