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関谷直子(おりん)の物語|カビの生えたコップから、囲炉裏を囲む人へ│インナーストーリーの宝石箱

組織開発を仕事にしている、関谷直子さん。IRORI & Co.を立ち上げた彼女にお渡しした、一冊の物語の全文です。約2時間の対話から生まれました。

みんなからは「おりん」と呼ばれています。だからこの記事でも、ここから先は「おりん」と書かせてもらいます。

お話を伺ったあと、私は何日も、おりんさんのことを考え続けました。そうして熟成されて出てきたものを、文章にしています。各章のあとには、「ゆきこの内省メモ」を添えました。これは、私から見たおりんさん。しがらみのない人間からの、まっすぐなまなざしです。

長い物語です。でも、これがインナーストーリー・ライティングの"実物"です。どうぞ、ゆっくり読んでみてください。

※ご本人の許諾を得て、固有名詞を含めて掲載しています。



第1章 カビの生えたコップ

1996年。おりんは、開発部門に配属されたばかりの新入社員だった。

部署には「コップ洗い」という仕事がある。新入社員の仕事として、代々引き継がれてきたものだ。おりんは同期の男性と二人で、毎日30個ほどのコップを洗っていた。交代で洗い、コーヒーマシンや加湿器の水を入れ替え、分担してこなす。その同期もいい人で、二人でうまく回していた。

年末。「コップ洗い最終便です」と声をかけて、きれいに片付けて、休みに入った。

正月明け。会社に来たおりんが見たのは、カビの生えたコップの山だった。

年末に飲んだ人たちが、そのまま置いていったもの。

「今年も頑張るぞ」と出社した、新年の朝。最初の仕事が、カビたコップの洗い物。

おりんの中で、何かがプチッと弾けた。

納得がいかなかった。

普段洗っている分には、別に不満はない。新入社員の仕事だというなら、それはそれでいい。でも、これは違う。なぜ、新年の最初の仕事がこれなのか。なぜ、自分たちがきれいにして帰ったものを、こういう状態にできるのか。

もちろん、その日はちゃんと洗った。黙って洗った。

そして5月末。後輩が配属されるタイミングで、おりんは動いた。

部署全員に宛てて、メールを送ったのだ。

件名は「ご提案です」。内容はシンプルだった。後輩たちにコップ洗いを引き継ぐにあたり、紙コップにしませんか——。お客様用の紙コップは元々置いてある。コーヒーを入れたり、加湿器に水を入れたり、そういう仕事は引き続きやります。でも、自分で使ったものぐらい、自分で洗ったらどうですか。

後輩たちに、この仕事を引き継ぎたくなかった。

反応は、おりんの想像を超えていた。

まず、先輩たちに怒られた。それから部長に呼び出された。課長にも呼び出された。普段接点のない人にも、一日中、怒られ続けた。会議室はタバコの煙で白くなり、その中で延々と詰められる。

部長は、いつも椅子にのけぞって新聞を読んでいるような人だった。その人が「なおちゃん、ダメだろう」と言った。言葉は少ないが、「あのやり方はダメだよ」と。

課長は、もう少し丁寧だった。「みんながやってきた道だからね。わがままはダメだよ」と諭すように言われた。

隣のチームの「ご意見番」的なおじさんは、わざわざやってきて「どういうことだ」とガン詰めしてきた。そのおじさんも、年末にコップを置いていった一人だった。

おりんは、表面張力で涙をこらえながら聞いていた。悔しくて、涙がこぼれそうだったけれど、納得がいかないから、泣きはしない。泣いたら負けだと思っていたわけではない。ただ、納得していないのに泣くのは違う、と感じていた。

それでも、おりんは言った。

「お正月からカビてるコップですよ。おかしくないですか」

普段洗っている分には不満はない。でも、みなさんがそういう感覚だということが、納得いかない。一生懸命、そう伝えた。

返ってきた言葉は、「それは分かる。でも、あのやり方はないだろう」だった。

結果として、紙コップ制にはならなかった。

でも、変化は起きた。

みんなが、自分のコップを自分で洗うようになった。紙コップは元々自由に使えたから、それを使う人は使うようになったし、自分のマグカップを使っている人も、少なくともゆすぐぐらいはするようになった。

毎朝ガチャガチャと運んでいたコップは、1個か2個になった。

後輩たちは、結局コップ洗いをしないで済んだ。

ずっと後になって、飲み会の席で、あの「ご意見番」のおじさんがおりんに言った。

「あの時はごめんって、実は思ってたんだよね。あれ、カビさしたの俺も入ってるでしょ」

おりんは、少しだけ驚いた。

ゆきこの内省メモ

お話を聴きながら、「着想と活発性、戦略性がドーンと出た瞬間だな」と感じました。

納得がいかない。でも黙っている。そして5ヶ月後、後輩が来るタイミングで動く。その動き方が「上司に相談して根回しして」ではなく、「全員にメールを送る」だったのです。まるでロケットが発射するように、一気に飛んでいく。

