記者会見で叫んでいた彼女は、「普通の人」だった
何事も、多かれ少なかれ「ギャップ」はつきもの。特にインタビュー取材をしていると、自分が知らぬ間にイメージにとらわれていたことに気づく場面が多々あります。ネットニュース記者としてキャリアを歩んできた僕自身を振り返って印象的なお話を紹介してみたいと思います。
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ある訴訟の原告団代表を取材して
ネットニュース媒体で記事を書き始めてしばらく、慣れないながらも毎日記事を出し、デスクに怒られ、先輩に励まされ…「典型的」な新人記者生活を送っていたある時、とある訴訟で国を訴えた原告団の代表者の女性にインタビューをする機会がありました。
過去には記者会見で国を激しく糾弾し、国の審議会などでも有識者に食って掛かるような方で、その問題意識の強さや厳格な姿勢がいつも目立っていました。記者として「中立的な視点で話を聞こう」とは思うものの、相手の勢いに押されはしまいかと緊張したことを、今でも覚えています。
記者会見で叫んでいた彼女は、「普通の人」だった

ただ、緊張して挑んだ取材当日現れたのは、どこにでもいそうな、普通のおばさんでした。いやむしろ、とても親切で優しい方だったのです。
インタビューは、主に訴訟に至った経緯や、国の対応への考えを聞く形で進んでいきました。「普通の主婦」だった彼女が、たくさんの人と出会い、訴訟に挑み、今では有識者相手に意見を言うようになったまでの過程を聞いたのですが、その中でポロっとこぼした一言が、今も胸に残っています。
「わたし、本当は、いまも人前で話すのは怖いんです。自分よりもずっと知識のある人たちに向かって意見を言うのは怖くて、震える手を押さえながら話していることだってある。でもそれでも自分が発信しないと、世の中は変わらないと思っていて」――。
僕個人としては、距離を置いて話を聞いているつもりではありましたし、彼女の意見にも数点、一個人として違和感を持つ箇所は散見されました。ただ、「勇気をもって情報発信する姿」そのものに関しては、尊敬の念が高まっていくにも気づきました。
「そうか、一般の人が記者会見を開いて、それを世の中に伝えることってこんなにハードルが高いんだ…」。そんな驚きが、胸の中を支配していました。日々、記者会見や国の審議会で見ている彼女はいつもすごい剣幕で、その迫力に圧倒されていたけれど、自分と同じ「普通の人なのだ」ということを強く認識したのです。
ごく当たり前のことなのですが、毎日記者クラブで記者会見を受け続けていると、そんな当たり前のことすら認識できていなかったことを痛感しました。勇気を出して声を出している人がいるなら、その声に対して真摯に受け止めなければならない。そういうことを学んだような気がします。
書く人と「書かれる人」
当時は10年前。SNSも今ほどには流行しておらず、個人が声を上げ、メディアに取り上げられるのもなかなか珍しかった時代だったからこそ、声を上げる勇気は今以上に必要だったのかもしれません。翻って今は今で逆に、「声が上げやすくなったこと」によって、内容の精度も・発信に対する覚悟も様々にはなってきており、編集者にはまた別の難しさが発生しているような気もします。
ただ、当時も今も変わらないのは、「人前で意見を言うこと」「メディアで紹介されること」は、特に本人とってはとてつもなく大きな意味がある、ということです。
ページビューが少ない記事だって、掲載された当事者にとっては一大事。決して手を抜いてはいけないし、実名と顔を出し、社会に問題を提起しようとする姿勢には一定のリスペクトを払いながら、職業人として中立的な情報発信に努めていく。そういうことが、編集者である自分には求められているんだろうなと感じた出来事でした。
