見出し画像

【思考力を考える】ロジカルシンキングの罠

サラリーマンをやっていると、仕事上の判断においてはロジカルに考えることにプライオリティを置かざるを得ないのだが、一方で

ロジカルシンキングの限界や意図せずハマってしまう罠とでも言うべきパターンが見えてきている。

今回はそれを書いていきたい。

業務上の意思決定が求められる場面において、ロジカルに「これはこうだから、こう」と結論を数秒で下さないといけない場面がある。

私自身管理職のため自ら判断を下すことが多い。
この際ロジカル軸だととにかく判断が早いし、結論が出された部下も「なるほど分かりました」となるのだが、そのあとでしっくりしないようなむずむずした気分になる時がある。
私がさらに上位者に判断を仰いだ場合にも、たまにあることである。
このむずむずの原因を2つに整理してみたい。

1つめは、
ロジカルに思考し、瞬発的に判断を下した一連の水が流れるようなプロセスにおいて、自己満悦に酔っていなかったか?という疑念である。

これはそもそもロジカルシンキングをよしとする風潮と表裏関係でおそらくしばしばあり得ること。

例えば「掃除機を使えば掃除がラクになる」といった一見当たり前過ぎるロジックも、じっくり考えれば掃除機だけではきれいにできない箇所があり、「すべての」掃除をラクにできていないと気づく。

つまり全体としてみれば小さいかもしれないが見落としている部分があり得るのに、

ロジカルシンキングの本流の勢いはその細かさを(あたかも)無視するように一方向に進んでしまうリスクがある。


これに対し、
見落としている事に対してまたロジカルに詰めればよいだけでは?
は正論であるし、ロジカルシンキングに対してロジカルシンキングで返し抜け漏れを減らすプロセスが望ましい。

しかし
満悦感は思考の「行ったり来たり」の面倒臭さに向かおうとする意識を麻痺させる。

この場合の対策は、判断した後に一旦引いてみて、自己満悦していないか意識的・俯瞰的に判断を観察するしかない。
自分だけでなく部下や同僚の判断でも、同じ。もちろん言うは易し、である。

判断したタイミングで心理的に俯瞰するのが難しい事があるため、原稿や資料は「1日寝かせる」と、次の日に冷めた頭で抜け漏れに気づきやすいのは経験から来るティップスである。
(確か村上春樹も同じようなことを書いていた)

2つめは、
ロジカルな判断を下すのが「誰か」によりその効果と影響が全く異なる。

判断を下すのは組織では自然と上位者、管理職のケースが多く、そうなると問題となる以下の2つのケースが考えられる。

①ロジカル面でいくぶん脆弱性を感じつつ上位者の判断であることから、それをよしとして前に進まざるを得ない場合。

脆弱性による抜け漏れは後々になってブーメランのごとくまず部下に跳ね返ってくるし、いずれ上位者にも影響する。
そこからまた修正が入るが組織としてみたときには何かと効率が悪い。

②ロジカル面で破綻しているにも関わらず、上位者(社長や役員の判断であればなおさら)のパワーや、社内政治にねじ曲げられたり企業風土の外圧により結果としてイマイチな判断が下される場合。


こちらは①より要素の関係性が複雑であるため、問題としては根深い。
早晩問題が顕在化した時ですら、「なかったこと」にもみ消されてしまうことすらある。

こんなことが会社で横行すると、下位者や組織風土に与える悪影響はすぐに目にみえるものではないが、湿った場所にカビがじわじわ増殖するかのごとくである。

2つめの場合の対策は一筋縄ではないと考える。
長くなりそうなのでまた別の機会に書きたい。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!