「ピソ職人新聞社の道標」 第10話
第10話
コゴアミンは工房から帰り、ジョアンナはリアナの仕事が終わるのを待った。
エラディンとリアナが記事の詰め作業と、挿絵にするスケッチをどれにするかの相談を少し離れた場所からぼんやり聞いた。
記事の詰め作業が終わると、エラディンは少し休もうかなと言って、工房の寝室に眠りに行った。あたりは真っ暗になっていた。
「深夜のお散歩ですね」リアナが言った。
フィリッポの工房から出て、メインストリートに出て、メインストリート沿いに歩いていく。昼間は人の往来が激しくガヤガヤと騒がしいのだが、今は町が寝静まって、シーンとしている。
「印刷所って、こんな夜更けに動いているの?」
「そうなんですよ。朝刊として、これが各地に配送されますからね」
「その原本からどうやって、同じ新聞ができあがるの?」
「それはね、印刷所で働いている複写術を使える魔法族たちが、この原本を必要部数の紙に複写しているんです」
「複写術……?」
「そう。複写術の使い手の魔法族のおかげで、印刷出版業も発展してきたのよ」
「魔法族っていろんな術が使えるんだね。師匠に聞いたことがあるんだけど、タランティー国のパチェイをつくるためには、魔法族がつくる特別な粉を調合する必要があって、それは魔法族しか調合できないみたい」
エラディンがタランティー国の銘菓パチェイについて話していたことをジョアンナは思い出していた。
「そうね。でも、魔法族も様々な種類の魔法を使える強力な魔力を持つ魔法族は多くはないそう。だからこそ、自分の得意な術に特化して仕事にしていることが多いみたい。あの印刷所には、複写術に長けた魔法族が働いているのよ」
印刷所に到着し、リアナが勝手口のベルを鳴らした。すぐ横の小窓が開き、フードをかぶった人が顔を出した。
「どこの新聞社、発行日と部数は?」
「ピソ職人新聞社、明日の朝刊として2000部」リアナが答えて、原本と報酬を包んだ紙を渡した。
フードの人は、手元で紙幣を数えて「あい、お疲れ様」と言って、小窓が閉まり、内側でぴしゃりと、カーテンを閉めた。
「え、中って見せてくれないの?」ジョアンナは期待外れに思って尋ねた。
「ええ、そうなんですよ。複写術に関してはどういう風にされているのかは秘匿情報みたいでね。わたくしもこの建物内部がどんな風になっていて、どれくらいの魔法族たちが働いているのかわからないですよ」
では、戻りましょうかと言ってリアナは来た道を戻り始めた。
「今日あったこと、秘匿情報じゃなければ話を聞きますよ」リアナはジョアンナに向かってウインクした。
ジョアンナはフッと笑って、リアナ姉には隠し事できないなぁと言って、ベラッキオに言われたことと、それに対してジョアンナがどう思ったかについて、話した。リアナはうんうんと相槌を打つだけで余計な言葉を差し込まなかった。
最後まで話を聞いたあとでリアナは言う。
「言い方が下品であるものの、ベラッキオさんの言うことも一理あります。われわれは、ジョアンナさんが故郷に帰られないことをいいことに、あなたの能力を自分たちの利益のために活用してしまっているという側面は、ないとは言えません」
「そんな、師匠やリアナ姉が私をいいように使っているなんて、全く思ってないよ」
「あなたがどう感じるかではなく、構造としてそうなってしまっているという話です。だからこそ、あなたがこの世界で生きていくために、我々のためだけでなくて、自分ができることを活かしてみる道を追求してもいいのです」
「そんなの嫌だ。わたしは師匠やリアナ姉と一緒に新聞社の仕事がしたい」
「それを聞くと、エラディン様は喜ばれるでしょうね。でもね、道は一つじゃないんです。成り行きにまかせて自分の生き方を定めるやり方もあるでしょう。いや、自分はこの道に行くんだって決意して茨の道であろうとも自分の決断に責任を持つというやり方もあります。または、どちらもまじりあったやり方もね。目の前に現れる分かれ道を自分で決めていくことが人生です。自分で決断するにしてもいろいろな判断材料がほしいと感じることもあるでしょう。その判断材料はたくさんの人と出会うこと、たくさんの経験をすること、たくさんの世界を見ることから浮かび上がってくることがあります。エラディン様もわたくしも、その手伝いならできるかもしれません。そういう見方でこの新聞社の仕事を利用してよいと思います。そして、この道がすべてだと思わなくてもよいのですよ」
リアナの語りは静かだけれども確かにジョアンナの心の中に優しい波紋をひろげていく。
「ありがとう。ちょっと元気が出た。人生何周目かって思うくらいのリアナ姉の言葉の説得力だね。そういえば、リアナ姉っていくつなの?」
「ふふふ、レディーに年齢をきくものじゃないですよ」
「えー、教えてよー」
「年齢は数字でしかないですからね」
リアナがジョアンナの自宅につくように歩いていたからか、いつの間にか、ジョアンナの自宅に着いていた。リアナがじゃあこれでと言って、帰ろうとしたから、ジョアンナはもう少し話したいと引き止めた。
扉を開けて、暗闇の中ジョアンナは慣れた足取りで移動して、いくつかのランプに火を順々にともしていく。真っ暗だった部屋に火が付いたランプの数が増えていけばいくほど、部屋の輪郭がだんだんとはっきりした。
「絵を書くのがやっぱりお好きなんですね」
しまった!とジョアンナは思った。いろいろ描き散らしている絵が置きっぱなしだ。ピソ作りの手元の絵、夢でよく見る空の絵もあるが、フィリッポの横顔が描かれた絵もたくさんある。
