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【小説・ヴィーナス症候群】[876]思いつかない

「――ではこれより、我がウェルフェア事業部が開発した改良筋電パッド『KD-114514』の社内勉強会を始めます」

京都・京洛マテリアルズ本社会議室。
プロジェクターの明かりに照らされながら、ウェルフェア事業部の社員がマイクの音調を整える。
その横で、弓張渚は壇上のディスプレイとして立たされていた。

「今回、世界シェア1位を誇る我が社の筋電義手パッド技術に、新たに自社開発の『高配向性導電ポリマー・ハイブリッド・ゲル』を採用しました。これにより、皮膚表面の角質層における接触抵抗を従来の15%にまで低減。さらに、汗や皮脂による信号の減衰を抑え、ヴィーナス児を含む四肢欠損患者の微弱な『運動意図(モーターインテンション)』を、ほぼゼロ遅延で検出可能となりました」

社員の手が、渚の左肩を指し示す。熱弁はまだまだ続きそうだった。
渚は客席の社員たちに向けて、営業用の上品な愛想笑いを完璧に浮かべてみせた。
これぞプロのフリーモデル「トルソーさん」の技である。

……が、ぶっちゃけ話が長すぎる。
正面の、熱心にノートをとるスーツ姿の社員たちを見つめながら、渚は心の中で完全に白目をむいていた。

彼女にとって筋電義手は確かに身近な技術だ。
将来的にこの新しいパッドにお世話になる可能性だって大いにある。
だから技術の進歩自体はありがたい、ありがたいのだけれど……。

(説明が専門的すぎて一単語も頭に入ってこないし、それ以前に。なんで私は今、この格好でここに立たされてるの!?)

彼女の衣装は、スーパーGTのサーキットで着る「KEIRAKU MATERIALS RQ」の白基調の、やたらとハイカットなワンピーススーツである。
胸元にはしっかりマルーン色で企業ロゴが入っている。
今年度は、渚も京洛マテリアルズがスポンサーになっているチームに入っているのだ。(本編801

(新しいパッドの実験台兼モデルが必要なのはわかる。でも、これ医療・福祉の真面目な勉強会でしょ!? せめて普通のタンクトップとかTシャツじゃないの?! なんで社内の会議室で、レース本番さながらのテカテカハイレグ水着みたいな格好で愛想笑いさせられてんのよ! 他の格好思いつかないの!?)

「人と機械の共鳴」という高尚な企業理念を掲げ、世界一の技術力を誇るメーカーなのに、衣装のセンスと配慮の方向性が完全にバグっている。
開発部のオタクたちが鈴鹿とか富士スピードウェイみたいなRQの格好を何も考えずに持ってきた現場が容易に想像できて、内心の苛立ちは募るばかりだった。

「――以上のように、この『KD-114514』は次世代の福祉モビリティの核となる製品です。弓張さん、ご協力ありがとうございました」

ようやく説明が終わり、会場内にお堅い拍手が響く。

渚は完璧に美しい笑顔のままコックリとエレガントに一礼した。
そして、ステージの袖へと静かに歩き出す。
心の中で、彼女はすでにこの最高にシュールな空間から脱出していた。

(よし、仕事終わり! 速攻で着替えて、メイク落として帰る!)

渚はこの勉強会でディスプレイにされるためだけに、はるばる京都まで呼び出されたのだ。
新幹線に乗ってやってきて、難解な講義の肥やしにされたのである。
このまま手ぶらで帰るわけにはいかなかった。

(せっかく京都まで来たんだから、帰りに京都駅の近くであの新福菜館の真っ黒いチャーハンとラーメンでも食べて帰ろう)

お腹の虫が小さく鳴きそうになるのを自慢の体幹で抑え込みながら、渚は足早に控室へと向かった。

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