Chapter6:麻雀プロになった妻が号泣しながら帰ってきた夜のこと
電車で号泣する大人、見たことある?
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今この文章を読み始めたあなたに想像してもらいたい。電車で乗り合わせた向かいの席に、号泣する人がいたら、あなたはどう思うだろう。
相手が子どもなら、イジめられたり叱られたりしたのだろうかと推論するだろう。ただ、目の前で泣き腫らす乗客はどこから見ても大の大人だ。
大人だって泣くことはある。でも、電車で人目もあるのに泣くのはよっぽどのことだ。もしかしたら、長く交際した恋人と別れた直後かもしれないし、愛する家族を突然亡くしたのかもしれない。あるいは、医師から重病の告知を受け、死の恐怖にパニックになった涙かもしれない。
しかし、世の中には、それらとは全く違う理由で、電車の中で人目をはばからず涙する人が存在する。あなたに今思い浮かべてもらっている彼、いや彼女は、うちの妻である。彼女は麻雀で負けて涙したのだ。今週は、妻が麻雀に負けて号泣しながら電車に揺られた夜の話。
人生始めてのリーグ昇級がかかった最終節

プロ雀士デビューを飾った妻は、最初のリーグ戦はいいところなく最下部のリーグに残留。迎えた2期目で、ようやくプロデビュー初、いや、人生初の昇級チャンスがやって来る。
最終節を前に、妻は昇級ボーダーの下20ptsほどの位置。残り4半荘を残すのみだが、昇級は現実的だった。ここまで行ったら悔いなく打ち切って昇級を決めたい。勉強会も連日行った。就寝前に眠い目をこすりながらネトマでも散々打った。万全を期した。運命の最終節の朝もいつもどおり、妻は玄関を飛び出していった。
蓋を開けてみると、4半荘のうち最初の3戦を終え、2、3、2着と耐える苦しい展開となった。是が非でもトップがほしい最終戦も、南3時点で原点に近い2着目という苦しい展開だった。それでもなんとか耐えて大きめの2着をもぎとれば、ボーダー上の選手の結果によっては昇級が見えなくもないが、現実的には少し苦しい。
そこで、子のラス目からのリーチの声がかかる。もちろん、全く望まない展開だ。妻もメンタンピンが狙える良形の一向聴。親落ちした妻だが、ここでリーチをかいくぐり和了れば1着はすぐそこだし、聴牌流局だとしても1着が見えてくる。そして安牌もない。リーチを受け1発目に妻がツモったのは、場に1枚切れの西。「嫌な予感はした」とその日の夜に苦々しそうに妻は振り返ったが、そう思いながらも行くしかない。躊躇なく切ったその西にロンの声がかかる。
リーチ、一発、チートイ、ドラドラ、12000。
妻はこのときを「本当に眼の前が真っ白になったのは人生でこのときだけ」と振り返っていた。それぐらい衝撃的だったのだ。この瞬間、妻の人生初の昇級を賭けた戦いは実質終わった。手の届くところにまであった昇級は泡と消えたのだった。
打ち上げに行く気にもなれず。電車で耐えきれず号泣

茫然自失のなかリーグ戦会場を後にする。最終節後なので打ち上げに行くグループもいくつかあったようだが、行く気持ちになれるわけもなく、誘いを辞退し、フラフラになりながら改札を通り、電車に乗って帰路につく。
さすがに他のプロがいるリーグ戦会場では我慢したが、電車で1人になり、座席に座った途端、溢れ出る涙を抑えることはできなかったという。本人曰く、泣き叫ぶというより、静かに、でもとめどなく涙が溢れ続けていたそうで、声もなく静かに泣き続ける成人女性の姿は、周囲の乗客には相当不気味がられたであろう。妻に代わってこの場でお詫びする。
LINEでその結果を聞いて、妻と打ち上げという名の残念会をしようということになった。渋谷で落ち合った妻は、直前まで泣いていたことを物語るように、目の周りのメイクが少しにじんでいた。
ただ、こういってはなんだが、この日妻が流したという悔し涙を思い返すたび、「その涙、素敵やん」と私の心の中のヘキサゴン司会者が鼻を鳴らしながら登場するのである。
大人の“悔し涙”、素敵やん
別に私は妻のことが嫌いなわけでもなければ、苦しむ姿が見たいサディストでも、共感性を欠いたサイコパスでもない。「素敵やん」と思えたのはまったく別の理由だ。
夫として、もちろん妻のリーグ昇級を願っている。それは偽りのない本心だ。だから、まず昇級できなかったことに対して、「残念」という気持ちがある。それが大前提だ。
一方、私は「電車で泣くほど悔しい経験」を妻がしたことに、どこか「うらやましい」という気持ちを持ったことも事実だ。
考えてみてほしい。大人になって大粒の涙を流すような局面がどれだけ残されているだろう? 冒頭で上げたような失恋、家族との別離、重病など、人生の重大局面で心揺さぶられることはあるだろうが、そうでもないかぎり、人生経験が無駄に長くなってくると、よっぽどのことでないと干からびた涙腺は仕事をしない。妻もどちらかというと私側の人間で、日常生活ではポーカーフェイスなのだ。そんな妻が、涙を流して悔しがった。その事実が、夫として何よりもうれしかったし、少しうらやましかった。
「涙が出るほど悔しい経験」は辛いものだが、マクロな視点で見れば、それは人生の豊かさだと思う。そして何より、妻がそれだけ麻雀が好きで好きでしかたない、麻雀を強くなりたいということの現れだ。
以前にChapter2で、「妻が勝ったり負けたりして帰ってくる生活が楽しい」と書いた。今日書いたことはそれの延長線上にある。
号泣するほど悔しかった敗北、そしてそんな経験ができる環境ーーそれらを妻が手にしたことそれだけでも、麻雀プロになるという彼女の決断を後押ししたことが、間違ってなかったと今も思えるのである。
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