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【#映画感想文】 伝記映画『#ラ・バンバ』――音楽が死んだ日を振り返る 【#Podcast エピソード紹介】

Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。

毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。

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【#映画感想文】伝記映画『#ラ・バンバ』――音楽が死んだ日を振り返る【#Podcast エピソード紹介】


第1章 音楽が死んだ日――1959年2月3日という永遠の傷跡

1.1 「The Day the Music Died」という呪文を知っているか

音楽が死んだ日を、知っているだろうか。

私は世代的に、その日を直接には知らない。1959年2月3日、アメリカ・アイオワ州クリアレイク。凍てついた夜の空に、小さな飛行機が墜落した。乗っていたのは三人のロックンロールスターと、パイロット一人。リッチー・バレンス17歳。バディ・ホリー22歳。ビッグ・ボッパー28歳。全員が即死だった。

だがその日を、私は知っている。ロックンロールに踏み込んだ日に知った。バディ・ホリーのギターリフを初めて聴いた夜に知った。CMで流れる「ラ・バンバ」のイントロで知った。ドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」の歌詞を一行ずつ潰すように読み解いた時に知った。

"A long, long time ago, I can still remember how that music used to make me smile." (遠い昔のこと、今もあの音楽が私をどれほど笑顔にしてくれたか覚えている。) ―― ドン・マクリーン『アメリカン・パイ』(1971)

「The Day the Music Died」――音楽が死んだ日。その言葉を生み出したのは、事故から12年後に書かれたこの曲だ。音楽とは記憶であり、記憶は時間とともに消えていくはずなのに、なぜか口ずさめばいつでも蘇る。そういうものだ。リッチー・バレンスもまた、そういう存在になった。

1.2 なぜ今、ラ・バンバを語るのか――消費されない記憶の話

1987年の映画『ラ・バンバ』は、リッチー・バレンス(本名:リチャード・スティーヴン・バレンズエラ)の生涯を描いた伝記映画だ。監督はルイス・バルデス。ヒスパニック系の若き才能が、貧困と差別と家族の呪縛を越えて、わずか17歳で頂点に駆け上がり、そして呆気なく散る。その物語を、私はただの「悲劇の天才のドキュメント」として語りたくない。

なぜなら、この映画には「逆らえない運命に向かって走り続ける人間の美しさ」という普遍的なテーマが宿っているからだ。そしてそのテーマは、1950年代アメリカという特定の文脈を超えて、今を生きる私たちにも刺さり続ける。

音楽は時間とともに消えていく芸術だ。演奏が終われば音は消える。だがその音が誰かの耳に届いた瞬間、それは記憶になる。記憶は消えない。リッチーの声が今日もどこかで流れていて、その声に救われる誰かがいる。それを思うと、私は映画館ではなく静かな部屋でこの作品を見返したくなる。

1.3 カルチュラル・コンテキスト――50年代アメリカと移民の夢

1957年という年を思え。スプートニク・ショックがアメリカの自信を揺さぶり、公民権運動が静かな地鳴りを上げ始め、ロックンロールという「不道徳な音楽」が白人の親たちを震え上がらせていた時代だ。そんな時代に、メキシコ系移民の家庭に生まれた少年が「自分の音楽」でアメリカに踊らせようとした。

社会学者ピーター・バーガーは「社会は人間が構築した現実である」と言った(1966年)。リッチーの物語は、その「構築された現実」の中で、最も構造的に弱い立場に置かれた人間が、音楽という武器一本で現実を書き換えようとした記録でもある。彼が突破しようとした壁は、単なる貧困ではなく、人種・階級・言語の三重の壁だった。


第2章 貧困から音楽へ――サクセスストーリーの「本当のコスト」

2.1 ヒスパニック系移民の子として生まれるということ

リッチーが育ったカリフォルニア州サンフェルナンド・バレーは、1950年代においても移民労働者の街だった。父親が早逝し、母コンチータは季節労働者として各地を転々とした。リッチーは農場の宿営地を転々としながら育ち、学校に通うことすら継続的にはできなかった。

