35年分の不在と、病が連れてきた1年
私の人生において「不在」の記号だった父。
父は単身赴任で家にいないのが常で、たまに帰ってくるレアキャラクターのような存在だった。母と喧嘩した時の私の逃げ場であり、母の不機嫌を引き起こす火種でもある。家の空気を左右するのに、生活の中心にはいない。そんな人。
タイという異国から嫁いできた母を、親族から守ろうとしない父。十代の私は、その姿を無責任だと責める気持ちでいた時期もあった。けれど同時に、あの人は不器用な一匹狼なのだと自分を納得させてもいた。
大学を卒業する頃には母と私はタイへと拠点を移し、父はさらに遠い人となっていった。形式の上では夫婦であり続けた両親は、長い別居を経て熟年離婚。父との連絡は年に数回。父から自発的に届くのは、私の誕生日の一行だけ。
──そんな停滞していた時間が、ある出来事をきっかけに唐突に動き出した。
父に癌が見つかった。
知らせは、こんなふうに届いた。他愛ない連絡を取り合っていた最中に、父から「体調が悪いから病院に行ってきた」との報告。どこが悪いの? と私が聞き返して、少し間が空く。そこでようやく父は、「実は、癌が見つかって」と打ち明けた。
真っ先に浮かんだのは、悲しみでもどうしようという戸惑いでもなかった。ショックだったのは確かだ。ただ、感情が追いつくより先に、「これからどうするか」という現実的な段取りの方が先に頭の中を占めた。
気持ちは追いついていなかったけれど、日本へ見舞いに行かないという選択肢は自分の中になかった。昔の父だったら、「わざわざタイから来なくていい」と突っぱねたと思う。でも、その時はすんなり日程が決まった。
久しぶりに会う父の身体は一回り小さくなり、心もどこかやわらかくなったようだった。それからの一年、父と交わした言葉や一緒に過ごした僅かな時間は、これまでの三十五年に匹敵するほどの濃さを持っていた。
スーパーへの買い出しや、近所の散歩。治療の話、タイの話、ただの世間話。些細なやり取りが、これまでと違う重みを帯びていたように思う。
ある日の食卓で、父がふいに昔話を挟む。母との結婚は、父の両親には事後報告だったという。初耳だった。父は淡々と、「そうしないと、絶対におふくろに結婚を認めてもらえないと分かっていたから」と言った。
それは、私がこれまで聞いてきた「きれいな筋」の裏側だった。パズルのピースが繋がった気がして、その反射で笑いそうになった。
「私がまだ知らない話は、あとどれくらいあるのだろう」
そう思ってすぐ、「この時間はあと何回あるのだろう」とも考えている自分に気づく。父の命に終わりの気配が見え始めたことで、私たちの関係は人生で最も密度を持ったと言える。
大人になった今、十代の頃の父へのあの断罪が、間違いだったとは言い切れない。ただ、父にも父の恐れや弱さがあったのかもしれない、と想像するようになった。
癌が分かった後も、私たちはいわゆる仲良し父娘というわけではない。ただ、長い間見えていなかった互いの姿が、少しずつ見えるようになってきた不思議な感覚がある。失われた時間を取り戻そう、というよりも、これから訪れる本当の「不在」を前に、初めてお互いの存在を確認し合っているかのようだ。
癌が連れてきたこの一年は、「父と娘」を始め直すために与えられたロスタイムのようにも思えている。
mari.
※本稿は、当時の私の視点として書いています。誰かの生活に影響が出ないよう、必要に応じて表現や公開形態を調整することがあります。
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