【小説・ヴィーナス症候群】(158)例の事件との接点
第1章 キャンプ行きたい
YouTubeチャンネル「Venus Diary」は、いわゆるガジェット系でもファッション系でもない。両腕のないヴィーナス児の麻帆が、足でカメラを回し、足で酒を飲み、足でコメントを拾う──それだけの、雑多な記録だ。
だが、週に一度。毎週土曜日の深夜だけは、画面の向こうがざわつく。
缶チューハイを開けた麻帆が泥酔状態で語り続ける「泥酔配信」、通称「泥配」がはじまるのだ。
この夜も、部屋の照明は落とされていた。モニターの明かりだけが、白いタンクトップ姿の麻帆を浮かび上がらせている。背景には、日本酒、ワイン、焼酎といった瓶がごろごろと転がっていた。
「……でさ〜、そろそろ“手無しソロキャン”やってみようかと思ってんだよね。腕なし女子のソロキャンって、画的にはだいぶ攻めてるでしょ。タープ張って、焚き火して、缶チューハイ飲んで……って、あれ? 今と変わらないじゃんって?」
《最近キャンプ場で殺人あったよ》
《秩父の件、見た?》
《ナンパオジ焼いて食ったやつ》
「あー、あれね。“食った”ってのは比喩じゃなくてリアルでしょ。中年の肉はまずかったって──食レポかよって話」
麻帆は缶を足で転がしながら笑う。

「私? 食わないけどね。あたしは“焚き火より配信”派だから。焼くくらいならチャンネル回すよ」
《腹減っても人殺すなよ》
《麻帆の焚き火=トークってことね》
《燃やすより喋れ》
「でもさ、ナンパ男ってほんとウザいよ。キャンプ場とか、やたら絡んでくるのいるんだってね。……あー、そういえば、去年かな。どっかの迷惑系YouTuberにしつこく誘われたんだよね。“俺とコラボしてキャンプ行こうぜ”って。“俺は障害者を差別しないから”とか言ってさ」
呆れたようにため息をつき、目元を指で拭う仕草の代わりに、肩をすくめて笑う。
「“差別しない”って言ってくるやつが一番差別してるのよ。ぜったい地雷。まあ、ぱんつっちなんだけど──あ、言っちゃったわ」
──コメント欄が、突然、凍りついたような静けさを見せた。
《……え?》
《ぱんつっちに声かけられてたの?》
《……それ、マジ?》
《……おいおいおい》
「……なに? なんでそんな空気になってんの? え? ぱんつっちって、なに、なんかあったの?」
《ぱんつっち去年から行方不明だよ》
《それ、最後の接触じゃね?》
《まさか、証人?》
《警察に言ったほうがいいよ》
麻帆はしばらく何も言えず、足で持ち上げかけた缶をそっと戻した。
「……お、おう……。いや、あたし、会ってないし。ほんとにDM来ただけで……。ね?」
コメント欄はまだ騒がしかったが、麻帆はそれ以上何も言わず、しばらく画面の向こうを見つめていた。
第2章 シャレにならない展開
朝の光が、部屋に散らばった空き缶と焼酎の瓶を白く照らしていた。
麻帆は布団の中で丸くなったまま、足の甲でスマホを手繰り寄せる。
通知の数はそこそこ。YouTubeのコメントとLINEのメッセージがいくつか。
けれど、開く前から意識はあるひとつの名前に引っかかっていた。
ぱんつっち。
昨夜の泥配で、その名を口にしたことを思い出す。
ただの迷惑系YouTuberのひとり。そう思っていたはずなのに──
あのときコメント欄の空気が変わったのを、麻帆は忘れていなかった。
LINEを開いて、キャンプ系YouTubeチャンネル「てんとといっしょ」のてんてんに一言送る。
彼女とは以前、「無腕で焚き火してみた」コラボをやった仲だ。
豪快な薪割りが人気の、登録者20万人超の“火の番人”。
「てんてん。昨日私の泥配で話したんだけど──
あたし、ぱんつっちにキャンプ誘われたことあるんだよね。去年」
送信してスマホを伏せた。しばらくして、すぐにバイブが震える。
「え?麻帆ちゃんにも!?
あたしも去年DMきた。あいつ、女の配信者に手当たり次第だったんだね」
麻帆は指先の代わりに、足の指で返信を打った。
「“障害者差別しないから安心して”って、ドヤ顔で言ってきたのよ。
断ったら“障害者のくせに調子乗ってんじゃねー!”って。
意味わかんないでしょ。どの口が言ってんだか」
てんてんの返信はやや早口気味に続く。
「うわ……私にもコラボ誘いきたけど、即ブロックした。
“あなたみたいな人と一緒にされたくないんで”ってハッキリ書いて送ったよ」
「正直、“あ、キレるかな?”って思ったけど、意外と黙って消えた。
いま思えば、あれが一番正解だったかもね……」
「で、あいつどこに行こうとしてたの?」
「大菩薩峠って言ってた。どこか知らなかったから調べたけど」
その名を聞いた途端、てんてんの返事が止まり、数秒後、短く返ってくる。
「……あー。大菩薩か。あそこ最近地味に流行ってるんよ。
人少ないし、景色キレイで穴場扱いされてる。アクセス悪いから撮影向きではないけど、隠れ家的ってやつ」
「でも夜はマジで真っ暗だし、なにかあっても誰も気づかん場所」
麻帆は無意識に足先でスマホをトントンと軽く叩いた。
その振動が、胸の奥まで響いてくる。
DM──開かなくても、内容は覚えていた。
「最近キャンプ流行ってるじゃん?俺とコラボでキャンプ行こうぜ。
今は山梨の大菩薩峠が穴場らしいよ。
俺はこう見えて障害者差別しないし大丈夫。」
それだけ。
悪意はない、でも配慮もない。
ただノリと流行で声をかけてきた、無神経な文章。
あのときはただの「キモいDM」だった。
でも今は、ちがう。
てんてんから、さらにメッセージが飛んできた。
「ちなみに今、けっつっちとピキモトが大騒ぎしてる。
“兄が行方不明”“これは陰謀だ”“フェミに潰された”とか言って、完全に界隈巻き込んでる」
「けっつっちって、弟の方の?」
「うん。あのネトウヨ系。でも今回は思想関係なしって感じ。
“兄ちゃんが消えた、情報ください”って普通に言ってて、逆に怖い」
「ピキモトって”岡っ引きオカモト”のあいつ?」
「そう。ピキモトは例によって“私人逮捕”で動画撮る気満々。
“事件の証拠を握ってるYouTuberがいる”とか言ってる。
……麻帆ちゃんのこと、気づいてるかもね」
スマホの画面が消えるのと同時に、麻帆の胸にざらりとした違和感が残った。
泥配で軽口叩いた名前が、こうして現実の座標を持ち始めている。
もう笑い話には戻れない。
そんな気がしていた。