この「貧困の中の移動」という体験が、彼の音楽に刻まれている。「ラ・バンバ」はもともとメキシコ・ベラクルスの民謡で、何世代にもわたって移民とともに旅をしてきた曲だ。リッチーがその曲をロックンロールに昇華させたとき、彼は単に音楽を作ったのではなく、自分の出自と現在をひとつの音楽の中に縫い合わせた。

社会学者ブルデューが「文化資本」という概念を提唱したのは1970年代のことだが(ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』1979年)、リッチーには学歴も経済資本もなかった。あったのは音楽という「象徴資本」だけだ。それが、彼の唯一の突破口だった。

2.2 成功の甘さと影の構造――「夢を売る」産業の現実

映画の中でリッチーは、音楽プロデューサーのボブ・キーンに見出されてデルファイ・レコードと契約する。ここから物語は急加速する。「ラ・バンバ」「ドナ」「カム・オン、レッツ・ゴー」の三曲が次々とヒットし、17歳の少年は全米のスターになる。

だがここで立ち止まって考えたい。あの時代のレコード産業は、今の言葉で言えば「搾取構造」の温床だった。マイノリティのアーティストは権利意識が低く、プロデューサー側に有利な契約を結ばされることが多かった。リッチー自身の記録が少ないため断言はできないが、映画が描くボブ・キーンとの関係は「発見した者」と「発見された者」という非対称な権力構造を示唆している。

"The music business is a cruel and shallow money trench, a long plastic hallway where thieves and pimps run free." (音楽業界とは残酷で底の浅い金の塹壕であり、泥棒や搾取者が野放しになった長いプラスチックの廊下だ。) ―― ハンター・S・トンプソン

もちろん、トンプソンが言いたかったのはそれだけじゃない。その廊下を走り抜けた者だけが、永遠に残る。リッチーはその廊下を17年という短い人生で駆け抜けた。駆け抜けながら、何かを置き去りにした。

2.3 言語の壁を音楽で突き破る――「ラ・バンバ」の政治性

興味深いのは、「ラ・バンバ」がスペイン語の歌詞で書かれていることだ。1958年当時のアメリカでは、英語以外の歌詞でポップチャートのトップに食い込むことは非常に困難だった。リッチー自身は流暢なスペイン語を話せたわけではなく、レコーディングにあたってスペイン語の発音を練習したとされている。

これは矛盾のように見えて、実は深い意味を持つ。「自分の出自を証明する言語」を習得してまで自分の曲に込めたメッセージ、それは「俺はここにいる」という宣言だ。教育社会学者パウロ・フレイレが『被抑圧者の教育学』(1968年)で述べた「沈黙の文化」への抵抗、それはリッチーにとって音楽という形で表れた。声を持つことを許されなかった者たちの声を、彼は音符に変えた。


第3章 兄ボブという影――家族という名の地雷原

3.1 腹違いの兄との関係性が描く「愛と暴力の混在」

映画における最も複雑なドラマを生み出しているのが、リッチーの腹違いの兄ボブ・モラレス(ルー・ダイアモンド・フィリップス)との関係だ。ボブはリッチーを愛しながら、同時にリッチーに嫉妬し、依存し、そして引きずり落とそうとする。この複雑な引力と斥力の関係が、映画の「もう一本の背骨」になっている。

ボブというキャラクターを単なる「悪役の兄」として見るのは、あまりにも表層的な読みだ。彼は社会からはじき出された男の典型例として描かれている。リッチーには音楽という突破口があったが、ボブにはそれがなかった。才能の有無ではなく、「夢を持てるかどうか」という環境の差が、二人の人生を分けた。

心理学者アドラーは「人間のすべての問題は対人関係の問題である」と述べた。ボブとリッチーの関係は、まさにアドラー心理学が描く「劣等感と優越コンプレックスの連鎖」の物語だ。ボブの荒れた行動の根底には、自己価値を見出せない絶望がある。そしてその絶望は、システムによって生み出された絶望だ。

