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トラウマも等辺─ 所持金80円で金銭的報酬を手放した日


前回の記事の続きです。
4月1日、いよいよ小学生の子どもたちとの関わりがはじまりますが
私はウキウキしながらも、ここに書いてあるとおり、なんとも言えない重さを感じていました。 このとき感じていたのは、初日からシフトの日にちも時間も詰められていることで、次元マッピング作成の時間が十分にとれなくなるかも?という可能性や、期待されていることへの重圧によるものだと思っていたのです。
しかし、それは違いました。 その暗雲の本当の意味とは?

面接で期待されたこと

面接の時にも聞いていました。
子どもたちの安全が第一。
なにかあった時に大きな声をだして注意できるかということが1番大切ですと。
しかしスタッフによってはなかなか大きな声が出ない。
子どもが、コケるや喧嘩するなど危ないことになりそうになっても、注意は子どもの耳に届かないと意味が無い。子どもは夢中になりやすいので。と。
わたしは声の大きさには自信あります。
それはもう…過去ライブをご覧になっていただければ一目瞭然です(YouTube)
なので、それは得意ですと張り切って言いました。
スタッフも期待してくださり、ゆくゆくはチームリーダーなど任せたいが、長く続けることは可能ですか?とまで聞いてくださったのです。
放課後デイとは小学校の学童保育のことで、最初は週1くらいからスタート可、時間にしても2~3時間程度(夏休みなどは長くなる)と聞いていたので、ボランティアでも参加したいくらいだと思っていました。

そして時は令和。
まさか大声とは言っても、叱ることなどないだろう。
走り回ってたら「ゆっくり歩こうね!」と、どうすればいいかをハッキリわかりやすく的確に指示するものだと思っていたのです。
その上でフォローアップとして、必要ならばその理由を説明したり、子どもの表情や態度を観察し、適切な対応をとるのだろうと。
子育ての経験のないわたしは、そう思い込んでいたのです。
子どもの相談にのることもあるかもしれない。
孫とおばぁちゃんのように、人生について語ることもあるかもしれない。
どんなことが待っているだろう。
もしも「それは同じ山でも、見る場所や角度や高さで全く違うように見えることと同じことがおきているんだよ」なんて、ちょっぴり次元のお話もできるかもしれない。
そんなふうに思いをはせていたのです。

初日、予想を裏切る現場

しかし実際は、なんと120人を超える児童たちが集結し、そりゃあもうてんやわんや。
学童の先生たちは大声で厳しく叱りまくり、それでも子どもたちがエントロピーな状態だったら、身も引き締まる一撃を落とすことも。
ピカーゴロゴロゴロ⚡️ドカーン💥ギャーーーーー、、、シーン。。。。

それは昭和から受け継がれているものだし、よくある罰や恐れを盾にした取引きの言葉でした。
睨みをきかせた先生が低く太く大きな声で
「しずまらなけれは️⭕️️⭕️は開始しません!」
「困るのはあなたたちですよ?!」
「それをするなと何度言ったらわかりますか!」
「わからないなら帰りなさい!」カバンのとこに連れていく。
昭和からすればなんてことはない一コマです。
だって、バケツ持って廊下に立ってなさいとか、ビンタもありましたからね。
もっともっと厳しかったし怖かった(まるで8時だよの志村けんやカトちゃんのように、気にもとめない男の子も結構いましたが笑)

萎縮する身体

そう頭ではわかっているけれど、なんと…
わたしまで心拍があがり身体は緊張し、まるで怒られてる子どものように萎縮しているのに気づいたのです。
流れを覚えるのに精一杯、その頑張ってますとはわけが違う、深い部分でビクビクした静かな萎縮。
しかも先生方は大勢の子どもをまとめるためにも、新人のわたしにもいちいちトーンを変える余裕などなく「まり亜先生!腕組むのやめて!」と子どもの前で子どものように怒られてました笑。

頭ではわかってるんです、事情も、間違ってもいないことも、まだ初日だからできないのは当たり前。慣れれば大丈夫!だって。
子どもたちはかわいいし、初日にしてすでに「先生大好き!」とわたしにまとわりついて甘えてくる子もいました。
あの幼稚園実習や子どもたちにモテていたことを思い起こさせるように、子どもたちとの絡みは楽しくて楽しくて。
しかし、終始わたしの耳に絶え間なく飛び込んでくる「叱り」というか「強い号令」は、一日でわたしの体を縛るほどだったのです。
頭ではわかっているのに…わかっているのに…身体が動かない!
そして1晩のガチガチ身体で不眠の上、眠れぬまま翌朝を迎えました。
もう行きたくないと体が全力で訴えてくるので、決断するしかなかった、2日目にして「休もう」と。

思い出された小学校のトラウマ

そして思い起こされたのは、忘れ去っていたはずの、小学校時代数年間のトラウマ。
「他の子が叱られる度・怒鳴られるたび」ビクビクしていて辛かった身体感覚です。家では両親が怒号のうえ大喧嘩の日々。
家でも過緊張、学校でも常に、怒られないように怒られないように緊張していたし、些細なミスもバレたら怒られると、嘘を嘘で重ねて、行き場がなくなり苦しくなっていた思い出が、まるで花開くように広がりだしたのです。