あのメールは「コップ洗いが嫌だ」という不満表明ではありませんでした。「後輩たちにこの仕事を引き継ぎたくない」という、未来に向けた提案でした。怒りの炎が上がる前に、配管図を持ってくる人。感情で燃えるのではなく、仕組みで解決しようとする人。そんな印象を受けました。

この事件が、おりんさんの「なんでスイッチ」の原点だったのかもしれません。言われたことをやる新入社員が、「なんでこれをしないといけないの」と問い始めた瞬間。自我が発火した瞬間。

一つ気になったことがあります。あの時、周りの誰かが「面白い提案だね」と言っていたら、何か違っていたでしょうか。

第2章 ドリルの先端

おりんは、帰国子女だった。中3から高校まで、父の仕事で、ブラジルのサンパウロにいた。

その経歴を知っていた誰かが、海外の仕事につけさせようと動いたことがあったらしい。おりん本人は、まったく知らない話だった。ある日突然、部長に呼び出される。「勝手な動きしてんじゃねーぞ」。「え、なんですか」「誰々さんと話したんだろう」「入社してから一回も話したことないんですけど」。部長も「あ、こいつ知らないんだ」という顔になり、「だったらいいけど、じゃあ帰れ」で終わった。

その話は、潰されたらしい。海外案件をやっていたら、違う人生だったかもしれない。

しばらくして、あの「のけぞり部長」が、オレは営業部長になると言い出した。開発の部長として、退職前に営業部長で終わるのがいい上がり方だ——そういう時代だった。「俺が行く前に、お前、先に行っとけ」。そう言われて、おりんは営業に飛ばされた。(結局、こなかった。)

入社3年目。公的な金融中枢機関のお客様が担当だった。

前任者が、お客さんのところで出禁になっていた。女性が営業についたことは、それまでなかった。しかも3年目。お客さんには、毎日夕方5時半に呼ばれる。呼ばれて、資料を作って、必死でやる。結構、いじめられた。

前任者の時代、契約は年間5〜6本だった。それが、おりんが引き継いだ年に30本になる。ちょうど癒着問題が起きて、契約を一本一本チェックしろという時代になったからだ。2年目には、80本になっていた。

これ、回らない——。

おりんは提案した。年間の契約総額を大きく承認してもらい、そこまで積み上がるまではエクセルシートでの確認でいいことにできないか。一件一件、本部長のところにハンコをもらいに行っていたら、自分が回らない。「包括決裁」という仕組みを作っていいですか、と。

上司に聞いても、誰も教えてくれない。契約のことを聞いても、決裁のことを聞いても、「適当にやってくれ」しか返ってこない。だから法務や総務の人と直接相談しながら、自分で覚えた。一人でやる癖が、この頃についた。

仕組みもつくった。案件名と工数を入れたら、見積もりから決裁文書、契約書から納品書まで全部エクセルで出る形にした。「これで楽になりますよ」と言ったら、「じゃあ他の人に頼めるね」と言われて、また別の顧客を担当することになった。

次の配属先で、また同じことが起きた。

営業が受注判定を取らないと、開発が着手できない。設計会議と開発会議、それぞれ別々に承認を取らないといけないが、中身はほとんど同じだった。タイムラグが無駄だと思った。

受注判定の時に、設計会議の着手部分も一緒にやる仕組みを作れないか。本社に相談しに行って、「一括決裁」の仕組みを作った。

「よっしゃ、できた!」

喜んで開発の部長に報告したら、電話口で激怒された。

「何の権限があってお前、そんな調整、勝手にしたんだ」

納得がいかなかった。開発の人たちの決裁を楽にするためにやったのに。電話を切った後、「ウェー!」と叫んだ。そばにいた、相談にのってもらっていたおじさんが、「どうしたの」と慌てて聞いてきた。「怒られた」「納得いかない」。

後になって、そのおじさんに言われた。「会社の仕組みとして採用されたよ」。おりんが作った仕組みは、結局、残ったのだ。

でも当時、おりんは「いいことやったのに怒られた」という体験として記憶していた。

根回しができない。相談しないで動く。やらないのではなく、それが必要だとわかっていなかった。

振り返ると、おりんはずっと「ドリルの先端」にいた。

ゴリゴリと先を切り拓いて、後ろの人たちは、出来上がったトンネルを通っていく。自分が苦労して覚えたことを、下の子たちが同じ苦労をしなくていいように教える。でも、苦労する前に教えるから、ありがたみが伝わらない。「なんでこの人たち、これがわからないんだろう」と思いながら、また一人で先を掘り進める。