「いやぁ……これは……」
「どれもやはり上手ですね」
リアナは、イーゼルに立てかけられた書きかけのカンバスや、机の上に雑然と置かれたたくさんのスケッチを見比べていた。
「ごめん、ちゃんと片付けるから、ちょっとまってて、そこの椅子に座ってて」
ジョアンナはささっと、机の上を片付けて、イーゼルも邪魔にならないように移動する。
リアナは、フィリッポの横顔の絵のひとつをじっと見ていた。
「……心動かされるものですね。真剣に描かれた作品は」
「それは、ちょっとはずかしい……。ばかみたいでしょ。もう結婚したっていうのに」
「いいえ、人を好きになることに悪いことなんてないです」
はずかしさを紛らわすために、片付けに手を動かし、ごめん、出せるものがミルクしかないと言って、テーブルにミルクをついだコップを二つ出した。
リアナとジョアンナは向き合うようにして座った。リアナは室内に入って、誰にも見られることがないと安心して、ずっと被っていたフードをとった。金色の艶やかな髪が、ランプの光を反射してきらりと光った。ストンとまっすぐな髪から、少しとがった耳の先が突き出ていた。ジョアンナも後頭部に止めていた髪留めを取った。広がったのはリアナと対照的に黒く癖っぽい髪だった。
「髪留めつかってくれているんですね。嬉しい」リアナが言った。
オリーブグリーンのガラス細工と金細工が施された髪留めはリアナが以前に使っていたものだった。
「その金色の髪についていたからすごく様になっていたんだけど、わたしがつけても、そこまでの見栄えにならなかったんだけどね……」
「そんなことないですよ。お似合いです」
ミルクを一口飲んで、一息ついた。
「この町にきて、ほとんど記憶がない状態から、少しずつ話せるようになって、この世界に適応しようとしてきたんだ。師匠やリアナ姉ももちろんだけど、一番身近にいたのが一緒に暮らしていたフィリッポだった。フィリッポがピソづくりしている様子や気配を感じながら、時折歯を見せてニカっと笑ってくれる笑顔を見ていると、いつの間にか好きになっちゃっていたんだ」
「フィリッポさん、いい方ですからね」
「まだわたしがフィリッポと一緒に工房で暮らしていた少し前の話。そろそろ、一人で暮らしたらいいんじゃないかって師匠に言われたんだ。工房は狭いし、作業もしているから落ち着かないだろうって言われてね。数年一緒に住んでいるし、今更そんなことないって言ったんだけど、師匠がいつの間にかこの家を手配してて、引っ越すことになってね。この家に引っ越したら引っ越したで自由に自分の空間ができたので、それは嬉しかったんだけどね。でも、引っ越してしばらくしたタイミングで、フィリッポが結婚するって聞いたの。驚いちゃって。でも、ああ、そういうことかって」
「そうですか。それは寂しかったですね」
「別に、どうこうしようとかそういうのは何も思ってなかった。ただ好きだった。そうか、この工房じゃなくて、別に帰る家があるんだって思ったらね……」
「初恋は叶わないことのほうが多いですからね……」
「……リアナ姉は、好きな人いないの?」
「久しくそんな感情を抱いていないですね。故郷を離れて、あなたのようにこの世界での新しい出会いと仕事に夢中でね」
「結婚を考えたことは?」
「……結婚ね。わたくしはそこまで関係を深めることができなかったですね」
「ずっと一緒にいたいと思った相手はいたの?」
「そうですね。一緒に過ごす時間がかけがえがなくて、この穏やかな時間がずっと続けばいいと思う相手がいました。……故郷に川のはじまりの泉があったんです。こんこんと水が地下から湧き出る小さな泉だったの。その泉から流れが始まり、小川ができ、それが山を下っていくにつれ大きな川になっていくんです。ちっぽけなはじまりから大きな世界に広がっていくイメージ、はじまりの場所を感じられる神秘的な場所で、わたくしはそこで本を読んだり、物語を書いたりするのが好きでした。普通は誰も訪れないような場所なのですが、そこにとあるダダビット族の青年が泉の水を飲みに来たのです。わたくし以外にもその場所にくる人がいるんだと驚いたものでした。ダダビット族の青年もわたくしの存在に驚いたようでした。でも何度か泉のほとりで会っていくうちに意気投合しました。青年は自分がどこを駆けてどんな世界を見たか話してくれました。わたくしは自分が書いている物語を青年に読んでもらいました。そんな交流があったのです」
「その人がリアナ姉の好きだった人? その人もリアナ姉のこと好きだった?」
リアナはうんと静かにうなずいた。
「お互い好きなのに一緒にいられないの?」
「……そうですね。われわれには種族の違いという壁がありました。エルフィー族は他の種族のものと一緒になることが許されていないのです。エルフィー族の力は強力だから、他の種族と交わることはご法度だったのです」
「エルフィー族の力って何?」
「……まあ、エルフィー族についての話はここでやめましょう。わたくしにはもう必要のない力なのです。そして故郷を離れた私がその秘密を勝手に話すことはできないのです」
「そっかぁ……。また、その青年と再会できるといいね」
夜中の女性同士のおしゃべりは、あたりがうっすらと明るくなるまで続いた。
第11話(つづき)
第1話はこちらから
いいなと思ったら応援しよう!
いいなあと思ったらぜひポチっとしていただけると喜びます。更新の励みになります。また今後も読んでいただけるとうれしいです。