妖しFile No3 一反木綿、No4 山姥
信じるも信じないも個人の自由ですから、ご随意になさっていただいて結構ですが、これは私が体験した実話です。
1973年の今頃の季節だったと思います。
当時私は友達とよく山に登っていました。
山と言っても険しい山ではありません。せいぜい標高2~300m程度の山で、細い山道の横にはみかん畑やら小さな段々畑に野菜が植えてあったり、他は雑木が生い茂っているばかりの地味な山です。
私たちは山の尾根まで登ってそこから自分たちの住んでいる町を見下ろすのが好きでした。その小さな町は三方を険しい山に囲まれ一方は海で当時は「陸の孤島」と呼ばれていました。
私たちは「この入り江の町は天然の囲いがあるのだから牧場にすれば素敵だ」などと言い合って、町を眺めながら空想の牧場を平地に展開して遊んでいました。
ある日、私たちがいつものように細い山道を登って行くと、前方になにか白い物がひらひらしていました。

その日は梅雨の晴れ間で2人とも結構汗をかいていましたが、風は吹いていませんでした。
なのに、その白いヤツはひらひらと風に舞うように私たちのところへ近づいて来るのです。よく見ると木綿で出来たサラシのような真っ白な布切れです。
その布切れは私たちの上をしばらくグルグル回った後、急にスピードを上げて上の方へ登って行き、尾根を越えて見えなくなりました。
ちなみに場所はこの辺りです。
不思議な事もあるもんだと思いましたが、山には突然風が吹いたり霧が出たり雨が降ったりすることは珍しくない事を私たちは知っていたので「良い天気なのにつむじ風が吹いたのかな・・・」程度に思っていました。
私たちの目的地の景観の良い場所はもう少し上なので、また歩き出しました。道の脇には黄色の木苺がたくさん実っていて、2人してちぎって食べながら上って行くと前からおばあさんが下って来ます。
当時はまだおばあさんは日常的に和服を着ている事が多く、洋服はよそ行きで、普段着は着物という人が多かったと思います。わたしの祖母などもそうでした。
前から下って来るおばあさんも着物姿でしたが、随分と汚れています。
すれ違う時に「チラッ」と視線をくれましたが、何も言わずにスタスタと下って行きました。
私たちの目的地はもう少し上なので上って行くと、さっきのおばあさんにそっくりのひとが下って来ます。

私たちは「ギョッ」としましたが、田舎にはふたごのおばあさんもいたことがあったので、そんな感じかなぁ・・・などと思いながら通り過ぎましたが、こんどのおばあさんは視線をくれませんでした。
そこから少し上って行くと広葉樹が大きく枝を拡げて涼しい場所がありました。岩伝いに水も流れています。
足元には毒キノコがきれいに並んで生えていて、まるで小さな畑のようになっています。

当時の私は図鑑を見るのが好きで、植物図鑑に載っている茸は大概憶えていたので、このきのこがベニテングダケで、そのまま食べると毒だけど、塩漬けにすると食べられるようになって、北欧のバイキングはそうやって食べていたことなどを友達に話しながら、しばらく休憩して涼んでいると上からまた、おばあさんが下って来ます。
流石に、チョット気味が悪くなりましたが、勇気を出しておばあさんに話しかけました。「こんにちは。これは毒キノコだけど、おばあさんが植えているのですか?(実際は方言)」
するとおばあさんは、視線もくれず何も言わずスタスタとまた通り過ぎていきます。耳が悪いのかもしれないし、間違って毒キノコを食べたら危険なので教えてあげなきゃと思い、おばあさんの着物の袖をつかむと、「ギャッ」と叫んで飛び上がり驚くような速さで走って下って行きます。
私たちはびっくりしてその場に立ち尽くしました。
すると山の尾根を越えて、さっきの白い布が現れ、おばあさんの腰に絡みついておばあさんを吊り上げ、尾根の向こうにさらって行きました。

その日、私たちは二人とも熱を出して寝込んでしまい、以降の子どもだけでの山登りは禁止、木の実を採って食べるの禁止、キノコに棒で触るのも禁止を言い渡されたのでした。
52年くらい前の熱が出た時の話なので、記憶なのか、夢の中の話なのか、想像上の出来事なのか、あやふやなところがあります。
でもそれ以降、学校からの通知で「子供だけでの山登りは禁止」されたのは事実だったと思います。
一首献上
一反じゃ足りないほどの長さなり 空へ伸びたる木綿の力
