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鏡の揺らぎの共犯者 05|第四章 らしさとの共犯


鏡の光と影の回──4年前


第四章 らしさとの共犯



正しい言葉より、
その人の言葉の方が、遠くまで届く。



顔を見れて、いなかった。

——そして、私はまだ
外に答えを探し続けていた。



セミナーで習った言葉を、
そのままスタッフに伝えた。

「最後に、一言だけ。
今回の商品、いかがでしたか、と添えてみて」

スタッフは、うなずいた。

「分かりました」

そう言ってくれた。

その日の夜、売上を見た。
指でなぞって天井を見上げる。
変わっていなかった。

次の週も、同じだった。

言葉は、間違っていなかった。

けれど、正しい言葉が、
その人の言葉になるとは限らなかった。

借りてきた服を、
無理に着せてしまったような。

そんな感覚だけが、残った。


その夜、パソコンの隣に紙を用意する。

スタッフの顔が、
ひとりひとり浮かんだ。

お客様の小さな表情の変化に、すぐ気づく。
前に話した家族のことを、覚えている。
言葉は少なくても、手が丁寧だ。
ふっと、場の空気を明るくする。

みんな、違っていた。

——答えは、外にはなかった。


この店の中に、すでに、あった。

やり方を変えよう。
そう思った。


紙にスタッフの名前を書いた。

その横に、私が見てきた
ひとりひとりの姿を、書き出してみた。

ある人は
お客様が席に座った瞬間、
「今日は少し疲れてますね」
と、そっと言える人だった。

ある人は
ニヶ月前のお客様の会話を
まだ覚えている人だった。

「お嬢さんとの旅行いかがでしたか」
そんな一言を、
自然に添えられる人だった。

ある人は、
お客様が雑誌を閉じた瞬間に、
次の一冊を、そっと差し出す人だった。

頼まれて、ではなかった。

書きながら、気づいた。

私は今まで、
この人たちの「できないこと」ばかり、
見ていなかったか。

売る言葉が、苦手。
数字に、弱い。
押しが、足りない。

ずっと、そこばかり見ていた。

けれど、
弱みを直した先に、
その人らしい光が生まれるとは限らない。

紙の上の名前を、
もう一度なぞった。

足りないものは、
ひとつもなかった。


ただ、それぞれの光が、
まだ言葉になっていなかっただけだった。


次の朝、
共感力の強いスタッフに、そっと伝えた。

「お客様の疲れにすぐ気づくの、
あれ、すごい強みだと思う」

その人は、きょとんとした顔をした。

「そんなの、誰でもできますよ」

——できない。

私には、できなかった。


もう一人は、ニヶ月前の
会話をまだ覚えている人だった。

「お嬢さんとの旅行、いかがでしたか」

そんな一言を、自然に添えられる人だった。
「よく覚えてるね。それ、すごい強みだと思う」

その人も、きょとんとした顔をした。
また、同じ言葉が返ってきた。

その人も、少し首を傾けた。

また、誰でも出来ると言われた。

本人が「誰でもできる」と思っていることほど、
誰にも真似出来ないのかも知れない。

窓の外を、見た。
少し、眩しかった。


それから、もう一つ決めた。

スタッフに、お客様のことを
もっと想像してもらおう。

美容室での時間だけじゃなく、
その人の毎日の、どこかに。

そう思った。


まずスタッフに、 大切なひとりのお客様を
決めてもらった。

「この人だけは、
絶対にきれいになってもらう」

そう思える人を、ひとりだけ。

そのお客様のことを、紙に書いた。

髪の悩み。
生活のリズム。
朝の時間。
家族のこと。
言葉にしていない不安。

そして、
そのお客様の「だけど」を、
一緒に探した。

朝、きれいにしたい。
だけど、時間がない。

髪を整えたい。
だけど、自分に時間をかけるのは気が引ける。

商品を使ってみたい。
だけど、続けられるか不安。

小さな「だけど」の奥に、
その人の本音があった。

数字の話は、出なかった。

売上目標も、出さなかった。


目の前のひとりを、きれいにする。
そこに、こだわるように伝えた。


その日から、店の空気が、
少しずつ変わっていった。

ある日、スタッフがお客様にこう言った。

「前に、髪の乾燥が気になるって
言ってましたよね。
ずっと、気になってて」

売るための言葉ではなかった。

覚えていた、
という言葉だった。

別の日、別のスタッフが、
お客様にこう言った。

「朝、時間ないって言ってましたよね。
これなら、たぶん無理なくできます」

説明ではなかった。

その人の生活を、
思い出している言葉だった。

スタッフの言葉が、
少しずつ、
その人自身の言葉に戻っていった。

借りものではない。

誰かに教わった言葉でもない。

お客様の顔を思い浮かべたときに、
自然と出てくる言葉だった。


ニュースレターにも、
その空気を少しだけ乗せた。

最初に書いたのは、
商品のことではなかった。

妻が、「これ、すごいね」
と言ったんです。

そんな、店の小さな出来事だった。

すると、お客様の言葉が変わった。

アンケートには、
こう書いてあった。

「店の雰囲気が好き」

商品より先に、
思いが届きはじめていた。


十二月三〇日

私は、いつものように店を開けた。

タオルを準備した。
鏡を拭いた。
シャンプー台に湯を流した。

そして、
夕方、店が落ち着いたころ、
引き出しの奥から、
去年の売上ノートを取り出した。

数字を、並べてみた。

300万。

店の外で、風の音がした。

その文字を、
声に出さずになぞった。

一度、見間違えたと思った。
もう一度、見た。

数年前、
年末までかかっても届かなかった数字だった。

うれしかった。

それなのに、
少し怖かった。

数字は、ときどき、
人をまた前に引きずり出そうとする。

でも、そのとき、
ひとつだけ確かなことがあった。

間違えては、いなかった。

その年の年末、
店販の売上は、
100万円から300万円になっていた。

先に変わったのは、
数字ではなかった。

スタッフの言葉だった。
お客様を見る目だった。
店に流れる空気だった。

朝、店を開けるとき、
誰かが、もう、鏡を拭いていた。

数字は、ずっと後ろから、
静かについてきた。


ある閉店後のことだった。

夜の八時を過ぎていた。
外は、すっかり暗かった。

タオルを畳む音だけが、
店に残っていた。



片づけを終えたスタッフが、
ふと私のそばに来た。

少し照れたように笑って、
こう言った。



「ノルマをなくしてくれて
本当にありがとうございます。

今、美容師としての自分らしさを、
取り戻した気がしてるんです。」




「もう、ついていけません」
あの夜、そう言って泣いていた、あの人だった。




返す言葉が、なかった。

なんとか、笑ってうなずく。

手の中のタオルが、
思っていたより温かかった。

私は、ただ、
タオルを畳んだ。

胸の奥で、
何かが、ほどけていった。

らしさは、
教えるものではなかった。

引き出しにしまった数字のかわりに、
私が店に戻したのは、
ひとりひとりの、
その人だけの色だった。

その色が、お客様の前で、
少しずつ言葉になっていく。

私はようやく、
数字の前ではなく、
スタッフの隣に立てた気がした。



〔共犯メモ〕 らしさとの共犯


・借りものの言葉をやめる。
教わった言葉を、一度、忘れてみる。

・強みを先に言葉にする。
「それ、すごいね」を、本人より先に言う。

・ひとりのお客様の「だけど」を探す。

「だけど」に、耳を澄ます。
その「ことば」を、そのまま返してみる。



第五章 メッセージとの共犯




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