私はたぶん『おいしい給食』を好きすぎる
前にも書いたことがあるのに、また書いている。
『おいしい給食』のこと。
自分でも、ちょっと笑ってしまう。
だってこの作品については、すでに「好き!」と思って書いている。
それなのに、改めて見返したら、また書きたくなってしまった。
たぶんこういうのを、偏愛というんだろう。
『おいしい給食』は、もちろん“面白いドラマ”。
でも、私の中ではもうそれだけでは片づけられない。
ただ面白い、だけじゃない。
何度見ても笑ってしまうし、何度見ても「やっぱり好きだな」と思う。
しかも不思議なことに、見返すたびに好きなポイントが増えていく。
それが、この作品のすごいところだと思う。
まず、甘利田先生の給食への熱量がすごい。
いや、すごいを通り越して、ちょっとおかしい。
給食に、そこまで本気になる?
そんなに目を輝かせる?
そんなに一口一口に魂を込める?
と、冷静に考えたらツッコミどころだらけなのに、見ているうちにそれがだんだん愛おしくなってくる。
そして、その異常なまでの熱量を、市原隼人さんが全力でやっているのがまたいい。
少しも照れがない。
「これはコメディなので」という逃げもない。
本気で、真正面から、全力で給食に向き合っている。
だからこそ、面白い。
中途半端だったら、たぶんここまでハマっていない。
あそこまで振り切ってくれるから、こっちも安心して笑えるし、気づけばどんどん好きになってしまう。
それに『おいしい給食』って、ただ笑えるだけじゃない。
そこが私は、すごく好きで。
給食バトルなんて、よく考えたらものすごくくだらない。
先生と生徒が、そんなところで張り合わなくてもいい。
でも、その“くだらなさ”の中に、ちゃんと熱さがある。
食べることを大切にしている気持ちとか、
子どもを一人の人間として見ている感じとか、
教師としての不器用なまっすぐさとか。
そういうものが、ふっと見える瞬間がある。
笑っていたはずなのに、急にじんとする。
この温度差に、何度もやられてきた。
私はたぶん、こういう作品に弱い。
ふざけているように見えて、芯のところはちゃんと誠実なもの。
おかしいのに、最後はなぜか心を持っていかれるもの。
『おいしい給食』は、まさにそういう作品だと思う。
あと、やっぱり給食そのものも魅力的だ。
揚げパン。
ソフト麺。
ミルメーク。
その名前を聞くだけで、こちらの記憶がざわつく。
懐かしいなあ、と思うし、あの頃の教室の空気までなんとなく思い出す。
一方で、子どもたちにとっては新鮮らしい。
「それ何?」
「そんな給食あったの?」
と興味津々で見ている。
この、大人には懐かしくて、子どもには新しい感じもいい。
わが家でも、『おいしい給食』を見ていると自然と給食の話になる。
「今日の給食どうだった?」と聞くきっかけにもなるし、
主題歌が流れれば、つい口ずさんでしまう。
こういうふうに、ドラマの時間がそのまま家族の会話につながっていく作品って、実はそんなに多くない気がする。
ただ一緒に見て終わり、ではなくて、
見たあとに食卓や日常にちょっと余韻が残る。
そこもまた、好きな理由のひとつだ。
それから、主題歌が流れると「ああ、これこれ」と思う。
あの変わらない感じにも、毎回うれしくなる。
新しい作品を見るはずなのに、ちゃんと“おいしい給食の世界に帰ってきた”と思える。
私はたぶん、こういう変わらなさにも弱い。
好きになったものの核が、ちゃんとそのままそこにある。
それだけで、なんだか安心する。
改めて見返して思ったのは、私はこの作品の“給食”が好きなだけじゃないんだな、ということだった。
好きなものを、好きのまま、全力で愛している人がいる。
人から見たらちょっと変でも、まっすぐにそれを貫いている。
その姿が、なんだかまぶしいのだと思う。
『おいしい給食』を見ていると、「そんなに好きなものがあるっていいな」と思うし、同時に「好きって、やっぱり強いな」とも思う。
だから何度見ても飽きないし、前にも書いたのに、またこうして書いてしまうのだろう。
たぶん私は、『おいしい給食』を好きすぎる。
そしてきっと、これからも新しい動きがあるたびに、また懲りずに騒ぐんだと思う。
そろそろ『炎の修学旅行』も配信で見られる頃かな、と楽しみにしている。
また家で、あの熱すぎる給食愛を浴びられると思うと、今からちょっと嬉しい。
前にも書いた。
それでも、また書きたくなった。
それがもう、いちばんわかりやすい“好き”の証拠なのかもしれない。
※この記事は無職さんの「お前の偏愛を語れ」コンテストに参加しています。
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