3.2 家庭内の暴力と沈黙――声にならない叫びを映像に刻む意味

映画が描く家庭内の性暴力の描写は、精神的にくる。直視したくない、目を逸らしたいと思う場面もある。だが私は、この描写の存在を「過剰」とは思わない。むしろ、これは必要な残酷さだ。

「光の当たらないところに光を当てることを恐れていては映像作品は作れない」と私は思う。移民家庭の中で、貧困の中で、声を持たない者たちの間で起きていたことを、映画は証言する義務がある。社会学者エミール・デュルケームは「社会的事実は個人の外に存在する」と言ったが(『社会学的方法の規準』1895年)、家庭内の暴力もまた、個人の問題ではなく社会構造の問題として理解されなければならない。

"The most common way people give up their power is by thinking they don't have any." (人々が自分の力を手放す最も一般的な方法は、自分には力がないと思い込むことだ。) ―― アリス・ウォーカー

声にならない叫びを映像に刻むこと。それは単なる告発ではなく、「かつてそこに生きた者たちへの追悼」でもある。映画は歴史を作り直すことはできない。だが、忘れさせないことはできる。

3.3 ボブの「愛」が持つ暗い輝き――複雑な感情を許容する批評の倫理

ボブというキャラクターについて、もう少し深く掘り下げたい。彼はリッチーの成功を喜びながら、それを妬む。リッチーの安全を心配しながら、危険に引き込もうとする。この矛盾した感情の塊は、実はとても「人間的」だ。

映画の脚本家兼監督のルイス・バルデスは、ボブを「怪物」として描かなかった。ボブは制度と貧困と差別によって形作られた存在であり、その痛みから生まれた歪みを抱えたまま生きている。社会心理学者フィリップ・ジンバルドーは『ルシファー・エフェクト』(2007年)で、悪は個人の問題ではなく状況と環境の産物だと論じた。ボブを見るとき、私はジンバルドーの言葉を思い出す。

ボブの「愛」は本物だ。ただ、その愛を健全に表現する方法を、彼は誰にも教えてもらえなかった。それが悲劇の真の原因だ。


第4章 リッチーの才能と「夢の構造」――17歳で頂点を知ることの重さ

4.1 音楽的才能の「本質」と独学の力

リッチーの音楽的才能について、もう少し具体的に語りたい。彼はギターを独学で習得し、「ラ・バンバ」のロックンロール編曲を自ら考えた。バリエーション豊かなコード進行と、民謡のリズムをロックのビートに乗せる発明的な感覚は、音楽的教育を受けていない少年が生み出したものだとは思えない。

これは「天才」という神秘的な言葉で片付けるべきではない。認知心理学者マルコム・グラッドウェルが『天才!成功する人々の法則』(2008年)で提唱した「1万時間の法則」は、才能よりも圧倒的な練習量が技術を生み出すという主張だ。リッチーは短い人生の中で、どれだけの時間を音楽に注いだのだろうか。農場の宿営地で、学校の片隅で、夜の暗闇の中で。その積み重ねがあの音楽を生んだ。

才能は環境によって開花もし、摘み取られもする。リッチーがたまたま「音楽という出口」を見つけられたのは、運と才能の合わせ技だ。だが同時に、あの時代に彼と同じ可能性を持ちながら開花できなかった無数の子どもたちのことも、私は考える。

4.2 「ドナ」が示す普通の青春の輝き

「ドナ」という曲の存在が、私はとても好きだ。この曲は実在の彼女ドナ・フォックスに捧げられたラブソングだ。スターでもなく、ヒスパニックでもなく、ただ「好きな子がいる少年」のリッチー。「ラ・バンバ」の政治性や「来い、行こうぜ」のエネルギーとは違う、この曲だけが持つ透明な甘さがある。

人は夢の大きさで測られるべきではない。夢とともに生きた時間の質で測られるべきだ。リッチーにはドナへの恋があり、家族への愛があり、音楽への狂おしい情熱があった。17年という時間の密度が、普通の一生に匹敵する重さを持っている。