3人分の仕事を一人でやっていた時期もあった。でも、それが普通だと思っていた。間に合いませんとは言えない。だから間に合わせようと頑張った。夜中の1時、2時まで働いて、タクシーは自腹で、お気に入りのイタリアンで散財して、それがリフレッシュだった。

上司は「大丈夫か」と言いながら、飲みに行ってしまう。それが当たり前になっていた。

ゆきこの内省メモ

お話を聴きながら、ドリルの先端でゴリゴリと掘り進めていく姿が浮かびました。その後ろを、みなさんが出来上がったトンネルを通っていく。

包括決済の仕組み、一括決済の仕組み。「楽になりますよ」と報告したら、怒られるか、別の場所に行かされる。それでも仕組みは残る。後から来た人たちは、その恩恵を受ける。でも、誰がそれを作ったかは、あまり覚えていない。

印象的だったのは、「3人分の仕事を一人でやっていた」という話を、淡々とされていたことです。「わからなかったから」「それが普通だと思っていたから」と。苦労話として語っていないのです。

一人で切り拓くスタイルは、この時期に形成されたのだと思います。聞いても教えてもらえない。だから自分で覚える。自分で動く。相談しないのではなく、相談しても意味がないと学習した結果なのかもしれません。

一つ気になることがあります。あの頃のおりんさんに、「一緒に掘ろう」と言ってくれる人がいたら、何か違っていたでしょうか。

第3章 表面張力の涙

2010年。おりんは、事業部スタッフに異動した。

その少し前、営業の担当が変わっていた。新しい担当の部長は「お客さんと飲める」ことを喜ぶ人だった。おりんが「毎日はきついですね、肝臓的にも」と言ったら、「じゃあ向いてないな」と思われたらしい。結婚の話が出たタイミングで、「あなた、スタッフに異動希望を出しておいたから」と言われた。本人の希望のない異動だった。

それまで積み上げてきた営業のキャリアが、突然、なくなった。

異動先では、最初から嫌がらせのような仕事が待っていた。

キックオフの場所取り。通常なら2〜3ヶ月前から調整するものを、異動した4月に「場所取れてない、やれ」と言われる。病休後に復活した社員の世話もつけられた。その子は本当に仕事ができなくて、しゃべる前から泣いている。「私にはできません」と言う。議事録を見たら、「こんなこと言ってないよね」というようなことが書いてある。

誰も手伝ってくれなかった。「俺、手伝わないから」と課長から言われた。どうにか会場を探してきても、ほかの人たちからも「なんでこんな場所でするんですか」と言われるだけ。

助けてくれたのは、派遣さんたちだけだった。「この状況、おかしいですよね」と言ってくれた。

異動した直後から、深夜2時まで帰れない日が続いた。数字の仕事もあった。周りはどんどん帰っていく。プライドがあった。負けず嫌いだった。だから「助けてください」が言えなかった。

キックオフは、盛況だった。

事業部長から「二次会でゲームをやってくれないか」と言われて、みんなが話し合えるようなゲームを作った。各担当の集合写真を4つ切りにして、1枚ずつ配って、4つ揃ったら上がり。うまい棒を景品にして、「こんにちは、どこどこ担当です」と挨拶しながら揃えていく。

当日の作業分担を手伝ってくれと言ったら、「説明受けてないから手伝わない」「こんなのうまくいかないと思う」と言われた。同世代の同僚たちにも、言われた。派遣さんたちが手伝ってくれた。時間がないから、強行した。結果、すごく盛り上がった。同僚たちは、悔しそうだった。

イベントの最後に、隣の担当の部長が、声をかけてくれた。

「本当に夜遅くまで準備をして、盛り上がるの作ってくれてありがとう」

泣きそうだった。でも、ニコニコしてごまかした。表面張力で涙をこらえるのは、もう慣れていた。

そこからが、本当のパワハラだった。

組織開発の走りのようなプログラムを、事業部でやることになった。コンサルに入ってもらって、一年間のプログラムで組織を良くするというもの。何をするのか分からず、みんなやりたがらなかった。おりんと、もう一人、課長代理の男性が組まされた。

組まされた相手——Iさんは、前の現場で部下との間に問題を起こし、事業部スタッフ預かりになっていた人だった。研修を受けて「様子が良くなった」ということで、おりんと組むことになった。

その日から、毎日1時間、怒鳴られるようになった。

フロアのオープンスペースの会議卓で。みんなの席のすぐそばで。怒鳴り始めると、周りが静かになる。「俺のこと馬鹿にしてるのか」。テーブルをバンバン叩く。途中でフーフー言い始める。30分くらい経つと、呼吸を落ち着かせるような音を立てる。それでも止まらない。途中で何も言わずに席を立って、戻らない。

