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自殺がなくなる世界へ


メッセージ


いま、日本では少子化が深刻な社会課題となっています。
子どもの数が減り、若者の数も減り、未来を担う世代が少なくなっていくことに、多くの人が危機感を抱いています。でも一方で、毎年多くの若者が、自ら命を絶っているという現実があります。

彼らは、誰かにとって必要で、大切な存在として生まれてきました。それは「何か特別な役割を果たさなければいけない」という意味ではなく、生きているだけで、すでに社会の未来につながる命であるということです。

今、私たちが「もっと子どもを」「若者を」と願っているその“未来世代”そのものです。

もし、その若者たちが自ら命を絶たずにすんでいたら。もし、彼らが「生きていてもいいんだ」と思えるような社会であったなら。私たちが懸命に取り組んでいる「少子化への対策」に対して、すでに“存在していた命”の力で、社会を支える未来もあったはずです。

少子化対策と聞くと、「子どもを産む・産ませる」ことにばかり焦点があたります。けれどその前に、「今、ここにいる命をどう守るか」という視点があってもいいはずです。

若者の自殺を防ぐということは、その人自身の人生が続いていくことを意味するだけではありません。その人が将来出会う誰か、築いていく関係、もしかしたら生まれてくる新しい命。

そうした**“まだ見ぬ未来”をつなぎとめること**にもつながっています。

このプロジェクトが本当に目指しているのは、「心が壊れていく人を0にすること」です。

それは理想であり、現実のなかでは決して簡単なことではありません。けれど、今の社会に「外に出せる構造」と「受け止められる文化」が増えていけば、その理想に少しずつ近づいていけるのではないかと信じています。

また、精神的な不調や生きづらさは、特別な人だけのものではありません。誰にでも起こりうる、ごく当たり前の、そして見えづらい困難です。

私たちがこのプロジェクトを通して目指しているのは、そうした“心が壊れていくプロセス”を、できるだけ早い段階でそっと受けとめること。感情を抱えていても壊れなくていい社会を、構造としてつくっていくことです。

それは、すでにある命を大切に扱うということでもあり、その命が未来の命を育む可能性に、社会全体が責任を持つことでもあります。

誰かが生きているということは、それだけで未来への希望そのものなのだと、私たちはこのプロジェクトを通して社会に問いかけていきたいと思っています。

背景


人が生きていくうえで、フラストレーション(思いどおりにならないこと・抑圧された感情)を感じない日はほとんどありません。それは誰もが持ちうる自然な反応であり、避けられるものではありません。けれど、その感情をどこにも出せず、どう扱っていいかもわからないまま蓄積されていくと、それはやがて、自分自身に対して暴力的に向かう可能性があります。言葉にすれば、「もう終わらせたい」「ここにいたくない」という方向に向いてしまうことも、珍しくはありません。だからこそ必要なのは、フラストレーションを“安全な方向”に導く構造や方法が、社会の中にあらかじめ用意されていることです。

また、多くの人が「絵が苦手」「センスがない」と感じています。
それは、絵を「うまく描くもの」「完成されたもの」として捉えているからです。

しかし現状は、評価・目的・効率・正解を求める社会のあり方が絵の本来の楽しみ方を見えなくさせてしまっています。

本来の絵画表現は、そのような構造とは別のところにあります。

また、「絵を学ぶ=絵描きになるべき」といった目的の固定化や、「絵は特別な才能がある人のもの」というイメージも、表現の入り口を狭めてしまう要因になっています。

でも本来の絵は、表現の正解も評価も必要としない、痕跡のような行為でもあり、“何かになる”ための手段ではなく、今の自分の内側にあるものを外に出す行為です。たとえば、ぐしゃぐしゃに描いた線、突然こぼれた色、手の跡など、言葉では表現しきれない個人の痕跡が残されていきます。
それらはすべて、フラストレーションの可視化に繋がっています。私は、この行為を、「痕跡絵画表現」と呼んでいます。痕跡絵画表現は、感情を発散することで、インスピレーションを育み、人が生きているうえで自然に起こる心の動きとつながっている、誰かに見せるためではなく、“出す”ための行為です。

そのような表現をもっと日常に取り戻していくことが、自殺を減らす大きな一歩になると考えています。

自殺をなくすための提案


感情を外に出し、見える形にするという選択肢を、誰もが持てる社会へ

私たちの社会には、言葉にならないまま蓄積されていく、不安や怒り、孤独や虚無感といった、さまざまな“出口のない感情”を抱えながら日々を過ごしている人がいます。
その感情はやがて、自分の中にとどまり続けることが苦しさとなり、時に、「いなくなりたい」という選択を現実のものとして考えさせてしまうことがあります。

