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【小説・ヴィーナス症候群】(423)人生を台無しにされたいじめっ子

第1章 医大生の合コン

「で、実家って何やってるの?」
渋谷のラウンジ。テーブルを囲むのは、インカレのフットサルサークルで顔を合わせた医大生と女子大生たち。サングリアやビールのグラスが並び、スポーツ帰りの熱気がまだ残っていた。

翔介はグラスを回しながら、軽く答える。
「鹿児島で病院やってる」
「えー!やっぱり〜!“中福元”って苗字、珍しいと思ったんだよね。なんか殿様っぽい」
「院長の息子なの?すごーい!」
「将来は医者でしょ?フットサルもできて医者なんて、人生の勝者じゃん」
「おいどんは〜ごわす!とか言うんでしょ?」
「言わねーよ、そんなの」

テーブルに笑い声が弾ける。ピザやポテトの皿が減っていき、女子大生のひとりが自然に翔介の隣に腰を寄せる。
スマホでツーショットが撮られ、SNSに上がるのも時間の問題だろう。
——この都会のきらびやかな空間では、自分が「選ばれた側」だと信じて疑わなかった。

第2章 祖父の怒り

翌日の昼前、まだ頭にアルコールの残る感覚でベッドに沈んでいたとき、スマホがけたたましく震えた。

画面には「実家」の二文字。
嫌な予感を押し殺しながら通話に出ると、いきなり太い声が飛び込んできた。

「翔介、わしは落ちてもたぞ!」
「……は? じいちゃん?」
「市議会じゃ!あん席で“中福元の孫は中学んとき、女の子をロボット言うていじめた”ちゅう噂が広まっちょる。そいが響いたんじゃ!」

「な、なんで今さら……」
「知らんか!『怒りと悲しみと抵抗のミニスカート』っちゅう本に載っちょったんじゃ。谷山は大騒ぎぞ。お前じゃなかとか、皆が囁いちょる。わしの耳にも届いちょる」(416

祖父の薩摩弁が容赦なく突き刺さる。
合コンで浴びた「院長の息子すごーい」という黄色い声援が、急に遠い幻のように思えた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何の話や、それ」
祖父は怒鳴るばかりで要領を得ず、翔介は慌てて母に電話をかけ直した。

「母さん、じいちゃん何言っちょっと?選挙に落ちたとか、俺がいじめただとか」
「ほんのこてよ、翔介。『怒りと悲しみと抵抗のミニスカート』ちゅう本が出て、そこに“義手の女の子が中学でロボット呼ばわいされて笑われた”ち書いてあったとよ。谷山じゃすぐ、“あれは中福元病院の息子やっど”ち噂になっちょっが」

「……証拠とか、あると?」
「あるがよ。送っでやっで」

数分後、母からLINEに写メが届いた。
ページにはこう綴られていた。

黒豚キムチ(九州地方)
中学のころ、私は「ロボット」と呼ばれていた。相手は有力者の子で成績優秀なスポーツマン、誰も逆らえない立場だったから、教師も友だちも、誰ひとり止めてくれなかった。笑い声に囲まれても、私だけが凍りついていた。
そして相手は何の不利益もなく、内申に響くこともなく、“良い学校”に進んでいった。
「おい、ロボットやっど!」
「カタカタ腕を動かしちょっど!」
そんな冷やかしが、教室に響いていた。
私はロボットじゃない、人間なんだ。それを示したくて、冬でも生足を出していた。韓流ファッションのミニスカートを履いて、笑われてもかまわなかった。
せめて自分の脚で立ち、自分の服を選ぶ自由があると示したかったから。

翔介は手の中のスマホを見つめ、息を呑んだ。名前は書かれていない。けれど、明らかな薩摩弁で、地元の人間が読めばすぐに思い当たるだろう。

「韓流ファッションが好きなヴィーナス児」と言えば——谷山のはるかちゃん。
そして彼女を「ロボット」と呼んでいたのは、それも有力者の子は——中福元の病院の子。
内申に不利益もなく良い学校——確かに自分は県内公立トップの造士館高校を出ている。

その噂が、もう町じゅうを駆け巡っているのだと母は言った。

翔介の鼓動は速まり、昨夜の合コンで浴びた「院長の息子すごーい!」という声が幻のようにかき消えていった。

確かに、中学校の頃に、万之瀬はるかという両腕が義手のクラスメートはいた。
そりゃ自分もやんちゃだった時期だったので、多少何か言ったかもしれない。
それを今でも恨んでいて、こうして本にまで書いたということ?
で、こうして町中の噂になるような形で拡散して、自分だけでなく家族の人生まで潰しにかかってるということ?
俺、そこら辺のショップの店員とかそんなんじゃなくて、医者なんだけど?
じいちゃんは市議会議員なんだけど?
なんでそこまでされなきゃいけないの?そこまでされるようなことしましたか?