2〜3ヶ月、続いた。

おりんは不思議と、「自分のせいだ」とは思わなかった。

「この人、何が起きてるんだろう」と思っていた。「怖い」とも思ったけれど、それ以上に「この人、ちっちゃいな」と思っていた。何かコンプレックスを刺激されているのだろうか、と分析していた。メタ認知で、上から見ていた。

でも、体は正直だった。

会社に行く時、前を歩く人の靴ばかり見ている自分に気づいた。「この人、靴汚れてるな」「この靴いいな」——目線が下がっている。「やばい」と思った。足を見ないようにしようとした。

めまいが止まらなくなった。耳も聞こえにくくなって、薬を飲むようになった。

気持ちは「そんなに大変じゃない」と思っていた。負けず嫌いだから。でも、体が「無理」と言っていた。

課長に相談しようとした。

でも、Iさんが先に課長に話をしていた。おりんの悪口を、言いまくっていた。課長に「すみません、相談に乗ってほしいんですけど」と言っても、「俺忙しいから、予約するなら1週間前にスケジュール取って」と言われた。

派遣さんたちは、心配してくれた。「大丈夫ですか」と言ってくれた。

でも、同僚たちは誰も声をかけてくれなかった。異動したばかりで、自分のことを知らない。毎日怒られているのを見て、「何やっちゃってるの」という目で見ていた。言う気にもならなかった。

入社したときのトレーナーだった先輩が、声をかけてきた。

その人は当時、課長か部長になっていた。隣の営業担当として、同じフロアにいた。おりんが毎日怒られているのを、見ていたのだろう。

「大丈夫?」

その言葉の後に続いたのは、こうだった。

「ごめんね、俺、助けらんない」

実は、Iさんのことは、「かわいそうな人だ」と思って見ていた。この人は自信がないんだろう、こういうやり方しかできない人なんだな、仕事できないなこの人——そうやって、上から見ていた。だから耐えられた。

でも、「助けらんない」という言葉は、刺さった。

「大丈夫?」と聞いてきたのに。見てくれていたのに。

おりんは、助けてとは言えない人だった。でも、「助けらんない」と言われたことで、パチンとスイッチが入った。

会議室に入ると、涙がポロポロ出るようになった。

みんなのいるところでは大丈夫なのに、会議室に一人で入ると、泣けてくる。理由がわからない。なんかわかんないけど、涙が出る。

たまたま、同じ担当の女性社員が通りかかって、それを見た。きっと上に報告したのだろう。それから少しして、Iさんの異動が決まった。

Iさんがいなくなったら、普通に笑えるようになった。

仕事が進むようになった。「こいつ、仕事できないわけじゃないんだ」と、周りから見てもらえるようになった。

でも、おりんはその担当のことが、最後まで好きになれなかった。心を割って話せなかった。

ゆきこの内省メモ

「助けらんない」という言葉が、ずっと残っています。

Iさんに怒鳴られていたことよりも、その言葉の方が痛かったのではないかと感じました。「大丈夫?」と聞いてきたのに、「ごめんね、助けらんない」。見てくれている人がいた。でも、助けてはもらえなかった。

おりんさんは、Iさんのことを「かわいそうな人」として見ていました。メタ認知で、上から見ていた。だから「自分のせいだ」とは思わなかった。それは強さだと思います。でも同時に、涙の意味がわからなくなるほど、感情を切り離していたのだとも思いました。

「表面張力で涙をこらえる」という表現が印象的でした。こぼれそうでこぼれない。ギリギリのところで止まっている。それを何度も繰り返してきた。

一つ、気になることがあります。あの組織で、誰かが「助けるよ」と言っていたら——おりんさんは、それを受け取れたでしょうか。

第4章 助けられない

おりんは、会社を辞めようかと思っていた。

結婚してから、旦那さんには「辞めた方がいい」とずっと言われていた。朝出勤して、次の日の夕方まで帰ってこないこともあった。36時間、働いたこともある。「死ぬかと思った」と、おりんは言う。異動した後は、パワハラだ。

でも、辞めなかった。

隣の担当の部長——キックオフの時に「ありがとう」と言ってくれた人が、声をかけてくれた。深夜まで残っているおりんのところに来て、「辞めようかと思うんです」という話を聞いてくれた。

「ちょっとだけ待って。組織が分かれるから」

詳しいことは言えないけれど、分かれることになる。そうしたら、別のところに行けばいい。彼らと違うところに行ったらいい。あなたのやれることは、いっぱいあるよ——そう言ってくれた。

2012年。組織が分かれた。好きになれなかった人たちとは、別の組織になった。

新しい組織では、自由にやらせてもらえた。

人がいなかったから、自由にするしかなかった。赤字のプロジェクトばかりの組織で、いい人がいたら現場に回す。スタッフは3人ぐらいで、多い時は200人の組織を回していた。

