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【小説・ヴィーナス症候群】(番外編54)14歳の忠臣蔵②男子中学生という生き物

夕方の職員室。
生徒たちが下校し、静まり返った空間で、南アルプスの麓の国中中学校のトップたちが重苦しい議論を交わしていた。

事の発端は、東京のドレスブランド「Felice」から学校に入った一本の電話だった。
商業施設「くになか20モール」での抱きつき事件。(本編889
防犯カメラには「KUNINAKA SOCCER」の青いジャージが鮮明に写っており、言い逃れは不可能だった。

「先方は大変な剣幕でした……。まだ警察には言っていませんが、モデルの女性もひどく傷ついていると」

教頭の雨宮は額の汗を拭いながら、校長の堀と、サッカー部顧問の古屋に視線を向けた。
雨宮は、先方にこれ以上の強硬手段をとらせないための「落としどころ」を必死に忖度していた。

「ですから……こちらとしては、最大の誠意を見せるべきです。実際に抱きついた河西くんを即座にサッカー部から退部処分にし、大会のメンバーからも外す。それだけの処分を学校として下したと伝えれば、東京のブランドだってこれ以上は突っ込んでこないはずです。それが一番傷が浅く済む」(番外編53

雨宮がそう提案した瞬間、それまで黙って聞いていた校長の堀が、机を強く叩いて立ち上がった。

「雨宮教頭! あなたは一体、どっちを向いて仕事をしているんだ!」
「え……?」

「世間体のため、学校の体裁のために、たった一人の生徒の人生を簡単に差し出すというのか! 彼は中体連の、中学最後の大会を目前に控えているんだぞ。それを大人の事情で奪って、保護者にどう説明するつもりだ!」

「校長のおっしゃる通りです!」

古屋も熱を帯びた声で言葉を重ねた。
「河西は確かに愚かな真似をしました。ですが、あいつなりにサッカーには誰よりも真面目に取り組んできた。そもそも、東京のドレス屋さんは、中学生という生き物がどれだけ馬鹿で、どれだけ分別のつかないものなのかが分かっていないんですよ!」

古屋がここまで熱くなるのには、明確な理由があった。
河西の家庭は生活保護受給世帯であり、彼が母親に負担をかけずに高校へ進学し、大好きなサッカーを続けるための唯一の蜘蛛の糸が、私立の甲州学院から提示されている「スポーツ特待生」の枠だった。
この中体連の大会は、その枠を確定させるための、文字通り彼の人生をかけた舞台なのだ。

「あいつは本当に母親思いの良い奴なんです!」
古屋は訴えるように言った。

「自分のせいで迷惑がかかるなら『高校に行かずに働く』とまで泣いて言ったんですよ。河西の母親だって、生活保護という引け目があるから、学校からそう言われれば『世間様に迷惑をかけたなら、うちが諦めるのはしょうがないね』と、泣き寝入りするに決まっています。ですが教頭、それはあの子を一生、貧困の連鎖の中に留め置くことになるんですよ! そんなことが、教育者のするべきことですか!」

「その通りだ」と堀校長が深く頷く。

「中学生の悪ノリなんて、昔からどこにでもある。子供は失敗する生き物だ。それを守り、貧困から救い出してやるのが教育の場ではないか。生徒たちの絆だってある。部員たちも『河西を排除するなら俺たちも大会に出ない』と一致団結しているんだ。学校としての方針は決まった。河西は処分しない。大会にも出す。フェリーチェ側には、教育的な配慮として『寛大な見守り』をお願いしなさい。地方の純朴な中学生の未来を、東京の大人が潰すような真似はしないはずだ」

翌日。
雨宮は胃を痛めながら、Feliceの担当者へと電話を入れた。
学校の代表として、雨宮は懇願というよりも、どこか教え諭すようなスタンスで言葉を紡いだ。

「――ええ、フェリーチェ様。今回の件は確かにこちら側の生徒の不始末でございます。ですがね、都会の洗練された皆様は、中学生という生き物がどれほど馬鹿な生き物かをご存じないでしょうけれど……彼らは本当に、前後の見境なく悪ノリをしてしまうものなのです。悪気はないのです。どうか今回は、教育的な配慮ということで、寛大な見守りをお願いできないでしょうか」

受話器の向こうの沈黙を察し、雨宮はさらに声を落とし、用意していた最大の切り札――家庭環境による「泣き落とし」へと舵を切った。

「実は……その河西くんですがね、非常に複雑な家庭でして。母子家庭で、生活保護を受給して暮らしているのです。お母様も今回の件を知って『世間様に迷惑をかけたなら諦めるしかない』と大変深く落ち込んでおられます。ですが、彼は本当にサッカーだけが生き甲斐の、根は母親思いの良い子なのです。この中体連の大会には、彼の将来……私立高校の特待生の枠がかかっている。ここで彼を外してしまえば、彼は進学の道を閉ざされ、一生、貧困の連鎖から抜け出せなくなってしまう。どうか、東京の立派な大人の皆様の手で、この哀れな地方の少年の未来を、どうか、潰さないであげてはいただけないでしょうか」

地方の教育現場の「当たり前」と、同情の余地をこれでもかと詰め込んだ雨宮の言葉。

しかし受話器の向こうから返ってきたのは、それまでの事務的なトーンとは打って変わった、地を這うような冷徹な声だった。

『……なるほど。御校は、家庭環境や経済的な事情を持ち出せば、自校の生徒が働いた明確な暴行・ハラスメント行為が免罪されるとお考えなわけですね。その程度の認識で隠蔽し、大会での勝利を優先させるわけですか』

「い、いや、隠蔽だなんてそんな滅相もない! 中学生の未熟さと、彼の人生の重さを鑑みて、大会後にしっかりと指導を――」
『結構です。私たちの温情と、被害者の受けた傷を、そのような身内びいきの同情論で踏みにじるのであれば、こちらも相応の対応をとらせていただきます。――はっきりと申し上げます。もし、その河西という生徒を中体連の大会に出場させた瞬間、私たちは即座に警察へ被害届を提出します。そうなれば、学校だけでなく、サッカー部全体がどうなるか……よくお考えになることです』

ツーツーという非情な切断音が、職員室に響く。
受話器を握ったまま、雨宮は完全に凍りついた。

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