"It is not the length of life, but the depth of life." (大切なのは人生の長さではなく、深さだ。) ―― ラルフ・ウォルドー・エマーソン

この言葉をリッチーに当てはめるとき、私はエマーソンが正しかったと思う。17歳で到達した「深さ」を、私は40歳を過ぎた今も追いかけている気がする。

4.3 飛行機嫌いの少年が飛行機に乗った夜――運命の皮肉

映画が最も丁寧に、そして最も残酷に描く事実がある。リッチーは飛行機が怖かった。乗ることを極端に嫌がっていた。それでも、あの夜、彼は飛行機に乗った。コインのコスプ(じゃんけん)に負けて、チケットを譲ってもらえなかったという説もある。詳細は諸説あるが、映画の中でリッチーが恐怖を押し殺して機上の人となる場面は、観客の胸に深く刺さる。

これを単なる「悲劇的な偶然」として片付けるのは簡単だ。だが私はここに、ある種の哲学的問題を見る。ハイデガーは「存在と時間」(1927年)の中で、人間の存在を「死へと向かう存在(Sein-zum-Tode)」として定義した。私たちは誰もが、自分の死を知らないまま死に向かって生きている。リッチーはその晩、自分の運命を知らなかった。知らなかったからこそ、あの夜の空に飛び立てた。知っていたら、どうしただろう。それは問うても意味のない問いだ。だが人間は、意味のない問いを問い続けることで、生きている。


第5章 ルイ・ダイアモンド・フィリップスという奇跡――俳優が「魂を移植する」瞬間

5.1 フィリップスの演技が持つ「過剰なリアリティ」

ボブ・モラレスを演じたルー・ダイアモンド・フィリップスは、この映画で一躍注目を浴びた。彼の演技について語るとき、「上手い」という言葉では足りない。彼のボブは、スクリーンの外に漏れ出てきそうな危うさを持っている。ボブの怒りが画面を引き裂きそうになる場面で、観客は思わず身を縮める。

演技論の観点から言えば、フィリップスが体現しているのは「感情の考古学」とも呼べるアプローチだ。ボブという人物の表面的な怒りや暴力だけでなく、その根底にある傷と愛着と喪失を同時に演じている。スタニスラフスキーの「システム」が目指した「役の内側から生きる」演技、それをフィリップスはボブに対して実践している。

"Acting is not about being someone different. It's finding the similarity in what is apparently different, then finding myself in there." (演技とは、別の誰かになることではない。明らかに異なるものの中に共通点を見つけ、そこに自分を見出すことだ。) ―― メリル・ストリープ

フィリップスは「自分とボブの共通点」を見つけ、そこからボブを構築した。だからこそ、ボブは単なる悪役ではなく、観客が愛してしまう複雑な存在になった。

5.2 ロス・ロボスの音楽が映画に与えた「本物性」

映画の音楽を担当したのはロサンゼルスのチカーノ・ロックバンド、ロス・ロボスだ。彼らは「ラ・バンバ」をはじめとするリッチーの楽曲を演奏・録音し、映画のサウンドトラックを作り上げた。このキャスティングは、映画の「本物性」を飛躍的に高めている。

ロス・ロボス自身も、ヒスパニック系コミュニティの音楽文化を体現するバンドだ。彼らがリッチーの音楽を演奏することは、単なる「カバー」ではなく「継承」だ。文化人類学者クリフォード・ギアーツは「文化は生きている」と言ったが(『文化の解釈学』1973年)、ロス・ロボスの演奏はその言葉を体現している。リッチーが蒔いた種が、30年後のバンドの演奏によって開花した。

5.3 主演エスリ・モラレスと「リッチーを生きること」の覚悟

主演のエスリ・モラレスは、リッチーを演じるにあたって徹底的なリサーチを行ったとされる。実際、完成した映画の中のリッチーには、「演じている感覚」が著しく薄い。観客はいつの間にか、スクリーンの中にリッチーを見ている。モラレスを見ているのではなく。