その頃からおりんは、「プロスタッフ」を名乗るようになった。

前の組織では、スタッフは下に見られていた。「現場の方が偉い」という文化があった。みんなどこか、卑屈だった。おりんは、それが嫌だった。

「私、プロスタッフなんで」

聞かれたら何でも答えられるようにした。自分が答えられなくても、誰に聞けばいいかを知っているようにした。外部の人との繋がりも、意識して作った。「何でも聞いてください」と言い続けた。現場の人たちがバラバラに調べるよりも、自分が情報を持っていた方が早い。

課長代理に上がったのは、同期の男性たちから十数年遅れだった。

自分よりも何歳も若い後輩(男性)がすいすいと昇進した時も、「おめでとう」と言った。お祝いもした。女性は上がらないものだと、どこかで思っていた。がっくり来ていたはずなのに、それを認識していなかった。

「他担当の同じ役割の女性が課長代理に上がったんです。私のほうが仕事をしていると自負しています。私が上がらない理由は何ですか」

そう言って、ようやく話が動いた。上司が頑張ってくれて、最終的には上げてもらえた。でも、最後に言われた言葉が、残っている。当時の役員が言った言葉。

「40代の女性を上げるより、30代の男性を上げたいよね」

おりんがいた組織は、全社の中で一番、女性比率が低かった。

問題プロジェクトばかり起こす。赤字ばかり作る。シフト制で働いたり、土日なく働いたりする。それに耐えられる人しか残らない。だから女性が少ない——そういう組織だった。

おりんは、我慢してきた。おかしいと思っても、声を上げなかった。「そんなものです」と言ってきた。今考えてみると、疑問を持って声を上げた人たちは、出世していた。「なんで私だけ」と言った人たちは、役員になっている。

不満を言わないという形で、その構造を支えてしまっていた。おりんは、片棒を担いでいた側だった。

女性活躍推進の名の元に、女性を上げろという指示が出た時期があった。そうすると、予定していた男性が一年遅れる。「お前のせいであいつは上げさせられない」と言われた女性もいたそうだ。

おりんは思った。あの時、「おかしい」と言っていれば、今の子たちがこんなしんどい思いをしなくてよかったのかもしれない。我慢は、良くない。声を出さないと、変わらない。

若い子たちに関わる時、おりんはこう言うようにしている。

「我慢してきた私が言うのは申し訳ないけど、我慢はしない方がいいよ」

自分たちの未来のために。そこで我慢して黙っていたら、何も変わらない。声を出した先は、変わるかもしれない。

ゆきこの内省メモ

「助けらんない」と言われた経験と、「40代の女性より30代の男性を上げたい」と言われた経験が、どこかで繋がっているように感じました。

見てくれている人はいる。でも、助けてはもらえない。認めてくれている人はいる。でも、上げてはもらえない。おりんさんは、そういう経験を重ねてきたのだと思います。

印象的だったのは、「担いでいた側だった」という言葉です。不満を言わない、声を上げない、それでいいと言う——そうやって構造を支えてしまっていた、と。その自覚があるからこそ、今、若い人たちに「我慢はしない方がいい」と言えるのだと思いました。

おりんさんは「助けて」と言えない人でした。でも今は、「助けて」と言える組織を作りたいと言っています。「大丈夫?」と聞かれた時に、「大丈夫じゃない」と言える場所。それが、おりんさんの目指す組織なのかもしれません。

第5章 発酵食品にする

2020年頃。おりんは、あるワークショップに参加していた。

「自分にOKを出す」というテーマのワークだった。手放せていないもの、終わっていないことを、終わらせる。その一環で、「二度と会いたくない人に、1000円のプレゼントを贈る」という課題が出た。

二度と会いたくない人——おりんの頭に浮かんだのは、Iさんだった。

最初に思いついたのは、「命の母」だった。

男だけど、ヒステリーばっかり起こしやがって。更年期かお前は。匿名で送りつけてやろうか——そんなことを考えていた。

(今こうして書き起こすと、なかなかの言い草だ。でも当時のおりんは、本気でそう思っていた。)

でも、週末の間ずっと、Iさんのことを考え続けた。あの時、何が起きたか。なぜああなったのか。今どこにいるのか。

調べてみたら、Iさんはまた「スタッフ預かり」のような場所にいた。あんたまだそこにいるのか、と思った。でも、そうだろうな、とも思った。人は変われないよね、と。

そして、ふと思った。

あれって、私もやってたよな。

彼の一番悪いところを引き出していたのは、私だったんじゃないか。

きっちりやってほしい人に対して、着想の「良かれと思って」をぶつけていた。言われた通りにやるのが嫌いだから、プラスアルファを足す。「どうすればいいですか」とも聞かない。そうすると、「俺の言うことが聞けないのか」スイッチが入る。

