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【小説・ヴィーナス症候群】[820]お人好しじゃない

スタジオの白い壁に「LIBIDOH」のロゴが浮かぶ中、黒のスパンコールバニー衣装に身を包んだ弓張渚が、大きな耳を揺らしてポーズを取っていた。
生まれつき両腕の無い彼女は、衣装の純粋なシルエットや補正力を測るフリーの試着モデル――通称「トルソーさん」として活動している。

ハイヒールの先が床を軽く叩く音が、静かなスタジオに小さく響く。
「どう? この新作、胸のホールド感は大丈夫?」

スタッフの美咲が、ため息混じりにメジャーを片手に近づいてきた。渚はポーズを解き、鏡に映る自分を見ながら小さく頷く。
「まあまあ……でも、なんか生地が前より薄くなった気がする」

「中国の工場が納期短縮で手抜きしてきたんだよ。日中関係が冷え込んでから、急に連絡遅くなるし、検品で不良品増えるし……。このバニーも予定より二週間遅れたんだから」

そこへ、機材を片付けていたLIBIDOHの男性スタッフが、声を潜めてぼやきに加わった。
「アパレル系はみんな苦労してるって聞くけど、まさかこんなエロコス系まで影響出るとはね……」

別のスタッフは苦笑いしながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば、先週の撮影会でもさ、おっさんカメコたちがまさにそんな話で盛り上がってたよ。首から高い一眼レフぶら下げて、スマホのニュース画面見せ合いながらさ。『例の女総理、マジで最高だよな! 外国人の土地買い漁りにもメスを入れたし、もうこれまでの日本みたいにお人好しじゃないんだ!』『そうそう、あの毅然とした態度、これこそ強い日本だよな!』って、みんなで快哉を叫んでた」

「……あのおっさんたちは大喜びだけどさ」
LIBIDOHのスタッフは、照明の角度を調整しながら苦々しく呟いた。

「上の人たちが『お人好しじゃない強い姿勢』を取れば取るほど、俺たちの商売は締め付けられるんだよね。中国からの素材が入らなくなったら、この手の派手な衣装は原価が跳ね上がる。参加費も上げざるを得なくなるし、外国人モデルも呼べなくなる……。そのうち、あの人たちが楽しんでる撮影会自体、できなくなるかもよ。皮肉なもんだわ」

渚は鏡に映る自分の黒光りするバニー姿を見つめながら、ふっと息を吐いた。
「前に撮影会に出たトルソーのツムちゃんが言ってましたけど、戦争反対デモに行こうかなって言ったら、カメコたち激怒して、お前は分かってないとかそんなことを言ってたらしいですね」(本編681

「自分たちの首が絞まってることにも気づかずに『お人好しじゃない総理、大絶賛!』ってやってるんだから、本当にお気楽だよね」
美咲はそう言って、諦めたような苦笑いを浮かべた。

渚はしばらく鏡の中の自分をじっと見つめていたが、衣装のズレを直しながら、ぽつりと呟いた。
「……私、長崎の佐世保の方出身なんですけど、米軍の兵隊に対してもお人好しやめてほしいんですけどね。あいつらだって犯罪起こしまくってるのに」

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