人の人生をメチャクチャにしておいて、これ絶対、賠償もんだろ。

第3章 父の勘当

夕方になって、翔介のスマホが再び震えた。画面には「父」の二文字。胸の奥が重くなる。恐る恐る通話に出ると、低い声が響いた。

「翔介、もう聞いちょっじゃろ。地元は今、お前んことでもちきりじゃ」
「……俺のせいじゃなかろ?人が勝手に騒いじょっとだけで」
「言い訳すんな!お前が中学んとき何言うたか知らんけどな、それでわしの立場はガタ落ちじゃ!じいさんも市議会から落ちてもた。これ以上、中福元ん名を汚すな!」
「でも……俺は悪くなか。勝手に噂にしてるだけやっが」
「よか加減にせんか!医大の学費までは出す。そいが親の責任じゃ。じゃっどん……鹿児島には戻ってくんな!」

受話器越しの父の声は冷たく、息子を突き放す刃のようだった。
通話が切れると、広すぎる部屋の静けさが押し寄せてきた。
豪華な家具も、積み上がるブランド服も、ただ虚しく見えた。

第4章 弁護士に相談

数日後、翔介は大学近くの雑居ビルにある弁護士事務所を訪ねていた。
ここはプライバシーや名誉毀損の案件で実績があると評判の事務所で、翔介もネットで調べて指名していた。

革張りの椅子に腰を下ろすと、初老の弁護士が眼鏡を押し上げながら言った。

「ご相談の件ですが……正直、かなり厳しいと思います」
「……俺は悪くないんです。勝手に“俺のことだ”って噂になってるだけで」
「たとえ地元の方々が“それはあなたではないか”と受け止めていたとしても、『有力者の子』という記述だけでは名誉毀損の成立は難しいんです」
「でも、俺の名前は出てないだろ!」
「ええ。だからこそ厳しい。名前が出ていない以上、裁判所は“抽象的な表現”と判断します。むしろ訴訟を起こせば、“やはり本人か”と世間に広まってしまう危険性の方が大きい」

弁護士の声は淡々としていた。
プライバシーや名誉毀損を専門にしているからこその冷徹な見解に、翔介は返す言葉を失った。

広い事務所の空気は冷たく、革張りの椅子に座っているのに、自分だけが居場所を失った気がした。

第5章 昔の仲間

寄稿文を読んだ夜、翔介はスマホを握りしめていた。
どう考えても、あれは自分を指している。だが、悪いのは向こうだ——そう言ってくれる仲間が欲しかった。

久しぶりに中学時代につるんでいたグループのひとりに連絡を入れた。LINEのグループはとっくに死んでいたから、個別にメッセージを送った。

〈なあ、覚えてるか? あいつロボット呼ばわりされてたろ。あれ、別に俺だけじゃなかったよな?〉

しばらくして返事が来た。
〈……今さらそんなこと言われても困るわ。俺らもうそれぞれ忙しいし〉
〈本になってるの見たけど、まあヤバいんじゃないの〉

冷たい文面に心臓が縮む。別のやつにも電話をかけた。

「お前も笑っとったやろ?俺だけじゃなかよな?」
「いや……まあ、そげんこともあったかもな。でも、今はもう関わりとうなか」

短いやりとりの後、通話は切れた。

翔介はベッドに沈み込み、天井を睨んだ。
結局、誰も自分を“共犯者”として引き受けてはくれない。
「俺ばっかり悪者にされて……やり返されて……これじゃ被害者は俺の方じゃないか」

そうつぶやいても、答えてくれる声はなかった。

第6章 HANEUL突撃

眠れぬ夜、翔介はベッドの上でスマホを握りしめ、「万之瀬はるか」と検索窓に打ち込んだ。
記事やSNSの投稿のなかに、新大久保の韓国系ファッションブランド〈HANEUL〉の名前が出てきた。
モデルだとか、トルソーだとか……写真には韓流風のドレスをまとったはるかの姿。

「まだ韓流やっちょっかよ……」
吐き捨てるように呟き、翌日翔介は電車に揺られて新大久保へ向かった。

雑居ビルの三階。狭い廊下を抜けると、看板にはハングルの文字。ドアの奥からは韓国語が飛び交い、布の擦れる音が聞こえてきた。
意を決して扉を押し開けると、そこにはミニドレス姿でフィッティングを手伝うはるかの姿があった。

「お前ごときんせいで、おいん人生はぐっちゃぐちゃじゃっど!こっから医者になって何人も救うはずじゃったおいば台無しにしやがって!ちっと本に書きましたで済む思うなよ!取り返しつかんごとなしたっど、アホか!わかっちょっか!償えっ、こらぁ!」
翔介は喉を裂くように叫んだ。

はるかはその声に眉ひとつ動かさず、口の端をわずかに歪めて薄ら笑いを浮かべた。
「……なんのことかわからんね」

その冷えた薩摩弁に、翔介の全身から力が抜け落ちた。

次の瞬間、周囲にいた韓国人スタッフたちが声を上げた。
「무슨 일이야?」「나가, 나가!」
翔介の腕をつかみ、乱暴に廊下へ押し出す。

床に倒れ込んだ翔介の耳に、中から響く韓国語のやり取りとミシンの駆動音が遠ざかっていった。
世界から切り離されたのは、翔介の方だった。

第7章 孤独とレポート

夜、翔介は高層マンションの自室に戻った。
広すぎるリビング、磨かれた床、ブランド家具の数々。どれも彼の味方ではなかった。

ベッドに沈み込み、天井を見つめながら何度もつぶやく。
「悪いのは俺じゃなか……やり返されて……被害者はおいの方じゃっど」

だが、机の上ではノートパソコンの画面が点滅していた。課題提出用のシステムからのリマインダー。
〈医学統計学レポート 締切まで残り24時間〉

「……ちっ」
舌打ちして椅子に座り直す。資料を開いても、文字は頭に入ってこない。
豪華な部屋の静寂と、締切のカウントダウンだけが確かに迫っていた。

翔介はキーボードに指を置き、深く息を吐いた。
世界から切り離された自分に残されたのは、ただ医学生としてのレポートだけだった。

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