自己紹介|中学生になった私|信じてくれる人たちとの出会い
こんにちは。水谷 真人です。
私は「可能性を最大化する」ことをミッションに掲げたAll Bridge株式会社にて、新規事業創出の支援や人財育成支援を行ってます。
そんな私は、どんな人だったのか、どうして今の仕事をしているのか、自分の過去の整理も含めてまとめていっています。
前回は小学生の時の「2つの顔」について。そして今回は、そんな私が中学生になったときの話です。
中学校での私:ただの調子に乗った生徒
中学生からの私は、何の変哲もない、ただの学生だった。先生から見れば、調子に乗ってる、めんどくさい生徒。髪の毛をワックスでツンツンにさせて、調子に乗った学生。
たぶん、そんなふうに見えていたと思う。
私の地域では、選択すれば市内のどの中学にも行くことができた。
私は、家から一番近くて、そしてみんなが行く三郷市立瑞穂中学校を選んだ。
決断したのではない、皆に流されるだけだった。

中学生になると、友達もたくさんできた。
三郷市と隣の八潮市にある地域サッカークラブに所属している友達が多く、放課後になると、各チームの練習前に私の家に集まってテレビゲームをしていた。私が帰宅する前から、友達が私の家に集まってゲームをしている、そしてそんな状況を母は喜んで、ポップコーンを友達にふるまい、母が友達と話していた。
こういう意味では、私はその時々でとても素敵な友達に恵まれていたと思います。

三郷Jr.Youthに入団と出会い
中学生になると、はじめてサッカーを“楽しい”と思えた。地域のクラブチームである三郷Jr.Youthに入団することができたことが大きな理由だ。
正直、入団できるとは思っていなかった。セレクションを受けたが、全く感触がなかった。
そのため、結果通知が家のポストに届いていたとき、不合格だろうと思って開封する気にはならなかったが、友達から「開けなよ!大丈夫だよ!」と言われて封を開け、「合格」の文字が刻まれていたのを見たとき、とても嬉しかったし、まだ仕事をしていた母のところまで合格通知を持って、見せに行ったことを覚えている。母も喜んでくれていた。
そして、このチームでのサッカーはとても楽しかった。
チームの育成方針・スタンスとして「失敗しても、改善して、トライを続けること」が前提だったので、ドンドンいろいろなプレーをさせてくれた。
失敗しても怒られることはなく、常に改善点を提示してくれたし、練習や試合以外でのコミュニケーションも非常に大切にしてくれた。
そして、私のことを認めてくれるコーチやチームメイトがいた。
本当に今でも感謝しかない。この時の出会いが私を大きく変えてくれ、強く支えてくれ、今の仕事にも通底している「仲間を信頼すること」、「どのような失敗でも、そこから学び、挑戦し続けていくこと」の大切さを教えてくれた。
毎晩の壁当てと、のぞみ公園
私自身、コーチや仲間たちに認められたいという気持ちがあった。
毎晩、ひとりでサッカーの練習をしていた。
マンション街の小さな公園で、毎日壁当てを繰り返した。気づけば、私が中学を卒業する頃には、その壁は撤去されてしまった。きっと、私がボールを蹴りすぎ、騒音で撤去されてしまったのだろう。

それくらい何かにのめり込みたかった。
今思えば、もっと効率的な練習方法はあったかもしれない。もっとできたことはあったのかもしれない。
けれど、当時の自分には、それが1番の練習だった。
人生の恩師との出会い
そして、人生の恩師に出会った。サッカーチームの監督——高校教師でもあったため、尊敬と親しみを込めて皆んなで「先生」と呼んでいた——は、いつも私を信じてくれた。
先生は私を「広島東洋カープの水谷 実雄みたいだな」と、いつかの合宿でふざけて呼んでくれたことがきっかけとなり、以降私のことを「実雄」と呼んでくれた。
私にとってはそれが特別なものに思えて、とてもうれしかった。
私は当時170㎝しかなかったし、身体能力もそこまで高くなかった。
しかし先生は私を「実雄、お前はセンターバックをやるんだ」と言って、信じてくれた。だから、私はその信頼に応えたかったし、その想いだけで、ボールを蹴って練習していた。
チーム自体は決して強くなかった。でも、私にとっては、何よりも大切な時間だった。
初めて「人に信じてもらう力」と「誰かのために頑張れる喜び」を知った。
中学生のときの経験も、今の私の根底に大きくつながっている。
もちろん、「人に認められたい」だけで仕事をしているわけではないが、「誰と一緒に仕事をするのか」というのはとても大切にしている。
そして、徹底して何かにのめり込んで打ち込んでいきたい性格も、この時にできたものだろう。
これが今の仕事や生活のスタイルにもなっている。
この時の出会いや経験が、今の私のとても大切な原点になっている。
