【小説・ヴィーナス症候群】(458)娘の人生を食べる母
歌舞伎町の裏通り。
ネオンが汗ばむように光る夜、ナナセと結菜は「SHOT BAR FOLLY」のドアを押した。鈴の音が鳴る。
「いらっしゃい。……あれ、結菜ちゃん、もう顔覚えたよ」(第317話)
カウンターの奥で、ソータが軽く笑った。
黒シャツの袖をまくり、いつものようにグラスを磨いている。
「二回目だからね」
「前より緊張してないでしょ?」
「まあ……まだちょっと」
結菜がそう言って笑う。彼女は義肢工場で「トルソーさん」の仕事をしている。常連のナナセの金沢の高校時代の友人だという。
ノースリーブから義手がのぞく。生まれつき両腕のない彼女の姿に、ソータももう慣れていた。
最初のときのような“どうリアクションすればいいんだ”という戸惑いはない。
「何飲む? 前と同じでカシスソーダ?」
「うん。あ、ちょっと甘さ控えめで」
「了解」
氷の落ちる音。炭酸のはじける音。小さな店に、夜の静けさが戻ってくる。

二杯目を頼んだあたりで、常連のナナセがグラスを揺らしながら言った。
「ねえソータ。最近この店、ちょっと空気変わったよね」
「あー……その話か」
「ほら、カウンターの奥に最近よくいるおばさん。いつのまにか居ついてんじゃん」
「ああ、あの人ね。店長がどっかから拾ってきたんだよ。わけわかんない女」
「拾ってきたって、猫じゃあるまいし」
「ほんとだよ。でもマジでヤバい話聞いた。手術するとか言って娘から何十万だかちょろまかして逃げてきたんだって。で、行くとこなくてこの店で皿拭いてんの」
ナナセはストローを止めて、結菜を見た。
結菜も無言で目を合わせ、ふたりで同時に小さく引いた。
「……うちらアホ女子校だったけど、そういう系は普通に引くわ」
「うん……さすがに笑えない」
ソータが苦笑いして、カウンターの上のグラスを並べ直す。
「でもさ、掃除だけはやたら丁寧なんだよ。“ここにいさせてもらってるだけでありがたいの”とか言って、午前中ずっと拭いてんの。カウンターなんかもうピカピカで俺ら触れねえの」
「怖……」
ナナセの声が少し下がる。
結菜はグラスの氷を見つめながら、小さく息をついた。
「娘さん、どう思ってるんだろうね」
「さあね。親でも子でも、金で壊れると戻れないんじゃない?」
そのとき、奥の扉がきぃ、と軋んだ。誰も声を出さなかった。
扉の隙間から、例の中年女の視線が一瞬だけ覗いたような気がした。
「……夜って、そういう人、集まってくるんだよね」
ソータがぽつりと言った。炭酸の泡が弾ける音だけが、店の空気を埋めた。
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