【小説・ヴィーナス症候群】(26)レオタード姿の子供の写真
神田の古びた雑居ビルにある「コルチカムの会」本部。
原因不明の第2サリドマイド事件で先天的に両腕が欠損して生まれた女児――ヴィーナス児――とその家族を支える当事者団体である。
その事務所で常勤スタッフとして働く階上つばさは、自らもヴィーナス児として生まれた当事者だった。
義手の指先でノートパソコンを操作しながら、助成金報告書の文面を睨みつけている。支出の根拠、事業の目的、提出様式の照合。細かいミスひとつで補助金は止まる。義手の関節がコクッと鳴る音が、静かな事務所に響いていた。
「つばささん、ちょっといいかな」
声をかけてきたのは、事務局長の守実徹(もりざね とおる)。
都内の市役所で市民活動や福祉を長年担当し、定年退職後に会の中核スタッフとして迎えられた男だ。封筒を片手に、飄々とした足取りで近づいてくる。
つばさは義手でペンを机に置き、顔を上げた。“いま話しかけるな”というオーラを全開にしているが、守実は構わず封筒を差し出した。
「この前の日曜、調布の『ベイベイ』の発表会に行ってきたんだよ。ヴィーナス児の子も積極的に受け入れてくれるから会長さんとも付きあいがあって。ヴィーナスの子だと立川の子と栃木の子が出ててね。写真、何枚か撮ってきたから、会誌に載せられないかなと思って」
無言で封筒を受け取り、義手の指で封を切る。


「……この1枚目の子、立川の子ですよね。去年のサマーキャンプに来てました」
「そうそう。2枚目の栃木の子は数年前のキャンプに来たのかな?」
つばさの義手が写真を伏せ、机の上をコンと叩いた。
「ご両親の許可、取ってありますか?」
守実はわずかに口ごもりつつ答える。
「会長に見せたら、“いいと思う”って」
つばさの目が大きく見開かれる。
「はあああああ!?!?」
義手の平手で写真をバン!と叩く。紙が跳ね上がり、室内に緊張が走る。
「会長って、“男なんて手のひらで転がすものよ”の九州女ですよね!? 優しいのはわかってますよ!? でも、なんでも“しょうがないわねえ”で済ませるあの人に、今どきのキッズダンスの空気がわかると思ってます!?!?」
守実は言葉を失ったまま立ち尽くす。
つばさは止まらない。完全にヒステリックな声でまくしたてる。
「今どきのダンス教室とかバレエ教室なんて父親が送迎するだけで警戒されるんですよ!? 発表会の写真撮影なんて、“女性保護者限定”が当たり前!! そんな中で、レオタード姿のヴィーナス児を、うちの会誌に!? ありえないでしょ!!!」
義手の指で写真をトントントンと叩きながら、声をさらに尖らせる。
「この前、近所の夏祭りでね、小学生の子たちがTシャツに短パンでダンスしてたんですよ。それ見て、ぞろぞろカメラ構えたおじさんたちが集まってきて。で、踊りが終わったら、“高学年の子は発育がどうたら”って言いながら消えていったの、聞いちゃったんですよ。あれ、マジでゾッとしましたから」
守実はそっと封筒を引き寄せ、小さくうなずく。
「……ごめん。やめとく。ほんとに」
「“やめとく”じゃなくて、“最初から持ってこない”のが当たり前なんですけど!?」
そのとき、帳簿を閉じる音がして、今諏訪さんが立ち上がった。
今諏訪善江(いますわ よしえ)は元・区役所の福祉課の職員で、現在は会の経理担当。成人した娘を育てた母親でもある。
「……だから言ったのよ、守実さん。“つばさちゃん、助成金の書類見てるときは近寄らない方がいい”って」
湯呑みを手に、つばさの方に目をやる。
「でもね、気持ちはわかるのよ。うちの娘、高校のとき陸上部だったんだけどね、大会でビキニみたいなの着て走ってて……最初見たときはほんと、びっくりしちゃって。“え、今ってこれが普通なの?”って思ったのよ」
「そしたら娘が、“あれはセパレート型っていって、動きやすくてタイムが上がるから”って説明してきてね。なるほどとは思ったけど、それが嫌で陸上やめた子もいるらしいのよ。“男子の目が気持ち悪い”って」
つばさはうなずいた。
「そうなんですよね……福祉大の時もそれだけで競技やめちゃう子いました。すごい頑張ってたのに」
そして、鋭く吐き捨てるように言った。
「あとベイベイのインスタ、見たことあります? 普段ジャージ姿の生徒さんが写ってると“いいね”30個くらい。でも、レオタード姿が上がったら1000個超えるんですよ。お前らどこから湧いてくんだよって思ってますよ。で、それを平気で許してる会長も、正直何考えてんだかって思ってるんです。ロリコンから金でも貰ってんのか?って」
義手の関節が静かに鳴る。
つばさはペンを持ち直し、報告書の画面へ視線を戻した。
キーボードを叩く音が、また静かな事務所に戻ってきた。