いつものパターンだった。紙コップの時も、包括決裁の時も、同じことをしていた。良かれと思ってやって、怒られる。

あの人にパワハラをさせたのは、私だったのかもしれない。

おりんは、手紙を書いた。

プレゼントとして、メガネ拭きを選んだ。ただ普通の無地だと捨てられてしまうから、アートが描いてある、しっかりしたやつを探した。銀座のメガネ屋を何軒も回って、4〜5千円するものを買った。それを使うたびに、思い出して欲しかった。

手紙には、こう書いた。

こういうワークをやることになって、思い出したので手紙を書きます。あの時、私もしんどかったけど、きっとIさんもしんどかったと思って。ああいうことさせちゃって、ごめんなさい——。

「させちゃってごめんなさい」という言い方にした。A4の紙にびっしり、何度も書き直して、丸一日かかった。

住所がわからなかったから、会社の郵送システムを使って、職場宛てに送った。

返事は、その日のうちに来た。

メールだった。「当時はごめんなさい」と書いてあった。「今、何やってるの」と聞かれた。

おりんは、組織開発をやっていると答えた。あの時のことがきっかけで、この道に来たんだと思う。だから、ありがとうございました——そう書いて送った。

「そういうことになったなら良かったです」という返事が来た。

きっと、今も自分のやり方を変えられていないんだろうな、と思った。でも、それはもう関係なかった。

おりんは、自分の中で「完了」を感じていた。

実は、発送した時点で、もうスッキリしていた。メガネ拭きを選んで、手紙を書いて、送ると決めた時点で、自分の中では終わっていた。

返事が来たことで、「やってよかった」と思えた。悪くなかった、と思えた。でも、完了のタイミングは、発送した時だった。

「今度近所に来る時は声かけてね」と言われて、「お願いします」と返して、やり取りは終わった。

振り返ると、Iさんのせいだとうらんでいた時期があった。あいつのせいで、あの時期は暗黒だった、と。

でも、本当にしんどかったのは、Iさんに怒られていたことではなかった。

「助けらんない」と言われたこと。お手並み拝見の目で見られていたこと。組織の空気。そっちの方が、ずっと痛かった。

Iさんは、わかりやすい「敵」だった。でも、敵じゃなかった。お互いに、悪いところを引き出し合っていただけだった。

おりんは、感情を「箱に入れて置いておく」という言い方をする。

辛いことがあっても、日々それを味わうのはしんどい。だから箱に入れて脇に置いて、目の前のことをこなしていく。でも、箱はなくならない。どんどん積み重なっていく。

あのワークをやった頃、結構追い詰められていたのかもしれない、とおりんは言う。箱の多さに、見て見ぬふりができなくなっていた。

でも、時間が経てば開けられる。腐ったものだと臭いし、開けたくない。でも、開けて空気を入れたら、発酵する。いい発酵をして、食べられるようになる。それを食べて、自分の身につける。

「発酵食品にしましょう」という言い方を、当時していた。

今は、しんどいことがあったら、その場で発酵させている。

ChatGPTと話したり、コーチと話したり。箱に入れて置いておくのではなく、その場で空気を入れて、消化していく。大きな箱がいくつもある状態ではなく、小さなものをその都度処理していく。

会社を辞めたから言えることもある。中にいたら、「出世欲が残っている」ような、生臭さが出てしまう。外に出たから、空気をいっぱい入れられた。「ありましたわ、いろいろ」と言えるようになった。

ゆきこの内省メモ

「あの人にパワハラをさせたのは私だったのかもしれない」という言葉が、強く印象に残りました。

被害者が自分を責めている、ということではないと思います。そうではなくて、「私も構造の一部だった」という認識。良かれと思ってやっていたことが、相手の一番悪いところを引き出していた。そこに気づけるのは、すごいことだと感じました。

「命の母を送りつけてやろうか」から「させちゃってごめんなさい」に至るまでの、週末の内省の深さ。おりんさんの内省力を、このエピソードに見た気がします。

「発酵食品にする」という比喩が好きです。腐らせるのではなく、空気を入れて、いい発酵をさせる。それを食べて、自分の身につける。過去を「なかったこと」にするのではなく、「自分の一部」にしていく。

一つ、思ったことがあります。この「発酵」ができるようになったのは、コーチングを学んでからだとおりんさんは言っていました。でも、素地はずっとあったのではないでしょうか。メタ認知で自分を見る力。「ミニおりん」が、ようやく自分のために使えるようになった——そういうことなのかもしれません。

第6章 してやったり顔

2019年。おりんは、人事本部に異動した。

公募だった。組織開発の支援をやっているチームがあって、そこに知り合いがいた。入社当時のトレーニングで一緒だった人が、人事に移って組織開発をやっていた。「次の人を育てたいから来てくれないか」と言われて、手を挙げた。