こうした状況を変えていくために必要なのは、「感情を出してもいい」「出す方法を知っている」「出す場所がある」という、ごく当たり前で、ごく基本的な感情の循環が社会のなかに組み込まれていることだと、私たちは考えます。そのひとつの方法として提案したいのが、絵画表現を通じたフラストレーションの可視化です。

フラストレーションを“かたち”にするということ


絵は、何かをうまく描くための技術ではなく、感情をいったん外に出してみるための、最も素朴で、最も自由な手段のひとつです。絵の具や線を使って描かれたものには、怒りや不安がこぼれ落ちるように現れることもあれば、言葉では表しきれなかった感情が、美しい色や、思いがけず面白いかたちになることもあります。

その瞬間、人はこう気づくかもしれません。

「こんな思いが、こんな表現になるんだ」
「この重さが、こんなにも見えるものとして残るんだ」と。

その気づきは、ただの発散では終わずに、
“重さだったはずのもの”が、“意味や可能性を持ち直す”というプロセスにつながっていきます。

感情の可視化(発散)
 言葉にできなかった思いや感情を、線や色、動きとして外に出すことができる

自己との距離化(見直し)
 出てきた表現を見ることで、自分の内側を少し客観的に見つめ直せる

意味の変換(再解釈)
 苦しいと思っていた感情が、美しい色や面白いかたちになっていることに気づくことで、印象が変わる

他者との接点
 展示や共有を通じて、誰かからの感想が返ってくることで、「誰かとつながったかもしれない」という実感が生まれる
これらのプロセスは、**“感情の安全な循環”**を社会の中に埋め込むという意味で、非常に現実的な取り組みです。

 誰でもできる「痕跡の表現」


私たちはこの行為を、「痕跡絵画表現」と呼んでいます。
それは上手に描かくを目的とした絵ではなく、その人の手が、感情が、その瞬間そこにあったという痕跡です。
正解や完成とは無縁であり、むしろ“うまく描けない”と思っている人ほど、自由に表現することができます。
画材さえあれば、誰もがアクセスできるこの方法は、社会のあらゆる場所――家庭、学校、医療現場、福祉、企業など――に広げていくことが可能です。

また、この提案は、絵を美化することではありません。
必要なのは、感情をためこまず、破壊にも暴力にもせず、創造という形で外に出すためのしくみです。

絵画表現は、そのための現実的で再現可能な方法のひとつです。

これが社会に当たり前のように存在していれば、「しんどい」「もう無理」と思ったときに、それをただ抱え込むのではなく、まず外に出すという選択肢が人の中に根づいていきます。

他者との“かすかな反応”が、自分を少し変える


表現されたものを誰かに見せること、あるいは展示というかたちで外に出すことは、「誰かに理解されたい」という強い願いでなくてもいいのです。

大切なのは、誰かが何かを感じてくれるかもしれないという“かすかな反応”が、自分の中にあった閉じた感情を、そっと揺らすことがあるという点です。

共感ではなくても、評価でもなくてもいい。
ただ、「誰かとのあいだで何かが動いたかもしれない」という体験が、もう少しだけ自分を知り、受け入れてもいいかもしれない、という感覚につながります。

社会に必要なのは、「構造」と「文化」


自殺をなくすために、まず必要なのは、人が感情を閉じ込め続けないような仕組みや環境が社会のなかに存在していることです。

➀絵を描くことが評価や才能と切り離された、日常的な選択肢になっていること

➁フラストレーションを外に出してもいいと認められる、文化的な空気があること

➂誰かが描いたものを、ただそのまま受け止める眼差しがあること

こうした“受け入れの構造”が整えば、「何もできない」「わたしは一人だ」という思い込みから、少しずつ人は自由になれるのではないでしょうか。

生きるための表現を、社会の真ん中に


自殺をなくす方法は、ひとつではありません。
けれど、「今の自分を少しだけでも外に出すこと」
そして「それを、誰かが静かに見つめてくれること」
このふたつが重なったとき、人は生きるという選択肢に、もう一度手を伸ばせるのかもしれません。
絵はそのためのひとつの入り口です。
誰もが描けて、誰もがそこに何かを残せる。
生きていることの証を、ただそのまま残してもいいという感覚。
私たちは、それを社会の真ん中に据えなおすことで、「死にたい」という思いを静かにほどいていける社会をつくっていきたいと考えています。

しかし、自殺をなくすという目標は、決して簡単なことではありません。でも、「感情を安全に扱える文化と構造を社会に広げる」ということなら、始められるかもしれません。

その入り口として、絵画表現があります。
誰もが感情を持ち、誰もが出口を必要としています。
そのことを忘れずに、誰もが描ける社会、誰もが表現できる社会を、ひとつずつ積み重ねていきたいと、考えています。

「そのための小さな一歩として、make someone smile project(個性の循環)と、お絵描き空間プロジェクトがあります。」詳細は以下のリンクをご覧ください。

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