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オジサンになってもヒップホップ②――ヒップホップの「リアル」とは何か?

「リアルでアンダーグラウンドでハーコー」『リスペクト』RHYMESTER feat.ラッパ我リヤ(1999)

私はヒップホップが世界を席巻したのは,その音楽スタイルの中にまさに「リアル」なものがあったからだと考えます.

私がヒップホップにハマっていた90年代は,特に東海岸のBoom Bapというスタイルに顕著ですが,「リアル」かつ「アンダーグラウンド」であることが「ハードコア」である,という価値観が大事でした.

現代のヒップホップで,「リアル」とか「アンダーグラウンド」ということは声高には言われないようです.
けれども例えば千葉雄喜『チーム友達』(2024)や,ZORN feat.後藤真希『地元LOVE』(2026)には,「地元」「仲間」達との「リアル」な関係が背景にあります.
これらの曲が広く受け入れられたことから,「リアル」は今でも通用する価値観だと思います.

今回はヒップホップの「リアル」とは何かについて考えてみたいと思います.
これがわかれば,"Not Like Us"KendrickDrakeに圧勝した理由が見えてきます.

「ヒップホップのどこがリアル?それは現場.つまりここにある」『口からでまかせ』RHYMESTER(1995)

ヒップホップは通常,数小節のループが延々と続くうえに,ラップを乗せる音楽のスタイルです.
ラッパーは構造上どうしても,自分自身について言及し続けることを強いられます.これはSNSが普及しつくした現代社会に生きる我々と同型です.

私はこれを「自己言及による再帰的無限ループ」と呼びます.この消耗戦を抜けるには,「地元」「仲間」という,具体的な「関係」に責任を持つことが突破口になるのでした.
つまりヒップホップにおける「リアル」の大きな要素のひとつが,この「自己言及のループ」を,具体的な関係への責任によって外部に接続することなのです.
これが古典的なヒップホップの価値観であり,『地元LOVE』はこれを現代日本でうまく表現したのです.

ヒップホップ四象限で「リアル」を定義する

ここで「ヒップホップ四象限」を考えます.
はじめにお断りしますが,どういう音楽がヒップホップ「らしい」か,という音楽面の要素は敢えて入れていません.もちろんこの観点も重要ですが,今回はヒップホップの「リアル」とは何かに注目しますので,少し抽象的になります.
なぜなら,ヒップホップの「リアル」こそが,ヒップホップがヒップホップであるための核心に違いないからです.

縦軸は「関係性」の強度

さて,四象限の説明に移ります.
縦軸は,「地元」「仲間」に代表される「関係性」の強度です.上に行くほど,自分の外部にある具体的な関係性が強くなり,「他者」に向かう外向きのベクトルを持ちます.

一方,下に行くほど外部との関係は希薄になります.恋愛や仲間などの「親密圏」は描かれるかもしれませんが,それが外部に開かれず,自己確認のループに閉じると,ベクトルは内向きになります.
社会への怒りや疎外感を描いていても,具体的な共同体に接続されなければ,そのベクトルは内面に跳ね返ってきます.

つまり,上に行くほど具体的な「地元」「仲間」に責任を持つ.
下に行くほど,社会や内面を語っていても,それが共同体への責任に結びつかない方向へ向かいます.

横軸は「ラップゲーム」の強度

ヒップホップには,「どれだけラップが上手いか」,つまり「どれだけカッコよく韻を踏んで,マイクを乗りこなせるか」を競うゲームとしての側面があります.
また,マイク一本,そしてシンプルにターンテーブル2台あればいい,という古典的な美学もここに含まれます.
右に行くほど,この「ラップゲーム」へのコミットが強くなります.

上で述べたように,今回は音楽面でのスタイルはこの軸では扱いませんが,競技や技術としてのラップや,DJテクニックを重視する場合は,右に向かいます.
一方,ラップのスキルは十分あっても,即興性やスキルの発揮よりも,歌詞世界を重視した作り込みや,音楽や演劇的なスタイルの比重が増すような場合は左に行きます.

まとめると,上方向に行くほど「関係性」「リアル」の強度が上がり,右方向に行くほど「ラップゲーム」としての「リアル」度が上がります.
もちろんこれは絶対的な分類ではなく,あくまで方向性を測るための見取り図です.

右上象限が最も「リアル」

以上より,この右上象限が「ラップゲーム」の強度と共同体への接地が両立する領域です.
最も「古典的」,もしくは「ハードコア」なスタイルになります.

代表的なアーティストを挙げると,NasMobb DeepKRS-Oneなど,90年代東海岸を中心とした,Boom Bapを代表するアーティストは右上の極のあたりになるでしょう.

参考としてKRS-One"Outta Here"(1993).同年のアルバムの題名はその名も"Return of the Boom Bap".俺たちはBoom Bapで行くぞ!という,まさに右上象限のマニフェストみたいな曲です.

右下象限は純粋ラップ指向

右下象限はどうでしょうか.
こちらは「ラップゲーム」の強度が自己言及へ向かう領域です.
Boom Bapのスタイルでも,ラップの技術の限界に挑戦していくとベクトルが外向きから内向きに向かいます.
ラップゲーム強者はシーンとの関係に意識的であることが多いですが,具体的な関係性よりも自己言及が目立ってくると縦軸はやはり原点より下になるでしょう.

具体例として,Eminem,日本ではR指定を挙げます.
彼らは間違いなくラップ強者ですが,「地元」「仲間」との関係はあまり楽曲では出てこない.

