見抜かれるのを待っていた
「悩みなさそうだよね」という言葉が刺さる。
「お気楽に生きてるんでしょ」という意味に勝手に変換しては、勝手に傷ついていた。
冗談のような一言なのに、素通りできずに胸に残る。自分では、決して楽な道を歩いてきたつもりはなかったからだ。
人を見る目がない、なんて相手のせいにしていた時期もあったけれど、最近は自分にも非があったと思うようになった。
・・・
私は昔から、感情を見せるのが苦手だった。
家の中でも空気を読むのが当たり前で、場を乱さないことを優先していた。悲しくても、悔しくても、とりあえず普通に振る舞う。言わない方が穏便に済む。出さない方が安全。そうやって色んな場面をやり過ごしてきた。
その癖は大人になっても抜けなかった。
人の話をよく聞き、場が和めば一緒に笑う。波風を立てない。「穏やかな人」でいようとしてきた。
実際、それは嘘ではない。確かに私の一部だった。でも、全部ではなかった。
見られ方を整えるほど、内側にある感情は誰にも見せずに残っていった。それなのに私は、ずっと矛盾したことを望んでいた。
本心を見抜かれないように取り繕う。
でも、本当は気づいてほしい。
隠しているのに、分かってほしいと期待していた。だから、「悩みなさそう」と言われるたびに苦しかった。
見せていないのは自分なのに、誰も分かってくれないと思っていた。なんて理不尽な期待だったのだろう。
「どうせ、人生イージーモードなんでしょ。」
以前そう言われた時、うまく笑えなかった。私だって私なりの苦労があった。そう言い返したかった。
でも強く否定もできなかった。そう見られても仕方ないくらい、私はずっと取り繕ってきたと自覚したからだ。
最近は、その矛盾を前より直視できるようになってきた。見抜かれるのを待つだけでは駄目なのだと思うようになった。
mari.
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