【時代の曲⑮】卒業/尾崎豊(1985)(2025/6/29)
【レビュー】
1曲、「これは時代が変わった」というのを忘れてました。
前回の⑭から1年遡って、1985年発売のコレ。
発売が1月なので、正確には私は中学1年生。
その瞬間では無かったと思いますが、同年の後半には、中学生にもかなり知れ渡っていたと思います。
私は私立中学校だったので、周りも含めてそこまで金銭的にシビアな家庭ではなかったし、地元の友人はさておき、いわゆるヤンキー文化からは距離があった。
尾崎豊も、どちらかというと、そういうミドルより上の文化圏で、パーンと広がったという印象があります。
友人たちと鬱屈して集まるというよりは、各人がタコツボみたいに思いあぐねて悶々としているところに入り込んできたというか。
それは、恵まれた人たちの上からの悩みでしょ、と言われれば否定は出来ないのですけど、40年前、今とは比較にならないくらい少年少女は上から押さえつけられた状況にあって。
肉体的な暴力しかり、精神的な抑圧しかり。
そんな中、見事に言語化した一匹狼みたいなアーチストが出てきたのだから、それはヤられてもしょうがないわけです。
「この支配からの卒業」というキラーフレーズ。
時間としては短期間だったと思いますが、私も完全にヤられたクチです。
で、似たようなことは以前も書いたことがあるのですが、ここまで伝播すると、狂信的な信者が一定数出てくるわけです。メディアも含めて。
それがまあ、胡散臭いことこの上なく、宗教くさくて、嫌気がさした人も結構いると思うのです。
この人の場合、亡くなってからもそういう「若者の代弁者、信者」的な印象付けが行われ続けていて。
確かにそれは否定出来ないのですが、本当の意味で音楽的に評価される機会を逃してしまってて、それは本当に不幸なのでは。
音楽評論家のどなたか、この人を冷静に音楽的に追って、一冊の本にして欲しいところです。
このままじゃ勿体ないです、本当に。
単なる煽動者ではなく、きちんとしたアーチストだったと思うのです。
ともあれ、当時の若者の不満を可視化して、それゆえ爆発的人気を得て、最後は何やら神聖化されてしまった、という、本当の意味でのアイコンである尾崎豊、その代表的・象徴的なのが「卒業」だったのであります。