Eminemはデトロイト出身で,地元との関係がないわけではありません.しかし彼の楽曲で前景化するのは,「地元」「仲間」よりも,圧倒的なラップ技術による自己言及です.
実際,"My Name Is"(1998)"Without Me"(2002)"Lose Yourself"(2002)などの代表曲では,基本的に自分のことしか言っていません.
その意味で「ラップゲーム」の強度は極端に右寄りですが,ベクトルは内向きであり,縦軸は原点より下になると思います.
この"Godzilla"(2020)も高速ラップでひたすら自己言及が繰り出されます.

またR指定は梅田サイファーという共同体を背景にもちますが,特にCreepy Nutsの楽曲で「関係性」の強度が弱いことはご理解いただけると思います.これはアニメやドラマとのタイアップの多さから必然的でもあります.
"doppelgänger"(2025)も映画『アンダーニンジャ』(2025)の主題歌.自己言及による無限ループそのままの内容です.

左上象限は「ウエスト」や「サウス」がメイン

左上はどうでしょうか.
「ラップゲーム」よりも地域性や物語性が前景化する領域です.
ニューヨーク周辺の東海岸以外から出てきたヒップホップが当てはまりやすいです.

私たちの世代では,アトランタから出てきたArrested Developmentがまず思い浮かびます.
かなりヒットした"Mr. Wendal"(1992)を挙げます.
生楽器を使い,鼻歌混じりのようなラップで,Boom Bap的な「コア」とは距離がありました.しかし南部の空気を色濃くまとっていてもビートは紛れもなくヒップホップであり,後のサウス台頭を予告する存在でもありました.

また,ギャングスタ系で強面でも,Gファンクは基本的に左上でしょう.PファンクをサンプルしBPMを落としたレイドバックしたスタイルは,西海岸の空気を濃厚に表現して全米を席巻しました.
Dr. DreSnoop Doggを発掘して高らかに西海岸の新しいスタイルを宣言したのが,この"Nuthin' But A 'G' Thang"(1992)です.Snoopが若い!

ウエストのラッパーが下手なわけではありません.
Ice Cubeはソロ第一作のように普通にBoom Bapのスタイルでもやります.でも有名な"It was a Good Day"(1992)「ラップゲーム」の強度ではなく,フィクションではありますがギャングスタとしての日常に接地しています.

2Pacもここに入るでしょう.
Kendrick Lamarに大きく影響を与えたラップ巨人ですが,超絶技巧だけで押すタイプというより,作り込まれた歌詞と感情の強度で聴かせるラッパーです.ラップスタイルもだいぶん演劇的.けれども西海岸に移ってからは完全にウエストをレペゼンするスタイルです.
ご紹介する曲はその名も"To Live & Die in L.A."(1996).名義はMakaveliですが,2Pacですよ.題名は同名の映画が元ネタというところも「らしい」です.邦題は『L.A.大捜査線/狼たちの町』(1985)です.

左下象限はかつて「ポップ」な領域だった

いよいよ左下です.
ここは長らく空白でした.それはそうです.「ラップゲーム」の強度が弱くて,周囲との「関係性」も希薄でベクトルが内向きでは,これまでのヒップホップの文脈では全く「リアル」ではない.

P.M. Dawnという兄弟デュオがありました.私の意見では90年代前半にこの左下で成功した,かなり例外的なグループです.過去形なのは中心人物のPrince Beが病気で亡くなっているからです.

彼らはスパンダー・バレエ"True"(1983)をサンプリングした"Set Adrift on Memory Bliss"(1991)を大ヒットさせました.

2ndアルバムも結構ヒットしましたが,『ブーメラン』のサントラに収録されシングルカットもされた"I'd Die Without You"(1992)など,ヒップホップを通過しているブラックミュージックでありながら全然「黒く」ない.
ヒップホップのエッセンスをここまで希釈して,なおかつ良質なポップスに仕立て上げたことは,今聴いても驚嘆に値します.

当時はこのような「ポップ」なラップもチラホラありましたが,あんまり長続きしなかった.P.M. Dawnは例外的に成功した部類です.

何故左下があまり成功しなかったかというと,まだ右上象限の「コア」なヒップホップが世界に浸透する前だということがあります.何がヒップホップであるか定まっていないので,受け手の方も表現者の側も共通言語が乏しいのです.
ですので表現とスタイルに説得力がないと,一時的にヒットしても続かない.

P.M. Dawnは上記のように,かなりうまくヒップホップのエッセンスを抽出し,ヒットにつなげていました.

けれども早すぎた.

象徴的な事件がありました.
1992年,ニューヨークでのP.M. DawnのコンサートにKRS-One率いるBDPのメンバーが乱入し,一時的にステージを占拠するという事件がありました.
キッカケはPrince Beがヒップホップのteacherを自認するKRS-Oneをほんの少し揶揄したからだそうですが,KRSはこれを看過できなかった.
「ラップゲーム」の強度と,共同体に向かう強いベクトルをもつKRSにとって,P.M. Dawn「リアル」な足場を持たない,ヒップホップもどきに見えたのでしょう.
右上は,左下からの挑発を許容できないのです.

けれども左下象限はこのままでは終わりません.
そうです,かつて「リアル」ではないと見なされていた左下象限は,今ではヒップホップのメインストリームになっています.
どういうことでしょうか?
次回は左下象限を中心に,ヒップホップの変遷を見ていきます.


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