本当は、ここからの10年を、そこでやるつもりだった。

ところが、行ってみたら、話が違った。

面接の時に「数字もやって」と言われた。おりんの経歴を見て、事業計画ができる人だとわかったからだ。「それをしないと通さない」と言われた。

結局、組織開発は1割、数字の仕事が9割という配分になった。

おりんは、9割の数字をやるが、残業して組織開発の時間を作った。1.8馬力ぐらいで働いていた。勉強のためにやらせてもらえた4年間だった、とおりんは言う。

場数を、積むことができた。

問題は、組織開発のチームが、社内でアピールをしていなかったことだった。

何をやっているかわからない、知る人ぞ知る存在になっていた。課長までは知っている。でも部長は興味がない。本部長が変わったタイミングで、「このチーム何やってるんだ」と聞かれた時、部長には答えられなかった。

「そんなチームいらない」と言われて、消されることが決まった。

2023年の8月末の、金曜日だった。

「3月末までで組織力チームは終わり。そこから先は事業計画だけやってほしい」

そう言われた。

おりんは、週明けの月曜日に「会社辞めます」と宣言した。

怖くなかった、とおりんは言う。

ダメだったらダメで、また他のところに転職すればいい。なんとか生きていける気がした。ちょうどその頃、コーチングの修了試験に向けて、仲間たちとセッション練習をしていた。「この働き方でいいのかな」「何のために働いてるんだろう」——そんなテーマを持ってくる人が多くて、コーチ役をやりながら、自分も内省が進んでいた。

本当にやりたいことをするとは。

自分が関わる人がゴキゲンになって、その連鎖が広がっていく。そこのセブンイレブンのお兄さんが笑顔になる。そういう世界を作りたい。そのために、職場を良くするということをやりたい。

数字の仕事でも、できないことはない。でも、やっぱり違う。意味があると思えるのは、組織開発の方だった。

おりんには、見えている景色がある。

キュッと縮こまって、眉間にしわを寄せて、下を向いて、靴を見ながら会社に行く。自分に仕事が降ってきませんようにと思いながら、壁を作って、シェルターに入る。

そうじゃなくて、みんながなんとなく深呼吸できている。空気を吸えている。「今日も1日頑張った」と思って家に帰れる。

人生の何割もの時間を、仕事に使う。その時間がゴキゲンな時間になったら、絶対に幸せだ。

「やらされてる」じゃなくて、「自分がやってる」という感覚。

それが大事だと、おりんは言う。やる・やらないの選択までしなくてもいい。でも、やる意味を持っている。自分の考えを持っている。

「私にはできません」と言う人を見ると、おりんは悔しくなる。諦めている感じ。自分を信じていない感じ。「やれないことはないでしょ」「できる道を探せよ」と思う。

でも、だからこそ、「一歩踏み出す」瞬間が好きなのだ。

おりんには「してやったり顔」がある。

誰かが一歩踏み出した時。準備ができていなくても、背中を押して、スタートさせた時。「やったね」という瞬間に、ニヤニヤしている。鼻の穴がふんふんする感じ。

「生きてる実感だと思う」と、おりんは言う。

最近、ある会社で5回シリーズのワークショップをやった。100人ぐらいの会社で、課長さんたち6人が対象だった。

初回、みんな腕組みをしていた。「忙しいのに呼びやがって」「何させられるんですか」という空気。

1対6でやり取りしていた。おりんが振る。誰かが答える。また振る。答える。6人の中での横の動きが、なかった。

最終回。振り返りの時間を取った。「どうでしたか」と聞いたら、一人が話し始めた。そうしたら、他の人が質問し始めた。「皆さん、どうしてますか」と。

10分のつもりが、30分になった。おりんは途中で入ったりしながら、でも基本的にはほっといた。

横で相談し合えている。

「これですよ」と思った。「これが作りたいんですよ」と。

おりんは、一つのチームに継続して関わる方が好きだと言う。

単発の講座で研修講師として「はい、皆さんこの通りやりましょう」とやるよりも、対話を積み重ね、何回かに分けて、変化を見届ける方が好き。

自分自身が、楽しんでいる。だから、周りも楽しくなる。

おりんは「怖くない人」だと、自分で言う。

コンサルの中には、怖い人もいる。「こんなことも考えてないんですか」と詰める人。おりんは、「こんなこともありますよね」と言う方だ。アイデアをポロポロ出して、その中から好きなものを選んでもらう。