伝記映画の難しさは、「実在した人物の再現」と「映画的なドラマの創造」という二つの要請が衝突することにある。モラレスが達成したのは、その衝突を解消することではなく、その緊張を「生きた演技」に変換することだ。完璧なコピーは映画にならない。だが完璧な創作も伝記にならない。その狭間に立つ演技者の孤独と覚悟が、この映画の随所に感じられる。


第6章 「逆らえない運命」の美学――予定された悲劇を見守る観客の構造

6.1 知った上で見ること――「結末を知っている映画」の特殊な快楽と苦痛

この映画を見る観客のほとんどは、リッチーが17歳で飛行機事故で死ぬことを知っている。その「知識」を持ちながら映画を見ることの経験は、普通の映画体験とは根本的に異なる。

哲学者アリストテレスは『詩学』の中で「悲劇のカタルシス」について語った。悲劇は観客に恐怖と哀れみを引き起こし、その感情の浄化(カタルシス)をもたらすと。しかし『ラ・バンバ』が引き起こすのは、純粋なカタルシスではない。もっと複雑な感情だ。運命を知りながら、その運命に向かって走るリッチーを応援してしまう。走れ、もっと速く。でも同時に、止まれ、その飛行機に乗るな、と思う。この分裂した感情が、映画の最後まで観客を縛り続ける。

"The cradle rocks above an abyss, and common sense tells us that our existence is but a brief crack of light between two eternities of darkness." (揺りかごは深淵の上で揺れており、常識は教えてくれる——我々の存在は二つの永遠の闇の間にある、かすかな一筋の光に過ぎないと。) ―― ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』序文

この「かすかな一筋の光」がリッチーの17年間だ。暗闇の両端を知りながらも、私たちはその光に向かって手を伸ばさずにはいられない。それが人間という生き物の性だ。

6.2 伝記映画の倫理学――「生きた人間」を物語にすることの責任

伝記映画が常に抱えるジレンマがある。実在した人物の人生を「物語」に変換することは、必然的に選択と省略と誇張を伴う。映画はリッチーの人生を120分に圧縮し、そのプロセスで何かを選び、何かを捨てている。

バルデス監督はこの作品を、「ヒスパニック系アメリカ人のサクセスストーリーを描く」という明確な政治的意図を持って作った。その意図は映画全体の色調に影響している。光はやや明るめに、影はやや暗めに描かれる。英雄譚の構造を持ちながら、それがリッチーの「実像」とどこまで重なるかは、厳密には判断できない。

だがここで言いたいのは、映画の「不正確さ」を責めることではない。映画が選んだ「光の当て方」が、2024年の今も意味を持ち続けているかどうか、それが問われるべき問いだ。ヒスパニック系移民の才能と可能性と悲劇を同時に描いたこの映画は、2024年のアメリカでも、依然として政治的なドキュメントであり続けている。

6.3 美しいとはどういうことか――「たくましさ」の再定義

「貧困から音楽の力で抜け出す男の姿はたくましく美しい」と私は書いた。ここで使った「美しい」という言葉について、もう少し丁寧に語りたい。

通常、美しさは静的なものとして語られる。完成した作品の美しさ、安定した状態の美しさ。だがリッチーの美しさは動的だ。失敗しながら前進する過程の美しさ、間違いを犯しながら夢を追い続ける姿の美しさ。それは哲学者ヘーゲルが言った「弁証法的な運動」の美しさに近い(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『精神現象学』1807年)。矛盾を抱えながら、矛盾を超えようとする力の美しさ。

リッチーのたくましさは、逆境を「なかったこと」にする強さではない。逆境を抱えたまま、それでも走り続ける強さだ。そういう美しさは、時間が経っても色あせない。


第7章 音楽は時間を超えるか――「記憶の芸術」としての音楽論

7.1 消えていく芸術と残り続ける記憶の逆説

「音楽は時間とともに消えていく芸術だ」と私は冒頭に書いた。これは文字通りの真実だ。演奏が終われば音は消える。録音技術が登場する以前、音楽は演奏の瞬間にしか存在しなかった。