わたしは発育発達も早く優等生だったから、よくできました。
褒められるというかお手本扱いで、名前をだされる。
しかしその背後で「あんたはみんなとは違う」という境界線を引かれていくような、あの切なさと怖さまで身体は覚えていたのです。
それだけが理由ではないでしょうが、親しい友達ができず、クラスの仲間達と話も合わず、孤独だった小学校時代をありありと思い出すことになったのです。
席替えのときはクラスで一番乱暴で、みんなが避けている男の子の隣に強制的に配置され、落ち着いたまり亜ちゃんが横ならなんとかなるだろう、面倒見てあげてねというプレッシャーをかけられたくらいです。
「なんでわたしがこんな目に?運悪すぎる」「いつも損な役回り」と、もう今考えても世の中の理不尽さや不平等さを嘆いていたものです。

孤独だった小学生時代

友達出来なすぎて、小2のときやっと話せる友達ができたのは、同じくいつもひとりで居ていた自閉症か発達遅延の子でした。
その子は会話が不自由なのか、単語の発語なのだけど、わたしのやることを見て「おもしろい」など、声をかけてきてくれたのです。
会話はほぼ成り立たないからそりゃ寂しいは変わりないけど、それでもなんとも言葉にしがたい複雑な思いを抱えたまま仲良くしていました。
今思えば、表面上は友達なのに、その子を下に見ている自分への嫌悪感や、普通に大勢と仲良くできないハミダシモノの2人がくっついた不甲斐なさや、恥ずかしさ、ある意味喜びより悲しさの方が大きかったのだと思います。これは、なんて私は酷いやつと自覚があったことです。

そんな忘れ去っていた、きゅうっと締め付けられる身体感覚に
「この学童の話がきたのは、このトラウマの学びだったのか!」
と気付かされたのです。
きっと、この事件がなかったら思い出すこともなかったでしょう。

そのときちょうど流れてきた、某起業家さんのメルマガが
「いくら意識をいじっても現実は変わらない。あまり知られてないが、実は身体感覚が覚えているからなんです。なので身体感覚を変えるメソッドを…」のような言葉でした。

まさに今コレだわ!

「トラウマも等辺」という啓示

と思った瞬間に
「トラウマも等辺」
と言う言葉が浮かび上がり、正三角形の目が開いたのです。(正三角形の目の話)
心理学や3次元意識スピリチュアルから見たら、トラウマを避けてきたとか、トラウマを癒すタイミングですな…と、思うかもしれませんが、そうではなかった。
未消化のトラウマ、それも9次元意識から見れば必然だったのです。

この小学校時代の経験からの、トラウマ的身体感覚も変える必要などないじゃないか!
他の愛する部分と同じくらい、等しく価値のあることとなること。
これが9次元意識の視座からの直感でした。

このトラウマを癒して、その環境に居るという3次元意識なアプローチも正解です。
しかし、このトラウマが思い切り活かせることを選ぶのもまた正解です。

そのときに「次元マッピング」に全リソースを注ぐという、労働や価値提供からの報酬を一切手放すという選択が、またニッコリとわたしの前に現れました。
そんなバナナ?(昭和)
ですが、やってみたい、実験してみたい!とワクワクするのです。

労働を手放す選択

労働や価値提供の対価として金銭的報酬を得ることを全て手放す。
そして、純粋意識でやりたいと思えるこの「次元マッピング」完成のプロセスを体験するフェーズだと、ハッキリわかっていたはずなのに、まだまだ目先のお金に目がくらんでいたのもわかりました笑

それだけでなく、面接の時の約束を果たす「責任」の重みも抱え込むことを手放す。
それはもう、社会不適合者である性質をさらに許可していくことになるのかもしれません。
以前は若かったからとか、まだ、夜の世界で成功していたからとか、社会不適合者としての言い訳がなりたちましたが、健康だしいい歳(大人)だし、ほんまに大丈夫なのだろうか?という思いもありつつ~の。
なんと3日で退職の運びとなったのです。

トラウマや身体的過緊張や過敏。
これらがわたしの宝であり、変える必要治す必要など何もない。純粋なわたしとして生きていく。
その本質を掴めた引き寄せでした。

先生方の大きな声は、私に向けたものではありません。
それは当然頭では、よーくわかっていても、身体は私らしさとして、今も「共鳴しやすさ」「境界線はないワンネス」を教えてくれます。
もしかしたら先生方も仕事だから、バランバランのエントロピーな子どもたちをピシッと秩序にまとめるため、叱る、大声を出し続けるのかもしれません。
しかし、まり亜ちゃん、それが仕事だよと言われたら、あっ、それじゃなく次元マッピングだったんだわ!と思い出す。
それ仕事ちゃうやん、趣味じゃん。と言われても、宇宙的使命で魂がやりたいことだから、そこに目は潰れなくなってしまったの、と笑うしかないかもしれませんね。

所持金80円というのに、3日で覚醒し金銭的報酬よりやりたいことを選ぶ。 なーんて、なんとも高次元意識は人にはなかなか理解されにくい世界なのかもしれません。

正三角形の目が開いた

トラウマさえも変えずにいて等辺で見ると、正三角形の目がひとつ開く。 そこから見える景色をまた、noteにしたためていきたいと思ったのでした。

この記事の背景にある次元論の定義や、構造的解析の全データはGitHubにて公開・更新しています。
https://github.com/marnakatani-bot/maria-dimension-map-

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意識の次元マッピング研究者|ORCID登録・論文著者|中谷まり亜 ありがとうをチップで伝える