ひどい状態を見ても、深刻にならない。「やばいっすね」と笑う。楽しみながら、「じゃあこうやってこうぜ」とやる。

できてないことを、責めない。わからない時には、「そんなコトもありますよね」と言う。

順調に流れに乗って出世していたら、見えなかった景色がある。

下から、いっぱい見てきた。その経験が、引き出しになっている。

苦労話として語っていないから、「苦労してない人」に見えるかもしれない。「どうせわかんないでしょ」と思われるかもしれない。でも、体験はしている。涙が溢れていた時期も、靴を見て歩いていた時期もある。感じていたはずのことを、きれいにスルッと流しているだけだ。

「助けて」と言える組織。「大丈夫?」と聞かれたら「大丈夫じゃない」と言える組織。モヤモヤをテーブルの上に出して、みんなでどうしていくかを考えられる組織。

おりんは、そんな組織を作りたいと思っている。

インタビューの後、おりんはこう言った。

「助けてが言えなかったからこそ、助けてが言える仲間を作りたいっていう、渇望みたいなものがあるのかな」

関谷直子として立ち上げる、新しい会社の名前は「IRORI & Co.」にしたいと思っている。

一人でやるのではなく、「助けて」と言える形。自分の得意分野はここ、でも女性活躍はこの人、AIはこの人——そうやって、呼んで巻き込める仲間たち。信用できる仲間たちがいる状態。

「それが、一人でやるっていうことのひっくり返しなんだと思うんだよね」

ドリルの先端で一人で掘り進めてきた人が、今度は「一緒に」を作ろうとしている。

インタビューの最後、おりんはこう言った。

「過去が今の自分を作ってるよね、すごい思った」

出てきた言葉で、気づいたことがある。「楽しい」が大切だと思っていたけれど、それ以上に、いろいろ大切にしているものがあった。

カビの生えたコップ。「なんで」スイッチ。あれが、原点だった。

自分のコミュニケーションの取り下手、地ならしをしないところ、何回やっても学ばないところ——そういう「若い自分の可愛らしさ」みたいなものも、今の自分を作っている。

全部ひっくるめて、今のおりんがいる。

ゆきこの内省メモ

2時間のインタビューを通して、一つの像が浮かんできました。

「なんで」と問う人。仕組みで解決しようとする人。ドリルの先端で切り拓く人。表面張力で涙をこらえる人。感情を箱に入れて、後から発酵させる人。そして、誰かが一歩踏み出した時に「してやったり顔」をする人。

全部、おりんさんです。

印象的だったのは、苦労話を苦労話として語らないことでした。淡々と、でも鮮明に、当時の情景を話してくれる。「しんどかった」とは言うけれど、悲壮感がない。聴いている側が「それ、大変だったでしょう」と思う場面でも、本人は「そうだったかな」という顔をしている。

それは強さでもあり、もしかしたら見えにくさでもあるのかもしれません。「どうせわかんないでしょ」と思われてしまう可能性がある。でも、体験はしている。感じていたはずのことを、ビニールを剥がすようにスルッと流しているだけで。

私は、この人と話していて「わかってくれる人だ」と感じました。言葉にならないけれど涙が出る、という経験を知っている人。組織の中で息ができなくなる感覚を知っている人。だからこそ、「深呼吸できる組織を作りたい」という言葉に、重みがあります。

「IRORI & Co.」という名前を聞いた時、ああ、と思いました。

囲炉裏は、火を囲む場所です。一人で燃えるのではなく、みんなで暖を取る場所。そして「& Co.」——仲間と一緒に。ドリルの先端で一人で掘り進めてきた人が、今度は「一緒に」を作ろうとしている。「助けてが言えなかった」人が、「助けてが言える場所」を作ろうとしている。

だから、私からも伝えておきたいことがあります。

おりんさん、必要な時は「助けて」と言ってください。

今、おりんさんの周りにはたくさんの仲間がいます。囲炉裏を囲む人たちがいます。私だって、もちろん駆けつけます。

一人で掘り進める時代は終わりました。これからは、一緒に火を囲みましょう。

おりんさんの「してやったり顔」を、私も見届けたいと思っています。会社を作る時、それを世に出す時——その顔がどんな顔になるのか。きっと、今まで以上にニヤニヤしているんじゃないかと、勝手に想像しています。


◇◇◇

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

「カビの生えたコップ」から「IRORI & Co.」まで——一人の人が歩んできた道を、一本の線でつないでいく。それが、インナーストーリー・ライティングです。

立派な経歴ではなく、人間臭さや不器用さ、味わった感情にこそ、人を惹きつける物語は宿ります。あなたの中にもきっと、まだ言葉になっていない物語があります。

それを、一緒に探り当てにいきませんか。

◇◇◇

この物語の人

関谷直子(おりん)|IRORI & Co. 代表/組織開発

「助けて」と言える組織をつくる。一つのチームに継続して関わり、対話を重ねながら、変化を見届けるスタイル。

👉 おりんさんのサイト

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あらがき ゆきこ|インナーストーリーを探り当て、魅力を「手の内」に

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