だが同時に、音楽は「記憶の芸術」でもある。特定の曲を聴くと、瞬時にその曲を最初に聴いた時の記憶が蘇る。脳科学的に言えば、音楽は記憶と感情を処理する扁桃体と海馬に強く作用する(ダニエル・レヴィティン『脳はなぜ音楽を必要とするのか』2006年)。だからこそ、「ラ・バンバ」を聴くと、リッチーを知らない世代の私でも、何か懐かしいような、遠いような感覚に包まれる。

リッチーの音楽が今日も流れているということは、リッチーがまだどこかで生き続けているということだ。記録された音楽は、その演奏者が死んだ後も演奏し続ける。これはある意味で、死後の命だ。

7.2 ポピュラー音楽と社会変革の接点――ロックンロールの政治学

1950年代のロックンロールが持っていた「反乱」の意味を、今の時代に正確に理解するのは難しい。テレビで見るエルヴィス・プレスリーの腰の動きが、なぜあれほど道徳的な非難を浴びたのか。なぜ若者たちが踊るだけで「不道徳」と言われたのか。

それを理解するには、1950年代アメリカの社会規範の硬直性を知る必要がある。第二次世界大戦後の「幸福なアメリカ」神話が形成された時代、白人中産階級の価値観がすべての基準とされた時代に、黒人音楽のリズムに乗って白人の若者が踊るロックンロールは、文化的な越境であり、社会秩序への挑戦だった。

"Rock and roll is here to stay." (ロックンロールは永遠に存在し続ける。) ―― ダニー・アンド・ザ・ジュニアーズ(1958年)

リッチーがヒスパニック系移民の子としてロックンロールを演奏したことは、その「越境」をさらに複雑にした。人種的にも、階級的にも、言語的にも「外部者」だった少年が、アメリカのポップカルチャーの中心に踊り込んだ。その事実は、単なる音楽史のエピソードではなく、アメリカン・ドリームの「可能性と限界」を同時に示すケーススタディだ。

7.3 リッチーが「もし生きていたら」という無用な仮定と、その必要性

「もしリッチーが生きていたら」と考えることは、厳密に言えば歴史的に無意味だ。起きたことは起きたことで、覆らない。

だが人間は「反事実的思考(counterfactual thinking)」という認知プロセスを持つ。「もし~だったら」という思考は、現在の状況をより深く理解するためのメタファーとして機能する(心理学者キース・マーカス、アン・ロワー)。「もしリッチーが生きていたら、ラテン・ロックの歴史はどう変わっていたか」という問いは、彼の死が音楽史に残した穴の大きさを測る方法だ。

カルロス・サンタナはいる。マーク・アンソニーはいる。シャキーラもいる。ラテン音楽はアメリカン・ポップの中心的な柱になった。だがその系譜の根元に、17歳で死んだリッチー・バレンスがいることを、私は忘れたくない。彼が撒いた種の上に、今の音楽がある。


第8章 音楽は口ずさめばいつでも蘇る――終わらぬ夢と続く物語

8.1 「音楽が死んだ日」の真の意味とは何か

「音楽が死んだ日」という表現は、ドン・マクリーンが1971年に作った比喩だ。だが私はその表現の意味を、もう一度考え直したい。音楽は本当に死んだのか。

もちろん死んでいない。リッチーの声はレコードの溝に刻まれ、バディ・ホリーのギターは録音テープの磁気に宿り、毎日どこかで誰かに聴かれている。物理的な意味で、音楽は死んでいない。

では「音楽が死んだ」とは何を指すのか。それは「未来の音楽が死んだ」ということだ。リッチーが作ったかもしれない曲、歌ったかもしれない歌詞、革新したかもしれない音楽スタイル。それらすべてが、1959年2月3日の夜に可能性のまま消えた。「死んだのは音楽そのものではなく、音楽の未来だった」という意味で、マクリーンの表現は正確だ。

