タイ人と付き合って、行動単位が1から「2」になった
「日本人と、タイ人って付き合うと何が違うの?」
パートナーはタイ人だと言うと、よく聞かれる質問だ。文化や愛情表現の違いなど答えは無数にあるだろうが、私が最も実感しているのはこれだ。
行動の単位が、1から「2」になった。
日本人と付き合っていた頃、お互いの時間を尊重することは愛情の形だった。たとえば、私に役所へ行く用事があるとする。パートナーが同行する必要は客観的に見ればない。私は一人で用事を済ませ、その間、相手は相手の時間を自由に過ごす。
「あなたの時間を大切にして」という距離感が、お互いにとっての最適解だった。
しかし、タイ人と付き合うようになり、がらりと変わった。私の予定は、そのまま「二人の予定」になった。つまりこういうことだ。
付き合いたての頃、彼に「この日は用事で〇〇に行くね」と伝えたことがあった。当日、彼は家でのんびりするものと思っていたが、当然のように外出の準備を始めた。「もう少ししたら出ようか」と言われた瞬間、私は悟った。彼は、最初から一緒に行くつもりだったのだと。
一人で行く気満々だった私は戸惑った。せっかくの休みなのに、私の私用で彼を拘束するのは申し訳ない。それが私なりの配慮だった。しかし彼は、私と一緒に行くのが当たり前だと思っていた。むしろ一人で行くつもりだったの?と複雑な表情をしていたくらいだ。
それは干渉や依存とも違うように思える。ただ「一緒に動くこと」が、自然な振る舞いとでも言おうか。
この傾向は、家庭の外でも散見される。例えば、子供の学校や習い事の送り迎え。片親だけで事足りる場面でも、両親揃って来ている姿をよく目にする。初めの頃は不思議に思っていたが、効率や必要性ではなく「共にそこにいること」に価値が置かれているのではないかと思うようになった。
行動の単位が1であっても、2であっても、そこにはそれぞれの愛の形があるように思う。
長いあいだ1式が当たり前だった私だけれど、いつの間にか「2」式の方に慣れてしまっている今日この頃だ。私の予定は彼の予定でもあり、彼の予定は私の予定でもある。
所用の待ち時間や移動といった、人生の隙間のような時間を当たり前に二人で共有する。この「行動単位が2」である状態に、今では心地よさすら感じている。
※この文章に書いた価値観は、あくまでも私が実体験から得た感覚を言葉にしたものです。すべての日本人男性、すべてのタイ人男性に当てはまると言いたいわけではありません。私自身の限られた経験の中で感じた一例として受け取っていただけたらと思います。
mari.
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