ベルモントの聖母礼拝堂とフラスコ画
ジャンヌ・ダルクに関する裁判の供述を読んでいると生家の隣のサンレミ教会の他にもうひとつ教会の名前が出てきます。
【復権裁判】※高山一彦先生著より
【ジャンヌの代父】ジャン・モレル
親達が娘は犂を引いているか畑にでもいると思っている時に、ドンレミ村の近くのノートルダムのお堂にお参りしていることもありました。
【ドンレミ村の教会の堂守】ベラン・ドラピエー
ジャンヌは妹や他の人とたびたび、至福の処女マリア様に捧げられた、ベルモンと呼ばれた教会やお堂を訪れていました。
【幼い頃の仲間】コラン
土曜日の午後になるとほとんど欠かさず、ジャンヌは妹や他の女たちとベルモンのノートルダムのお堂に行き、大蝋燭を捧げていました。彼女は神様や至福のマリア様に敬虔の念を持っていましたが、その敬虔さの為に、当時若かった私を含め、若い連中は彼女をからかったものでした。
【隣村ビュレイ村の農民】ミシェル・ルビュアン
ジャンヌは進んで教会に通い、聖なる場所にもたびたび行っていました。私がそれを知っているのは私自身、若い時ですが何度か彼女と一緒にベルモンのノートルダムのお堂にお参りに出かけたことがあるからです。
彼女はほとんど土曜日ごとに妹と一緒にこのお堂にでかけ、大蝋燭を供えていました。
【ドンレミ村出身グルー村の住人】ジャン・ワテラン
村の神父さんの話では、彼女はすすんで告解をしました。またたびたび大蝋燭を携えてベルモンのノートルダムに巡礼に行きました。
以上の証言から、彼女は毎週のように妹や友人達と一緒にこの教会に通っていた事が解ります。

位置は直線距離で2.15km、道なりで3kmという所です。

毎週、ジャンヌは仲の良い同年代の友人・家族達と「進んで」ここに来ています。宗教活動ではありますが、その友人達の証言はどうしても好ましく、楽しい思い出の数々であったと思えてなりません。
ここはきっと彼女の原点のひとつなのだと思います。
ここには1430年当時、複数の聖人の像がありました。
長い年月の間に一度ここは廃墟となり、1834年ヴォールールの住人サンセール氏が購入し、それらをナンシーに送って修復しました。
そのうち1体は60Kgのオーク材で出来た聖母像で恐らくジャンヌが祈っていたものです。これは現在はボワ・シュヌ・バジリックにあります。
彼は開口部をステンドグラスの窓に取り換え、祭壇を再建しました。
修復中に複数の遺骨や中世の建物の基礎が発見されました。

その後この建物は増設・改修・廃墟になる、という歴史を繰り返しながら現代まで残ります。
そして、1998年5月10日修復工事中に2枚のフレスコ画が発見されました。

この2枚の絵は15世紀頃に描かれた可能性が高いという事が解っています。ただし、それがジャンヌの存命中に描かれた物かどうかは解りません。
ただ、彼女はオルレアンの勝利後に名声を得ましたが、1431年には処刑裁判で魔女とされます。その判決後にここに彼女を描くのはなかなか大変な勇気です。(もちろんその判決を知って、その上で彼女をここに残したい思いがあったかもしれませんが。)
または死後25年経った復権裁判後に描かれた可能性もあります。
その場合、もしかしたら彼女の姿を知っている、または直接知っている村民から伝え聞いて描かれたかもしれません。
この絵画に関しては、まだあまり情報が無くて真偽が判断できません。
ただ、現存するジャンヌの絵画とされる物で、生前の彼女を見て描いたとされる物はひとつもありません。
であれば、この絵画は今の所唯一の「ジャンヌの姿を直接知る人が描いた可能性のある絵」と言えるのではないでしょうか?
2025/11/25追記
フランス文化省のDBでこの教会の登録を見ていた所、ジャンヌのものかもしれないフレスコ画は15世紀末頃に描かれた事が解りました。(※出典)
ジャンヌ存命中の可能性は低そうです。でも、その姿を知っている、伝え聞いている人が描いた可能性は残っています。
目が印象的に描かれているような気がします。
ジャンヌは青い目が印象的な女性だったのかもしれませんね。
