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タイ人母を隠したかった子供時代と、今のわたし

この記事は、以下の続きです。

♦前編要約
小学生のある朝、タイ人母が連絡帳に書いた正しくない日本語「かぜひた」(=風邪をひいた)が始まりだった。数日後、自分で書いた「かぜが直りました」も訂正され、恥ずかしさと不安が残る。そこから私は、少しずつ「自分の家」を隠すようになっていく。



連絡帳の四文字がきっかけで、私は言葉に身構えるようになった。少しして、もう一つの感情が顔を出した。──母を「隠したい」と思う気持ちだ。

あの日。正しい日本語を書けない母を恥ずかしいと思った。

そして授業参観の日。私には、母がまわりのお母さんたちと「違って」見えた。日本語の響きも、見た目も、何もかも。

その「違い」が怖くて、友だちを家に呼ばなくなり、母を紹介するのを避けた。誰かに笑われるかもしれない、指摘されるかもしれない。実際には何も起きていないのに、起きる前から身構える癖がついていった

その頃からだったろうか。「年齢以上にしっかりしてるね」と言われるようになった。大人の前で落ち着き、場を整え、何も問題がない顔をする。今ふり返れば、それは必死の背伸びだった。家の空気が荒れないように、母が困らないように、自分が恥をかかないように──先回りして“大人”を演じる術が身についたのだと思う。

長い時間が過ぎ、私も母になった。ようやく少しずつ、あの頃の母の景色を想像できる。言葉も文化も違う国で、たった一人で子を育てること。正しさよりも「通じる」を選ぶこと。あの四文字には、母なりの誠意と、その日の精いっぱいが詰まっていたこと。

母を隠したいと思った子どもの私。その私も否定しない。あのときの私には、それが自分を守る方法だった。母が「通じる」を選んだのも、きっと生き延びるための選択だった。

完璧な日本語でなくても、完璧な家族の形でなくても、私たちは暮らしてきた。違いを恥じた小さな私も、その違いの中で懸命に生きた母も、どちらも尊い。

「かぜひた」という四文字は、長い年月を経て、私に小さな傷と大きな学びを残した。

母のこと、家のこと、自分のことを、こうしてここに綴り続けているのは、過去に隠そうとしてきた反動なのかもしれない。


mari.

あとがき
幼少期の日本での生活の話をすると、「いじめに遭ったりした?」と聞かれることがあります。私の場合、幸いそういったことには遭いませんでした。それは、私が背伸びすることにより未然に防げていたからなのか、そもそも身構えなくても当時の自分が恐れていたようなことは起こらなかったのか。今となっては分かりません。

♢この文章は、マガジン『第1章 家族という名の、いびつなパズル』の一編です。 数十年の歳月をかけて、ばらばらだった家族の欠片を一つひとつ拾い集め、言葉にした記録です。

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