【小説・ヴィーナス症候群】(200)勝つぞ〜 勝つぞ〜 慶應!
テレビ番組の取材
「百貨店の今を伝える10分枠ね。メインは“多様性と春ファッション”で」
そう言いながら、南條は台本の角を折った。
全国テレビ夕方の情報番組『5:30サテライト』。生活経済とカルチャーを結ぶ帯番組で、彼はその木曜特集コーナーを担当している。
今日のロケは、春の展示会を特集するワンブロック。「アパレル各社が百貨店に戻ってきている」――それが取材テーマだった。
老舗百貨店の催事フロアには、ドレス系・ナチュラル系・ガーリー系など様々なブランドのブースが並んでいた。
〈Ria〉のブースもそのひとつ。淡いピンクで統一された空間の中、花柄のワンピースと、可憐な空気が整っている。
南條は現場を一瞥しながら、ADと撮影段取りを確認していた。ふと目の端に、静かに立つ女性が映る。
肩から両腕がない。そのまま袖のないドレスを纏い、微笑んでいた。
アパレルの現場でよく見るようになった“トルソーさん”だ。
服を魅せるために立つ、モデルでもない、でもマネキンでもない存在。
障害者雇用の一環で増えたのだという。
(ああ……最近よく見るな、こういう子)
そのとき、スタッフの声が響いた。
「綾音ちゃん、それ、あと2センチだけ位置ずらせる?」
「はーい」
明るくて柔らかい返事だった。
“綾音ちゃん”。
その名と、両腕のない姿。
南條の記憶の底で、何かが繋がった。
──神宮球場。
──慶早戦。
──小さな女の子が、慶應のチア服を着て父親の隣にいた。
──『スポーツ慶應』の学生記者だった自分が、スタンドでシャッターを切った。
気づけば、足が勝手に動いていた。
「……家久綾音さん、ですよね」
振り向いた女性が目を見開いた。
「はい。えっと……はい」

「もしかして、昔……神宮球場の慶早戦で、お父さんと一緒に観戦してませんでした?」
「えっ……あ、行ってました。父が慶應出身で……どうしてそれを?」
「僕、当時“スポーツ慶應”っていう学生新聞で、取材してたんです。あのとき、君とお父さん、スタンドで少し話して、写真も撮らせてもらったんですよ」
綾音は目を丸くして、ぱっと笑った。
「ああー、そんなこと、父が言ってたかも!学生さんに“インタビューされた”って!」
「君、『赤い服のほうが勝ってほしかった』って言ってた。親の心子知らずだなって思いながら、メモしたんですよ」
「……言いそう、私」
二人は思わず顔を見合わせて笑った。
「昔と変わらず、本当に可愛いねえ」
「いえいえ……うちの父は今でも慶應には夢中ですよ。私はもう野球には付き合いませんけど」
南條はネームホルダーを揺らしながら言った。
「実は今日の特集、そういう“今の百貨店”を映したくて来てるんです。立ってくれてありがとう。あのときと同じで、服を着てる君が、いちばん説得力あるから」
綾音は軽く頭を下げて、淡く笑った。
「また写っちゃいますかね。今度は、チアユニじゃなくて、ワンビースですけど」
「どっちも似合ってるよ」
スタジオの照明が、ふたりの間にやわらかい陰影を落としていた。
小さなKEIOのユニフォーム——神宮で出会った、父娘のひととき
春の神宮球場。慶早戦初日、第1戦の六回裏。
応援席が「勝つぞ! 勝つぞ! 慶應!」の声に包まれる中、
三塁側中段のスタンドで、一際目を引く親子連れがいた。
KEIOのロゴが鮮やかに入った、青・白・赤の子ども用チアユニフォーム。
着ていたのは、小学校にもまだ上がらないほどの、小さな女の子だった。
両肩は丸く、腕はない。生まれつきのものだという。
だがそのことを隠す様子はどこにもなかった。
「家久です。経済学部卒。福井から出てきて今は都内で働いてます」
そう語ったのは、父親の家久新さん。
繊維系メーカーに勤める中堅社員で、今は本社勤務。
今日は休日を利用して娘の綾音ちゃんと一緒に神宮を訪れたという。
「まあ単なる親のエゴです。
“KEIOを着せたい”って思っちゃっただけ。
本人は……どっちが慶應で、どっちが早稲田だか、たぶん分かってませんよ(笑)」

実際、試合後に綾音ちゃんに尋ねてみた。
「綾音ちゃん、慶應が勝ってよかったね?」
すると彼女は、ちょっと恥ずかしそうに首をかしげて言った。
「……あかいふくのほうに、かってほしかった」
父は苦笑して天を仰いだ。
親の心、子知らず。
それでも、父の手が娘の背に添えられたまま離れなかったのを、記者は見逃さなかった。
拍手はできなくても、声を出さずとも、彼女のユニフォームは、「ダッシュ慶應」のリズムの中で、静かに風を受けていた。
