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「結婚式って何のため?」と問い直したわたしが、毎年春に願うこと


「いっそのことさ、運動会にしちゃおうよ」


2018年4月21日。
毎年春になると思い出す。この日が結婚式の日だった。


結婚式の半年前、当日の春の陽気とは裏腹に、わたしの心はまったく晴れていなかった。結婚式に対して、全然乗り気になれなかった。これはわたしが夫に対して放ったせめてもの提案、いや、社会に対しての抵抗だった。


結婚式の当日、わたしは25歳。自分の結婚式の準備をするどころか、知り合いの結婚式にも片手で数えられるくらいしか参列したことがなかった。というか昔から自由が第一なわたしは、結婚をするとも思っていなかった。

夫とは大学一年生のときから付き合っていて、家族関係の話を進めてくれるのはいつも夫だった。付き合って6年目でプロポーズをしてもらったときに、わたしの心にはなんとも言えない気持ちが湧き上がっていた。


結婚式をひらく意味を、見出せなかったのだ。
フラワーシャワーは華やかだけれど、そのために摘まれるお花を思うと心がざわついた。新婦が父親とともにバージンロードを歩いて新郎に引き渡されるのだって、娘という存在が家族間の「贈り物」として扱われていた時代の名残だ。

挙句の果てに、誰が決めたか知らない慣習で、ご祝儀は3万円。何千円台からパーティーをひらくことができる今の時代に3万円ずつご祝儀をもらって、来てくれた人にいったい何が提供できるというのだろう。

式場は自然に囲まれた場所がいいと思い、知人が挙げていた芝生の会場にすぐ決めた。でも、その後のプランナーさんとの話し合いが全然はずまない。フラワーシャワーなし、バージンロードなしの人前式にしたら、「やることが全然なくて、時間があまっちゃいますねぇ」とプランナーさんは困っていた。

このままでは、せっかく来てくれる人たちに、ただわたしたちを眺めて過ごしてもらうだけになってしまう。そう思ったときに出てきたのが、「結婚式を運動会にしちゃおうよ」という提案だった。


いつもは温和な夫も、このときばかりは戸惑っていた。わたしと違って夫は、最初から職場の人も招待するつもりだった。部長がスーツ姿で徒競争やリレーに参加してくれるのか、不安だったのだろう。「僕たちが結婚式をひらく目的を、二人で改めて考えよう」と言った。

何度も話し合いを重ねて、ようやくたどりついた目的はこれだった。
「お互いの家族や友人に、相手を紹介すること」
そこから、わたしたちの結婚式が少しずつ輪郭を持ちはじめた。


***


結婚式を「二人の家族や友人に、お互いを紹介する」という目的を設定して、工夫できたことがたくさんある。

たとえば、当日の受付。夫側とわたし側からそれぞれ2人ずつ友人にお願いしたが、お互いに面識はなかった。初対面で受付を担当するのは気まずいかもしれない——そんな配慮から、夫の提案で事前と当日に紹介の場を設けた。周囲が気持ちよく過ごせるように気を配る、夫らしい心づかいだった。

たとえば、わたしたちの紹介ムービー。映像ではなく、パラパラ漫画をお願いした。パラパラ漫画にしてもらったことで、人生で嬉しかったことや楽しかったことだけでなく、つらかったことや大変だったことも共有した。物語形式にして、わたしたちの人生を追体験してもらう形にした。

たとえば、結婚式中のビュッフェ。運動会にすることまでは叶わなかったけど、式の途中でデザートビュッフェを準備した。芝生の上に設置することで、ゲストが自由に歩きながら他の人とも話せるようにした。席に縛られず、人が自然に交わる場が生まれた。

結婚式の慣習も、自分たちに不要だと思ったらとことん省いた。バージンロード、フラワーシャワー、ブーケトス。ケーキバイトも「これからも新婦は新郎にたくさん料理してあげてくださいね」と言われることに違和感があったので、日本酒の樽割りに変更。みんなで楽しくお酒を飲んだ。実際にうちでは、今でも夫のほうがよく料理をつくってくれる。