"Every man dies. Not every man really lives." (誰もがいつか死ぬ。しかし本当に生きた者はそう多くない。) ―― ウィリアム・ウォレス(映画『ブレイブハート』より)

リッチーは本当に生きた。その密度で言えば、17年という時間は嘘ではない。

8.2 バディ・ホリーとリッチーの「友情」が示す音楽の連帯

映画の中で、リッチーとバディ・ホリーの関係は短く描かれる。だがその短い描写の中に、音楽が持つ「国境も人種も越える力」が凝縮されている。テキサス出身の白人のバディと、カリフォルニア出身のヒスパニック系のリッチー。1958年のアメリカで、この二人がステージで肩を並べること自体が、ひとつの政治的行為だった。

音楽社会学者サイモン・フリスは「音楽は社会的アイデンティティの構築に関与する」と述べた(『Performing Rites』1996年)。バディとリッチーが同じツアーで音楽を作り出した事実は、「ロックンロール」というジャンルが、人種的な分断を超えた文化的連帯の場になり得ることを示している。もちろん、それが完全な平等を意味したわけではない。だが音楽の中では、一瞬だけ、そういう世界が存在した。

8.3 レコードの針を通して響き渡るリッチーの声――今日もごきげんだ

結局、私がこの映画について語りたかったことは、とてもシンプルだ。

リッチーの声は今日もごきげんだ。レコードの針がその溝を走るたびに、1958年のリッチーが現在に蘇る。「ラ・バンバ」の最初のギターリフが鳴り出す瞬間、時間が止まる。いや、止まるのではなく、時間が折りたたまれる。1958年と2024年が、その一音の中で重なる。

音楽が持つこの「時間を折りたたむ力」は、他のいかなる芸術にも代えがたい固有の力だ。絵画は見るために移動しなければならない。文学は読むための集中を必要とする。だが音楽は、気がついたら耳に入ってくる。シャワーの中で、街角で、テレビのCMで。リッチーを知らない人の耳にも、「ラ・バンバ」は入ってくる。入ってきた瞬間、その人はリッチーを知る。それが音楽の奇跡だ。

"Where words fail, music speaks." (言葉が届かないところに、音楽は語りかける。) ―― ハンス・クリスチャン・アンデルセン

リッチーは多くを語らなかった。17歳という年齢もあり、インタビューも少なく、残された言葉は音楽の中にある。その音楽が今日も世界のどこかで誰かの耳に届き、その誰かを救っているとしたら——それがリッチーの「続く物語」だ。

8.4 音楽は死なない、ただ形を変えて旅を続ける

映画の最後で、リッチーを乗せた飛行機が夜の空に消えていく。観客は知っている。あの飛行機が二度と戻らないことを。だがその直後、「ラ・バンバ」のギターリフが流れ始める。あの音が鳴り響く限り、リッチーはどこかにいる。

伝記映画というジャンルが持つ最大の力は、死者を「生きていた人間」として復活させることだ。歴史の記録としてではなく、喜怒哀楽を持った等身大の人間として。バルデスが作ったこの映画の功績は、リッチー・バレンスを「17歳で死んだロックスター」という記号から解放し、「母を愛し、兄に悩み、ドナに恋し、音楽に命をかけた少年」として私たちの前に連れてきたことだ。

音楽は時間とともに消えていく芸術だ。しかしそれでいて、口ずさめばときも場所も選ばず蘇り続ける。リッチーの記憶もまたそういうものだ。レコードの針が溝を走る限り、ギターが同じコードを鳴らす限り、17歳の少年は夜の空を飛んでいる。きっと終わらぬ夢を見続けながら。そしてその歌声で救われる誰かが、今日もまた世界のどこかにいる。

音楽は死なない。形を変えて、時代を越えて、人から人へと旅を続ける。それがリッチー・バレンスという短い命が教えてくれた、音楽の本当の姿だ。


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

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