【小説・ヴィーナス症候群】[478]アドバイス鬼ごっこ白菜
大手広告代理店・鎮貪舎。
庶務課の朝は、今日も静かに崩れていた。
西松係長の席が、空いている。
「……またかよ」
舘合翠は、金属義手で給湯ポットのスイッチを入れながら舌打ちした。
今や西松は、国際広告賞の常連だったなどという話が半分都市伝説になるほどの、ただの放浪癖の酷いおっさんだ。
会議室の湯呑みを並べ、備品棚の在庫をチェックしていると、内線が鳴る。
「舘合さん、電話。茨城県の……裏筑波警察署から」
要件は単純だった。
灰野駐在所という所でで、西松係長の身柄を預かっているという。
――ああ、今度は茨城か。
前も行った。たしか水海道とかいう所。(第182話)
あいつ、茨城好きなのか?
地図アプリを開く。
東京駅から高速バスで裏筑波市駅、そこから筑波参宮鉄道で灰野駅。
ブツクサ言いながら、気がつけば常磐道を走る高速バスの座席に座っていた。
揺れる車内で、大学時代の友人からLINEが来る。
「久しぶりに会おうよ」「鎮貪舎ってすごいよね」
――すごい?
障害者採用の庶務で、放浪癖社員の回収作業。
これのどこが。
「そんな仕事してるの? 広告代理店ってもっとクリエイティブだと思ってた」
画面を見つめて、翠は小さく打ち返す。
「……どこまで本当だと思う?」
自分でも、信じられなかった。
裏筑波市駅で降り、筑波参宮鉄道に乗り換える。
よく廃止にならないな、と思うようなローカル線だった。
1950年代製のディーゼルカーは1両編成で、エンジン音だけがやけに元気だった。
灰野駅に着く。
白菜畑の真ん中に放り出されたような、小さな木造駅。

県道沿いの灰野駐在所に行くと、警察官がにやりと笑った。
「ほれ、出迎えが来たっぺ」
奥の畳部屋に、西松係長はだらしなく座っていた。
取り調べ用なのか休憩用なのか分からない、その煙草臭い空間で。
翠は丁重に頭を下げ、西松を引き取る。
「今の時間だと、土浦行きも裏筑波市行きも、しばらく来ねっぺ」
警察官は続ける。
「そこらの店で、味噌まんじゅうでも食って行ったらよかっぺ」
「この忙しい時に……」
苛立ちを隠せない翠に、警察官は肩をすくめた。
「何のアドバイスにもならないけどもな」
「あんまり根詰めてたら、この人みたいに壊れちまうっぺ」
「定年まで無事に働きたかったら、手の抜き方を覚えるのも仕事だっぺ」
翠は何も言わず、灰野駅前の小さな店で味噌まんじゅうをかじった。
甘くて、温かくて、どうでもよくて。
西松は隣で、ぼんやり白菜畑を見ている。
――鬼ごっこだな。
逃げる人と、追いかける人。
でも、いつか立場が入れ替わるかもしれない。
そんなことを考えながら、翠は次の列車の時刻表を確認した。
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