***


なかでも、とくに印象に残っているのは、式中のスピーチの数々だ。
新婦だけがお涙ちょうだいの手紙を読む形式には抵抗があったので、わたしもスピーチにした。涙を誘う演出は避けたかったはずなのに、結局自分が泣いてしまったのだけど。

夫側の友人も、わたしの友人も、おそらく結婚式でスピーチするのは初めてだったと思うが、今まで過ごした日々を思い起こすようなスピーチをしてくれた。

両家からのスピーチは、義父がスピーチをしてくれた。トム・ソーヤーの冒険を引き合いに出して、人生を「冒険」になぞらえて語ってくれた。大学教授で、人生経験が豊富な義父らしいスピーチだった。

その後に話したのが、自分の父親だった。これはわたしたちではなく、義父からの提案だった。「両家の式なのに自分だけ話すのはおかしいのではないか」という話があり、自分の父親も話すことになった。

どんな話をしてくれるんだろう、とドキドキしていたら、父が語りはじめたのは、かつて夫が酔いつぶれたときの話だった。

父は夫の介抱の現場に立ち会ったことがあり、結婚式中にふたりまとめて怒られるのかと一瞬ヒヤヒヤした。でも、夫が私や他の友人に手厚く介抱されている様子を見て、「まなみはいい仲間に恵まれてるんだな」と思ったのだという。

酒飲みならではの、父らしい視点がありがたかった。
このときの話は今でも、友人たちから「忘れられない」と言われる。


最後に、夫からの締めのスピーチ。
実は夫からは前日に「最後になんて話そう」と相談されていた。

「お互いの素の姿を紹介したい」と考えたときに、「本日はお日柄もよく」のような定型文のスピーチではないということだけはわかっていた。
定型文で話さないでほしいとわたしから言われた夫は、「ますますなんて話せばいいかわからないな…」と頭をポリポリかいていた。

宴もたけなわ。
そんなタイミングで夫から出てきた言葉はこんなものだった。


「本日はご参列いただき、ありがとうございました。

この式を準備するにあたって、実は妻から『なんのために結婚式をするの?』という問いを受けていました。

妻はもはや、みんなで楽しめる運動会にした方がいいんじゃないかとも提案していました」


運動会話をこんなに赤裸々に語るとは思わなくて、提案したはずのわたしが戸惑った。
参列者もみんな、笑っていいのかよくないのか、少し固まった表情で聴いている。


「でも二人で話し合った結果、今日という場では『お互いにとって大切な人たちに、自分がどんな人たちに支えられて生きてきたのかを知ってもらう』という目的をもってひらくことにしました。

この目的が達成できていると嬉しいです。今日は本当にありがとうございました」


会場は拍手喝采で、幕を閉じた。
お見送りのとき、夫側の親族が「夫のスピーチが心に残った」と声をかけてくれた。結婚式の最後の瞬間までわたしたちらしくいたことが伝わったようで、嬉しかった。


***


結婚式とは極めて自己満足的なんじゃないか、と思ったりする。

着たいドレスをまとい、憧れの演出をして、メディアで見た「理想の式」をそのまま再現することもできる。


でも、それがすべてではないはず。
結婚式は、本当はもっと自由に、慣習や常識にとらわれない"自己満足"な形でひらくこともできる。

これからどんな夫婦でありたいのか。
参列してくれる人たちと、どんな関係性でつながっていたいのか。
そうした思いを、心から表現できる場にだってできるのではないか。

わたしは友人のなかでも結婚式が早かったから、「前例」になるかもしれないという意識もあった。何も考えずに慣習や常識を追随することは絶対にしたくなかった。

結婚式を挙げることが、他の人の意向や社会の圧力につぶされることではなく、より自分らしさを発揮できる機会になることを願った。


あれから7年が経つ。
春の芽吹きとともに、あちこちで結婚式がひらかれる季節がやってくる。
誰に対しても、わたしが願うことはいつも一つだ。

結婚という決断が、あなたをより自由にし、人生を豊かにするものでありますように。




このnoteは「みんなのnote投稿コンクール『春になると思い出すこと』」で佳作をいただきました。読者のみなさん、審査員のみなさん、ありがとうございます。このnoteを読んだ感想を、ぜひコメント欄で教えてくださいね。


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