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「かぜひた」と連絡帳に書かれた朝—言葉に身構えはじめた私

母が連絡帳に書いたのは、たった四文字だった。
「かぜひた」


小学生のある朝、風邪で学校を休んだ。
何年生だったかは覚えていないけれど、その朝のことだけはずっと心に残っている。

母が連絡帳にひとこと書き、近所の子に渡して学校へ届けてもらったその朝。その文字を見て、私は胸の奥が少しざわついた。

そこには、たった四文字。

「かぜひた」

──たぶん「風邪をひいた」あるいは「風邪をひいたのでお休みします」と書きたかったのだろう。言いたいことは伝わる。

子ども心におかしな日本語だと思った。でも、母は気にする様子もなく近所の子に託した。私は何も言えず、ただ見ていた。自分だって、「正しい日本語」で書ける自信はなかったからだ。

小さな違和感が、形を持ち始めた日

数日後、熱が下がり、今度は私が自分で連絡帳を書いた。

「かぜが直りました。」

ちょっと誇らしい気持ちで、また近所の子に渡した。明日から学校に行けると口頭で伝える。ところがその日の夕方、こう告げられた。

「先生が、“治った”の漢字が違うって言ってたよ。」

音もなく重い石が落ちたようだった。恥ずかしい、かっこ悪い、情けない。なんとも言えない感情が込み上げる。外国人母の代わりにちゃんとやろうとして、自分もちゃんとできていなかった。

あの日を境に、「言葉」や「伝えること」に対して、私はどこか身構えるようになった気がする。風邪は治ったけれど、自分の中に芽生えたこの“もやもや”が何なのか形容できないままずっと残った。人前で文字を書くたび、声に出して説明するたび、また間違えるのではという不安と自信のなさが先に立った。


母は、きっと覚えていない。でも、

おそらく母は、この出来事をまったく覚えていないだろう。

異国で、ひとりで子を育てる日々の中で、母は「正しさ」よりも「通じる」を選んで生きていたのだと思う。精いっぱいの中で、四文字を書いた。ただそれだけのことだ。

それでも私にとっては、あの四文字が小さな始まりになった。言葉への緊張、そして別の感情へと続いていく始まりに。

──あの朝から、私は少しずつ「自分の家」を隠すようになっていく。


つづきます。

mari.

あとがき
当時、父は海外単身赴任で基本的に不在、近くに頼れる親戚や友人もおらず、学校からの配布物の内容を確認したり返信したりするのは長女であった私の役目でした。自分もさほど言葉を理解していないながらも、小学生の時点で、母・弟・私の3人の中で一番日本語ができるのは自分だという自覚がありました。

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