中田敦彦氏の帰国炎上に感じる、「抜け駆けを許さない」日本の冷たさ
最近、タレントの中田敦彦さんがシンガポールから日本へ帰国したことが話題になっていますね。
ネット上では「ただの節税移住だった」「結局移住失敗したんだ」などと、叩かれているみたいです。
海外へ行くときは「日本を捨てた」と冷たく突き放し、いざ戻ってくれば「それ見たことか」と笑う。
この異様なまでの冷たさは、一体どこから来るのでしょうか。
そんな日本社会特有の少し窮屈な心理と、もっと自由でいいはずの生き方について思うことがあったので書いてみようと思います。
海外移住者に厳しくなってしまう「こじらせ心理」
なぜ、日本ではこんなに海外へ渡る人や、戻ってくる人に厳しい目が向けられるんでしょうか。
私が感じるのは、日本社会が抱えるちょっと「こじらせた心理」です。
今の日本って、物価も上がるし将来も不安だし、どこか閉塞感がありますよね。みんなが「しんどいけど我慢して頑張っている」状態なんでしょう。
そんな中で、誰かがひょいと海外へ飛び出していくと、残された側は「ずるい、1人だけ勝ち組気取りかよ」って感じてしまうのかもしれません。
「みんな耐えてるんだから、抜け駆けは許さない」という空気がある気がします。
それに、正直なところ、こぞって叩いている人ほど「自分英語も話せないし、海外移住なんて絶対無理」っていうコンプレックスを心のどこかに持っているんじゃないかな、とも思います。
だからこそ、海外に行った人が失敗したように見える姿を見て、「ほら見ろ、日本にいる自分が正しかったんだ」って安心したいんじゃないでしょうか。
でも、中田さんのニュースを見て「失敗」って言っているのは、本当に的外れだなって思います。
約5年間も海外で生活したなんて、めちゃくちゃすごいことです。
最初から永住するつもりなんてなかったでしょうし、子どもの進学や家族のタイミングに合わせて日本に戻るのって、ごく自然なことです。
この5年間で、お子さんはきっと英語がペラペラになっただろうし、日本ではできない経験がたくさんできたはず。
それなのに、帰国したという結果だけで「失敗」と決めつけるなんて、あまりにも視野が狭いなと感じてしまいます。
マレーシアの日常から見える、圧倒的な「大らかさ」
今、私はさまざまな人種や文化が交差するマレーシアで暮らしています。ここにいると、日本での「海外移住叩き」がいかに特殊なものであるかがよく見えてきます。
マレーシアでは、いろいろな国籍の人がそれぞれの都合でごく自然に国を行き来しています。
「ビジネスのために数年だけ住む」
「子供の教育のためにしばらく滞在する」
「タイミングが来たから自国に戻る」
そんなライフスタイルがあまりにも当たり前なので、誰かがどこかへ移動することに対して、周りが評価や批判するような空気は一切ありません。
そこにあるのは、「人は人、自分は自分」という大らかさです。
この心地よさを知ってしまうと、日本で見られる「海外かぶれ」というレッテル貼りや移住者へのバッシングは、裏を返せば「移動の自由」や「生き方の多様性」を認められない、狭い島国マインドの表れなのではないかと感じてしまいます。
今、中田さんを批判している人たちは、
「すべての日本人はずっと日本に住み続けるべきだ」と本気で思っているのでしょうか。
もしそうだとしたら、それは少し恐ろしい考え方だな、と思ってしまいます。
私たちはもっと、自由な側にいていい
周りからの見え方を気にして、自分の世界や可能性を狭めてしまう必要はないと思います。
法律を守って、自分と家族の幸せ(節税や教育を含めて)のためにベストな場所を選ぶのは個人の自由だし、むしろ賢い生き方だと思います。
どんどん進化していく時代で、その時々の自分や家族のベストな選択に合わせて、しなやかに生き方や住む場所を変えていくこと。
それこそが、これからの時代を自分らしく生き抜くための、本当の「強さ」ではないでしょうか。
「海外かぶれ」や「移住者」と誰かにレッテルをはって叩く側の人間になるのではなく、
「自分は世界中どこででも生きていけるし、必要ならいつでも大好きな場所に戻ってこられる」という、そんな自由に選択できる側に私はいたいと思っています。
