【小説・ヴィーナス症候群】[586]コタツ記事に手を出す
福祉系フリーライターの神俣葵は、その日は一日オフにするつもりだった。
年明けから働き詰めだった。取材、原稿、修正、また取材。
さすがに少し疲れていた。
だからその日は、パジャマも着替えないことにした。義手も付けない。
人に会わない日なら、それで何の問題もない。
たった一日ぐらい、そういう日があってもいいだろう。
そう思った矢先、スマートフォンが鳴った。
障害者福祉専門誌「+Access」の編集長だった。
葵はベッドの上で、足の指を伸ばし、画面の「応答」ボタンを押した。
「葵ちゃん、今手空いてる?」
「空いてますけど。というか腕、付けてないですけど」
少しだけブラックな冗談を混ぜて返す。
編集長は気にしない。
「急ぎで一本、書いてほしいんだよ。鬼ってさ、実は障害児とか奇形児がモデルだったんじゃないか、って話あるでしょ」
葵は一瞬、天井を見た。
「……え、それ、どこの伝承ですか? 地域も時代もばらばらですよね。ちゃんと書くなら取材も必要ですし」
「取材? そんなのいらないよ。ネットにいくらでも転がってるでしょ。それをうまく切り貼りしてさ」
嫌な予感が、はっきり形になる。
「それ、いわゆるコタツ記事じゃないですか」
「出来なさそうなら、他あたるけど?」
編集長の声は軽い。
葵は少し黙ってから、息を吐いた。
「あー……分かりました。ネットで適当に調べて書けばいいですね。ギャラは特急料金、頂きますよ」
「了解!」
通話はそれで終わった。
こうして葵は、「コタツ記事」に手を出すことになった。
炎上したら消す。問題があれば差し替える。記録も残らない。
消しゴムすらいらない仕事だ。
葵はベッドから降り、義手を付けた。パジャマのままノートパソコンを開いた。

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